3月37日 予期せぬ出会い②

 振り向いたその少女は、李そのものであった。長く伸びたピンク色の髪が、身体の動きに合わせて揺れる。


「李……?」


 俺の問いかけに、その少女は俺を見上げ眉を顰める。薔薇色の双眸が俺の瞳を捉えて離さない。


「はい……?」


 訝し気な少女。


「え、あれ? 李……じゃ、ないのか」


 寝ていたんじゃないのか? それに服装も違うし……。

 第一、そんなに髪は長かっただろうか。肩にかかる程度だったはずだ。


「人違いです」


 世界を拒絶するような冷めた目が、“バグ”の消えた方角を見つめる。僅かに艶を帯びた唇から、淡々と言葉が紡がれた。

 だが俺はくぎ付けになっていた。李そっくりなその少女の全身をまじまじと見つめていると、


「変態ですか?」


 呆れた口調で彼女は言う。


「あ、その……すまん。そんなつもりじゃ」

「まあいいです」


 不満げな面持ちを浮かべ、少女は背を向ける。俺を見ることなくスタスタとブランコまで足を進めた彼女は、鎖に両手を掛けて深く座った。迷うことのなく歩くその仕草はやはり自らのメイドを想起させる。

 腰かけた少女は、服のポケットから何かを取り出した。銀色のアルミホイルが、明けたばかりの朝日に反射する。中から覗いたのはチョコレートだろうか、茶色い板をの端をパキリと音を立てて割り、地面に自由落下させた。微細な欠片も付随して。

 甘ったるい匂いが鼻を突き、口内に唾液が溜まるのを感じる。


「何やってるんだ?」

「餌をあげているんです」


 やがてやってきたのは、蟻の隊列。

 三角に割った欠片めがけて一直線に進む黒い大群は少しずつ列を乱し、わき目も降らずチョコレートを貪った。その様を見下ろす少女はただ無表情で、何を考えているのかさっぱり読めずにいた。


「食べたいんですか?」


 ふと少女が顔を上げる。


「いや、そういうのじゃなくて」

「どういうのですか」

「俺の知人に似てるなぁって」

「……そうですか」


 探るように少女は返答する。俺を不審者だと怪しんでいるのだろうか。


「うん……やっぱり見えてますよね」


 立ち上がった少女は、俺の前に立つ。彼女が座った後のブランコは小さく揺れ、横から鎖の擦れる音が聞こえる。

 ガラス細工の如く透き通った瞳——その目は何かを確かめるようで。


「見え……?」

「あ。いえ、こちらの話です。 ですが……言っておいた方が良いでしょうかね」


 人差し指を顎に付けた彼女は、一息を置いて告げた。


「私は、4月の化身です」

「し……なっ……え?」


 意味が分からない。

 4月の化身? 霊的な何かか?


「……説明してくれよ。4月の化身ってどういうことだ」

「そのままの意味です。それ以外に説明のしようがありません」


 彼女は淡い桃色にグラデーションされた空に目線を送る。その瞳はどこか達観していて、俺には知りえない何かを知っているように思えた。


「じゃ、じゃあ4月が来ないのと関係あるのか?」


もしかすると、4月を迎えるヒントがあるかもしれない。


「……そうですね。4月を知らない人間には、私が認識できません。ですがたった一人、貴方だけは違う。なぜだと思います?」


 さっぱり分からず首を捻っていると、


「ここが、だからですよ」

「意味分からないんだけど?」


 困惑する俺を見て何を思ったか、スモモは熟れた果実のような赤い瞳を俺に向ける。


「……時間ありますか? 少し歩きましょう」


 俺の承諾を得る前に、少女は回れ右をして歩き出した。その軌道を描くように、長く艶やかな髪が翻った。

 俺は、その子の後に続いた。

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