3月37日 予期せぬ出会い①
夜が明ける。
薄桃色の羽衣が、目覚めたばかりの地平線に薄くたなびいている。ひだのような雲の底面は紫色に染まり、金色の太陽は光を八方に伸ばしながらその顔を覗かせた。
今日は36日。やはり3月の延長線。
眠る李の頬に手をあてるが、昨日ほどの熱はない。呼吸も落ち着いており、表情も穏やかだ。
これなら大丈夫だろう。
柔らかな頬から手を離す。
李の左手には附子君のストラップが強く握りしめられていた。少々触ったぐらいでは解けそうにない。気に入ってくれたのなら何よりだが。
規則的に布団が上下する。呼吸をしているとういう当たり前の事実に安心を覚え、俺は部室を後にした。
「ふあああ……」
昨夜は正直眠れなかった。李の体調が急変でもしたらどうしようかと気が気でなかった。杞憂に終わって何よりだが、今日は同好会どころではないかもしれない。
欠伸は出るし、頭は働かないし。自販機でビターなコーヒーでも買うとしよう。
早朝なだけあって人通りは無く、自分の足音だけが路地にこだました。乱れることなく一定の間隔で刻まれるリズムに耳を澄ましながら、ゆっくりと歩を進める。
パーカーは要らなかったかもしれない。
暖かなそよかぜを浴びながらたどり着いたのは、部室から徒歩数分の公園だった。名も知らない小さな遊び場。
前後に揺れて遊ぶ小馬型の乗り物とブランコ回る地球儀が備え付けられた、一般的な広場だった。その脇には自販機がぽつんと立っている。飲み物のサンプルが並んだ透明な側面は、朝早いと言うのに元気よく光り輝いていた。
さっそく財布に手を掛け自販機に向かおうとしたその時、俺の視界の端に移ったのだ。
——“黒いもの”が。
バイブレーションを響かせ球状に群がる小さな点たち。黒ずんだ表面に、汚れた羽。
——“バグ”だ。
蜂型の異形はそこから動かない。まるで標的を牽制しているかのようで。
そしてその中央には、人影があった。
「大丈夫か?!」
心臓が激しく脈打つ。空っぽな腹に、今日の暖気にそぐわない冷たい空気が注ぎ込まれた。
自分の心配なんてしていられない。頭が一瞬で冴え、気づいたときには走り出していた。
パーカーを脱ぎ、“バグ”に向かって振り回す。佇むその人の前に割って入り、バサバサ音を立てて敵を追い払う。
黒い群れは散り散りになっていった。意外にも攻撃することなく、四方八方に逃げては霧散していく。
「あの、大丈夫か——」
振り向いた俺は、言葉を失った。
桃色の髪を腰まで伸ばし、真っ白なブラウスとその上から青いジャンパースカートを着た彼女。フリルのあしらわれたスカートからは、育ちの良さが伺えた。その少女は“バグ”に襲われたのにも関わらず平然としていて、怯える素振りも見せない。動揺する俺の心を、透き通った赤い瞳が吸い込む。
少女は——李そっくりだった。
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