3月33日 可憐な愛情④

 重力異変は幕を下ろした。急に重力が戻ったことで複数名怪我人が出たらしいが、いずれも大事には至っていないらしい。


「その子が、異変の元凶? 見る限り普通の子なんだねぇ」


 合流した集真が、興味深そうに渦中の少女を見つめる。


「んー、んー!!」


 茉莉は手足を粘着テープで縛り上げられ、口も塞がれた状態で座らされていた。黒ずんだ瞳は元に戻ることなく、オッドアイのまま。李曰く、“バグ”自体は駆除できたものの跡が残ってしまったのだと。


「なあ李、何もここまでしなくても」

「いけません、この人は兜様に酷いことをしたのですよ」


 そう言いながら、大正メイドはテープの筒を袖の中にしまう。


「それは、俺の不注意が原因だったっていうか……」


 俺が端末から手を離さなければ、重力プレスに遭うことは恐らく無かっただろうし。


「いえ、行動を共にできなかった私に責任があります」


 李は深々と頭を下げた。申し訳ないという感情がひしひしと伝わってくる。


「ん! ん!」

 

 李を睨みつけ何やら騒ぐ茉莉。俺は見かねて、茉莉の口に貼りついたテープを剝がしてやる。


「ぷはっ、これで勝ったと思わないことね! 李!」

「はあ……」


 李は明らかに面倒くさそうにしている。柔和だった顔に辟易の文字が浮かんでいるのだ。


「貴方見る限りメイドみたいね。だったらアタシもメイドになるわ!」

「……はい?」


 李は困惑している。いや、正直俺も訳が分からない。どうしてそうなるんだ。理論が飛躍してはいないか。


「アタシが貴方以上に、兜ってヤツに尽くせたら勝ちってこ……むぐっ!」


 李は言い終える前に粘着テープを茉莉の口に貼ってしまった。


「ん~!!!!」

「やはり黄金茉莉は害悪……兜様。この野蛮人を山に捨ててきてもよろしいでしょうか」

「誰が野蛮だって?」

「ねえ茉莉ちゃん、僕には尽くしてくれないのぉ?」


 茉莉は興味なさげに集真を一瞥したのち、再びライバル心むき出しの視線を李に向けた。李はその眼差しを躱し、茉莉を再び持ち上げようと力を籠めるが……、


「ふっ、う……っ!」


小さな身体が小刻みに震えるだけであった。






 琥珀を溶かしたような、橙色の夕日が地平線を染めている。電線に留まる烏を見て、異変の収まりを改めて感じた。

 日が暮れているというのもあり空気が冷えてきた。春とは言えまだ寒い日もあるのだ。


「今日は大変だったな」

「はい、ですが兜様が無事で何よりです……くしゅ」


 少女のくしゃみが聞こえた。

 小さく細い手で口元を押さえ、いじらしい音を立てて。

 この時間帯の風は澄んでいて混ざり気がないのだが、その分身体の芯にくるものがあった。


 俺は羽織を脱いで李の肩にかける。


「お、恐れ多いです……!」


 と、突っぱねられてしまったが、


「いや、俺は大丈夫だから。それにお前が風邪でも引いちゃ、メイド業も務まらないだろ?」


 もっともらしい理由で押し切る。


「で、では……」


 恥ずかしそうな微笑みを湛え、李は上着に手を掛ける。


 李を見ていると、無性に守りたくなる欲に駆られる。庇護欲、とでも言おうか。なぜだろう。本能的に……守らねばならないと思えてしまうのだ。今回は思いっきり守られてしまったが。


「お優しいですね、兜様は」


 顔を綻ばせ、少女は笑う。

 その表情は、俺の中のあらゆる邪念や煩悩を溶かしつくしてしまうようだった。雨上がりに、灰色の雲の隙間から差し込む光を思わせる。決して眩くはないが、人に希望を与える確かな一筋の輝き。天使と言えば陳腐な例えだが、それ以外の形容ができない。


 そうだ。

 彼女の笑顔が、ただただ愛おしかった。

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