閑話 過度をつつしめ
それは、3月初めの昼休みのことだった。その日は酷く冷えていた。
「はぁ~あ……」
手をすり合わせ摩擦で温めながら、集真藍は廊下を歩く。吐息を手のひらに乗せると、じわりとぬくもりが繊維に染み込んだ。
日差しはあるのに、それが空気を温めるという仕事を一切していない。三寒四温とはよく言ったものだが、あまりに気温差が大きくはないか。昨日はぽかぽかとした外出日和だったというのに。こんな日に外に出るなど、物好きの所業だと集真は考える。
だから、外から騒ぎ声が聞こえるなど誰が予想しようか。
「おい! 人が木に登ってるぞ!!」
「あの巨木に?! 馬鹿じゃないの?」
「誰だよそんなことしてる奴は!?」
どうやら誰かが身の程知らずな行いをしているらしい。しかし集真藍には嫌なアンテナが立っていた。
「まさか……」
集真は巨木の見える位置に速足で向かい、窓から顔を覗かせる。
もはや手先の冷えなど気にならない。彼を想像すれば、寒さなどどうでもよいことだった。
「またやってる……」
校舎の傍に堂々と聳える高さ5メートルの巨木に登る男こそ、ワンダリング同好会部員の鳥居兜であった。
彼の視線の方角——枝先には一匹の小猫。どうやら身の丈を弁えずに登ってしまったらしい。そして今その枝に差し掛かろうとしているに兜も同様に身の程知らずであろう……。
「よーし、こっちおいで」
と兜は優しく小猫に語り掛ける。猫は兜に怯えているのかなかなか寄ってこない。
太い木の幹を囲むように人だかりができている。中には携帯端末を取り出し、2メートル頭上の光景を撮影している者までいた。
兜はそんな野次馬を気にも留めず、自身の身体ほどしかない太さの樹枝にしがみつき進んでいった。
「ほら」
手を伸ばすと、猫は逃げるように飛び降りてしまった。
鮮やかに着地をしそのまま走り去っていく。
置いて行かれた兜も野次馬も突然の決着に呆気にとられていたが、次の瞬間皆が目を丸くした。
バキッ!!
枝が根元から断末魔を上げ落下したのだ。
鈍い音が鳴り響き、誰とも知れないうわずった悲鳴だけが残った。聴衆は、枝に跨ったまま地面に墜落した男を覗き込む。
幸い兜は無傷で済んだようだ。彼の動向を見守っていた学生は安堵の息をついて校舎へ戻っていった。
「ってて……」
一人取り残された青年に、一人の男が黙って歩み寄る。枝を捨てケロリと笑う兜に、猫背の彼は冷たく睨みつけた。
「ああ集真、お前も来てたのか。せっかく助けようとしたのに逃げられちゃってさ……っ?!」
コツンと額に音がした。
「な、なにすんだよ……」
当惑し、デコピンされた額を押さえる身の程知らずに、集真は低い声で言い残した。
「バカ」
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