3月36日 秘めた思い③
おかゆを半分ほど食べた李は、そのまま眠りに落ちていった。
愛らしい。
その一言では片づけられない寝顔が、俺の瞼に焼き付く。天井の明かりが反射し少しばかりてかっている唇は、自分のものと重ね合わせたいと思わせるほどに艶やかであった。綺麗に揃った睫毛——その繊維一本一本が俺を誘う。
女の寝顔とはこれほどに色っぽいのか。
だが一方で、幼さの残る箇所もある。一つは頬だ。赤子のように弾力性のある肌は無意識にでも触りたくなってしまう。あとは指。白く細い手のひらに人差し指でも置いておけば、ぎゅっと握ってくれるのではないかという期待を抱かせてくれる。それこそ、生後まもない子が脊椎反射で握るように。
「かぶと……さま……」
嬉しそうに少女は声を漏らした。
夢でも俺に仕えているようだ。
夢でくらい羽を伸ばしたっていいのに。そんなにもメイドでいたいのだろうか。
外は黒玉に幽閉されたかのような闇に包まれ、月がこちらを覗く。光を求め長く伸びる雲に覆われながらも鈍く輝く上限の月は、何かを企むような怪しげな笑みを浮かべていた。
月はちゃんと満ちていた。
視線を移すと、まだ蕾のままのスモモの木が目に入る。まだ咲く気配はない。3月31日から、この木は何も変わっていなかった。
漫然と辺りを眺めていると、パーカーのポケットから唸るような振動がした。慌てて取り出すと、画面には“黄金茉莉”と表示されている。
李を起こさないようにそっと部室を出たのち、通話の文字に触れた。
「もしもし、兜? 李は大丈夫なの?」
心配しているようだ。それもそうか、いきなり倒れたんだもんな。
「ああ、今は寝てるけどな」
「そう……」
神妙な返答ののち、数刻の間。電話口から、微かに息遣いが聞こえる。
「ね、ねえっ! ……見てないわよね?」
「ん? 何が」
「えっと、うーんと……その……」
しばし躊躇っていたようだが、やがて叫びが鼓膜に轟いた。
「身体よ!! 李の裸!!」
「見るわけないだろ!」
俺にだってリテラシーはある。
「……なら良いわ」
大きく息を吐いて、茉莉は言う。よっぽど安心しているらしい。
「いい? 李の裸は、絶対見ちゃダメなんだからね!!」
それだけ述べて、通話は途切れた。
一体何だったんだ……。茉莉の奴、俺のことを変態とでも思っているのだろうか。
手がすっかり冷えてしまった。
上から羽織っているとは言え、春の夜はまだまだ肌寒い。
部室の扉を開けると同時に暖気が身体を包み、眼鏡がほのかに曇った。
「兜様……」
少し眠って回復したのか、李は布団に入ったまま俺を見やる。
「どちらへ……?」
「ちょっと外に」
「そう、ですか……ケホッケホ」
渇いた咳が口から飛び出す。やはり少し眠った程度では完全に治らないらしい。
「私……メイド失格です。兜様に迷惑をかけて……」
李の瞳が潤む。
「そんなこと……」
こういう時、俺はどうしたらいいのだろう。
……分からないが、何もしないわけにはいかない。
俺は鞄から附子君ストラップを外し、李の枕元に掲げた。そして周囲を見回して誰もいないことを確認したのち、
「ボク、ブシクン! キミハヨクガンバッテルヨ、カブトクンモヨロコンデルヨ!!」
声を上ずらせ附子君ストラップを左右に動かした。
何やってんだろ、俺。
顔が熱い。李の熱が伝染したのかと思える。いや李は悪くないんだが。
すっげー恥ずかしい。やるんじゃなかった。
「…………ふふっ」
口元を押さえ、少女は微笑む。一粒涙を零しながら。しかしその笑みはどこか寂しげで、
「……兜様は、兜様ですね」
俺にはその意味が分からない。ただ目の前の少女は、憂いを帯びた瞳で附子君に手を伸ばす。
「やはり私は……貴方様を守らねばなりません」
附子君を指の腹で撫でながら、優しく李は呟いた。
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