3月35日 わが胸の悲しみ③

 息を切らしながら、俺は部室の扉を勢いよく開いた。後から李と茉莉も到着する。


「おい集真!!」


 声の限り俺は叫んだ。集真は肩をびくりと震わせ、恐る恐る振り返る。


「は、早いねぇ」


 掃除用具入れの前で、集真は言う。俺の剣幕に押されているのか、その返答は少しぎこちない。


「集真、そこをどけ」


 集真の背後に立つ直方体を指さすと、集真はそこにもたれかかる。


「なんで~?」

「なんでもだ」

「やだ~」


 ぷっくりと頬を膨らます集真。傍から見れば美少女なのに、集真だから台無しだ。


「なら条件があるよ~」

「なんだ」

「僕とチューして~」

「はぁ?!」

「いけません」


 俺と、身体を乗り出して口をすぼめる集真の間に李が割って入る。


「兜様をたぶらかすような真似は、私が認めません」

「ええ~でもいいのかなぁ~? バグはどうする気~?」

「では力づくで」


 そう言って李は、袖からナイフを取り出す。


「ストップストップ!」


 さすがに止めた。この部室で人死になんてあってたまるか。


「……分かったよ……すればいいんだろ?」

「そうだよ~」


 恥じらう俺に、集真が口を近づける。

 紅色の唇は潤いを纏っており、ラメであろうか……光を反射し星屑のように煌めいている。整然と揃えられた睫毛の、その繊維一本一本に思わず釘付けになってしまう。

 ふとテーブルに目線を向けると、パウダーだのチークだの口紅だのが散らばっていた。


 こいつは女こいつは女こいつは女……。

 そう暗示をかけておかないと気が狂ってしまう。

 しかし身体が……本能が駄目だと叫んでいる。近づけようにも顔が動かない。


「もぉ~はーやーく~」

「あ、ああ」


 背後の茉莉から「早くして」という圧を感じる。李は何を思っているのだろうか。


 俺は意を決し、集真と同じように口をすぼめた——。


「——っ?!」


 その刹那、集真が俺の身体をガッチリホールドしてきた。指先が服の繊維にめり込んで、肌の温度がほんの微かに伝わってくる。

 やばい、逃げられない。

 あれ、顔ってどうやって動かすんだっけ? 緊急事態に脳がパンクしている。

 口を覆う柔らかい感覚、伝わる口元の水分。鼻から吐き出された息は熱と湿気を含み、意識を急速にぼかしていく。


 しかしそれだけでは終わらなかった。


「んっ、ん~!!!!」


 口内にあったかいものが入ってくる。

 こいつ、舌ねじ込みやがっ……! 

 なんか口の中から音が聞こえてくるんだけど?!

 ちょっと待ってどうしようやばいやばいやばいやばい!!


「……やめ……んぅ」


 一度離れたかと思われた唇が、再び交わる。今度は丁寧に絡みつく。

 視界はぼやけたのは、きっと呼吸をすることさえ忘れてしまっていたからなのだろう。息の吸い方も覚えていない。

 ただ俺は集真のされるがままになっていた。


「んっ……んぅ」


 満足そうに妖美な声を漏らすが、背景と同化する。

 身体の力が抜けていく。

 俺はそのまま、意識を閉ざしていった。

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