3月33日 可憐な愛情②
「様々な物が宙を浮く現象が発生。専門家によると、重力が不安定になっているとのこと。人体への影響は確認されていないものの、外出は控えることが推奨される」
インターネットのニュース記事を読んでいたのは、ワンダリング同好会部長の集真藍だ。
「ていうか明日からお祭りじゃ~ん」
「集真、今はいいから」
他のニュースに飛び移る集真を咄嗟に引き戻す。
李はそんな俺たちを他所に、給湯器から急須にお湯を注いでいる。その所作は非の打ちどころがない。だが時折窓の外を気にしている。やはりこの異変が気になるのだろう。
入ってくる風は心地よい。そう、気持ち良いのだ。しかし俺たちの誰一人として、窓は開けていない。
「それよりさ。昨日までガラス割れてなかったよな」
「そうだねぇ、この果たし状がきっとヒントだよ~」
机の中央には白い封筒が置かれ、その表面には生き生きとした文字で“果たし状”と書かれていた。
「というかもろ答えだろ! 果たし状を置くためにわざわざ窓割って突撃したんだよ!」
「あはは~」
「笑ってる場合か。で、なんて書いてあるんだ」
「んとねぇ……あ、これ李ちゃん宛だ」
「私に……ですか」
お盆に俺の分の茶を乗せて来た李はきょとんと首を傾げる。
「デバッカー李。学校の屋上で待つ、必ず来い……だってさ」
李の表情に緊張の膜が帯びた。
「デバッカー? ってなんだ?」
「私から説明いたします」
俺の前にコップを置き、李は真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
「私……花咲李は、この世界の秩序を守る使命を有しております。それがデバッカーとしての役割です」
「秩序?」
壮大な単語に思わず俺は問い返す。
「この世界の歪み……“バグ”を駆除することで、この世界の平穏を保つのです」
「ちょっと待った」
手のひらを突き出し、李の話を制止する。
「その“バグ”って何なんだ?」
李はお盆を、自分の胸に押し当て答えた。
「世界の歪み……言わば逆らえぬ天災にございます」
「天災?」
地震とか山火事とおんなじ扱いだっていうのか。
「で、今回は人間に“バグ”が憑いちゃったってところかなぁ」
集真は呑気に語る。李に茶を淹れてもらえず、結局自分で注ぐ様はどこか寂しそうであった。
「憑く? というかなんで二人ともそんなに詳しいんだ?」
「え? フツーじゃない~?」
青い瞳が、これぐらい知っていて当然だと告げている。
「たま~にあるんだよね、“バグ”が憑いて能力が現れるのって。でもこんなに大規模なのは初めてかも」
聞いたことがない。……いや、都市伝説を取り扱った雑誌に以前特集されていた気がする。ピントずれした写真に、黒い影が映っていた。だがそれは、知る人ぞ知る都市伝説扱いだった。少なくとも日常的に、さも当然のように取り上げられるものではなかったはずだ。
俺の認識が間違っているのか。これも4月が来ないのと関係しているのだろうか。
「李は、その能力者も退治するのか?」
「はい。能力を宿した人間の一部は興奮状態にあり、自制が効かなくなるので」
今回はその“一部”ってことか。
少女の瞳は既に能力者の討伐に向けられていた。鋭い眼光はあらゆるものを黙殺できそうだ。
「デバッカーかぁ……聞いたことはあるけど、まさかホントにいるなんてねぇ」
しみじみと李を見つめる集真。しかしその眼差しを意に介することなく、李は俺に向き直す。
「ですので、兜様はここでお待ちください」
慇懃な礼。安心感をもたらす仕草だが、そこで終わってはいけない気がした。
「俺も行かせてくれないか」
俺は立ち上がり彼女の方を向く。
「いけません、貴方様に危険が及ぶような真似など……」
彼女の言うことは正しい。昨日俺は何もできず、ただ怯えていただけだった。それに比べて李はどうだっただろうか。獅子奮迅の勢いで、冷徹な視線で“バグ”を切り伏せた。ついていっても確実に足手まといになる。
「……俺、昨日“バグ”に刺されたとき、変な夢を見てさ」
泣きじゃくる少女が朧気ながらも想起される。
「それが4月を取り戻すヒントになるかもしれないって思うんだ」
困り果て答えかねている李に、
「僕からも良いかなぁ? これ、どこの学校のことなんだろうね」
集真が尋ねた。
「そりゃこの部室にきたんだから、この学校だろ」
「ど~かなぁ。この辺学校多いじゃん?」
中学が一つ、高校が三つ、さらには大学が一つ。文教地区とは言え、結構な数の学校がそろっている。確かに、果たし状の文言だけを見ると、どの学校かは分からない。
「だからさぁ? 協力して探した方が効率良いと思うんだよね」
「それは……そうですが」
「李」
俺は頭を下げて懇願する。
「そんなっ、頭を上げてください」
困惑した表情で李は告げる。
「分かりました。でもご無理はなさらないでください。能力者は身体のどこかが黒ずんでいるはずです。見つけたら必ず報告をお願いします」
彼女は袖から携帯端末を取り出す。番号を交換したところで、捜索が始まった。
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