3月35日 わが胸の悲しみ②

「じゃ、作戦会議ね」


 そう言って茉莉は、この地区の地図を広げる。

 李の“す”の字も言わない彼女に新鮮さと違和感を覚えた。しかし茉莉曰く、「一時休戦よ、本気の李に勝ちたいもの」だと。確かに、バグの話をしている李は他のものを寄せ付けない殺意的オーラを纏っている。


「見当がつかないな……」

「“バグ”の効果が及ぶ範囲は限られているのですが……」


 茉莉の時は“学校の屋上”と指定されていたから絞り込めたが、今回はそうはいかない。


「にしても、どうして私たちは変わらなかったのかしら?」


 顎に人差し指を付け、首を傾げる茉莉。


「言われてみれば」


 前回は町一帯に効力が働いていた。だが今回は集真だけ、と限定的だ。

 そんな集真はスカートの裾を持ち上げていた。傍に鏡があるというのに向き合うことも忘れているのか、掃除用具入れの前でくるくる回る。


「いいねいいねぇ~」


 上機嫌にまた一回転。


「おい集真―お前も……」

「やっだね~」


 俺の呼びかけに、は舌を出して抵抗する。

 集真じゃなかったら可愛いんだがなぁ。




 部室で決めポーズを取っていた集真を残し部室の外を三人で闊歩する。李は地図を両手で持ちながら、俺の隣を歩いていた。茉莉は李の地図を横から覗き込みながら、彼女の歩幅に合わせて進む。

 人通りの少ない道を歩いているため、せいぜい塀に小鳥が止まっている程度だ。


「“バグ”は、人間の願望が形になるケースもあるようです」


 李は淡々と語る。


「つまり……姿に関係ある望みを持った人に、“バグ”が憑いたってことか」

「恐らくは…………あ」


 李は地図から目を離し、小さく声を漏らした。


「どうしたの?」

「いえ……思い当たる人がいまして……」

「誰だ?!」

「誰よ?!」


 俺と茉莉が顔を寄せながら問うと、李は淡々と言葉を発した。


「私の、幼馴染でございます」




 —枝垂しだれすぐる

 かつて李が住んでいた家のお隣さんらしい。


「彼は自分の身長をコンプレックスにしておりましたので、彼なら可能性として十分にあると思われます」

「なるほどね……」


 しかしどこにいるのやら。


「思い当たる節はあるのか? 李」

「いえ……申し訳ございません。お力になれず……」

「いや、そんなことないって」


 正体が分かったのは大きな収穫だ。確定ではないが。


「家に押しかけてみない? その優って子のとこに」

「容赦ないな」

「しょうがないじゃない、とっとと終わらせたいし」

「……確かに、それしかないか」


 大きく伸びをする茉莉に、俺は首肯で返した。


「では、こちらでございます」


 李はそう言って、踵を返す。彼女の進む方角へと、俺たちも続いた。




 ……結論を先に延べよう。いなかった。

 彼の家だけではない、彼がよく訪れていたらしいスーパーや公園、その他施設も全て回ったが、彼の姿は見当たらなかった。


「というか、姿を操れるってことは、俺たちを撒くこともできるってことだよな」


 李の記憶にある枝垂優と異なる姿でうろつけば、彼女も認識できまい。


「それは……確かに」

「じゃあどうするの? このまま諦めて帰れって言うの?」


 琥珀色の斜陽が俺たちを照らす。もう日が暮れそうだ。

 集真も帰っているだろうか……?




 うん……?

 掃除用具入れの前で踊っていた友人が浮かぶ。


 瞬間、頭の中で絡み合っていた糸がするりと解けた気がした。


「兜様?!」

「ちょっとどこ行くの!?」


 太陽を背にして、俺は足を速める。荒い息遣いが耳朶に響き、身体の前側に冷やされた風がぶつかった。

 後ろから足音が聞こえるが、構わず俺は駆けていた。

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