2章 美少女戦士・啓蒙編 開かれた世界、その瞳は何を映す

第21話 新・日常




 朝、芽能めのう頑馬がんまは自室のベッドの上で目覚めた。


 思考は冴えていて、とてもじゃないが寝起きという感じがしない。なんだかずっと起きていたような気もする。


 ともあれ、思考は明晰――朝だ。今日は平日、学校がある。起きよう。


「…………」


『…………』


 部屋の隅に、メイド服を着た女性がひっそりと佇んでいた。


(……夢、か?)


 気づいた時には思わず声を上げそうになったが、不意に冷静になる。


 そちらに注意は向けたまま顔は正面に戻し、頑馬は頭の上にあると思しきソレに手を伸ばした。ぬいぐるみのような柔らかな感触のソレを目の前に持ってくる。ちょうど、小さい子を「高い高い」するような格好になった。


「のじゃ」


 手のなかに感じるのは、おひさまのような温もり。浴衣みたいな白い布を身にまとった、半透明の二頭身幼女――〝のじゃロリさま〟だ。


(のじゃロリさまは、あっちの方だよな。『よっさま』……じゃあこっちは〝のじゃロリさま〟のままでいいか。でもこいつ、俺の『御使い』なんだよな? パートナー的な……チビロリ……は、〝頭痛が痛い〟みたいになってるな。ちびのじゃさま……)


 そうだ、お前の名前は今日から〝ちびのじゃ〟だ――と、ここまでが現実逃避。


「……で、ちびのじゃ――あれは?」


 視線でそちらを窺う――部屋の隅、何もないところに姿勢良く立っている。黒のブラウスの上から白いエプロンドレスを身に着けた、長身の女性だ。

 短い金色の髪に、ちょこんと乗ったホワイトブリムがよく映えている。目を伏せるようにしているためはっきりとは分からないが、瞳は青く、日本人離れした顔立ちをしているようだが、顔の下半分を黒いマスクのようなもので覆っているためやはり詳細は不明。


 なんにしても、知らない人である。まったく知らない赤の他人が、まるでそこにいるのがさも当然であるかのように、なんなら家具の一つであるかのような超然とした佇まいでそこに居る。


 そして、焦点を合わせると――うっすらと、向こうの壁が透けて見えるのだ。


「のじゃ」


 ちびのじゃの〝点〟のような黒い目にはなんの感情もなく、太いペンで横に引いたような〝線〟にしか見えない口はぴくりとも動かないにもかかわらず、どこからか声がする。しかし、相変わらず言語にはなってはいないが――


『――あれは、「屋神やがみ」じゃ。〝座敷童〟みたいなものと思えば分かりやすいじゃろう。〝家内安全〟を司る『守り神』の一種……街の『守り神』の〝部下〟のようなものじゃ』


 ちびのじゃを見つめていると、思い出す。


『おもな役割は家主の留守を預かり、家主の許可なく立ち入ろうとするモノを阻むこと。他にも、そうじゃのう、たとえば家主がガスの元栓を閉め忘れて外出したとする。それを家主に〝思い出させる〟ことで事故を防いだり、力のある「屋神」であれば自ら元栓を閉めることもあるのじゃ』


 ――そうだ、昨夜……時間的には既に今日、夢のなかでそのような説明を受けた。あの時ははっきりとした姿が見えず、ぼんやりとしたシルエットだけが部屋の隅に佇んでいたのだが――


『たいていの家に憑いているが、どれも力の弱いものばかりじゃ。しかし今回は特別に、余が力を与えてやろう。寝込みを襲われても困るしのう。……あれの姿はその家の人間のイメージに左右される。オトメンタルと同じ理屈よの。、あれも相応しい姿をとるじゃろう』


 ……なるほど、そういうことか。ではこのオーソドックスなメイド服は……。


(〝お手伝いさん〟的な存在って聞いてたから――俺のイメージ……? 俺はメイド好きだったのか……)


 ともあれ、『屋神』である。家の守り神として、物質的、魔法的な多方面からこの家を守ってくれるのだそうだ。寝込みを襲われないというのはつまり、『魔女』をはじめとした〝敵〟からの襲撃にも対応できるということだろう。


 身体が透けているから、このメイドの姿は頑馬と綾心にしか見えないものかもしれない。現に、時間を確かめようと枕元のスマホを見れば、綾心りょうこからメッセージが入っていた。


『家に知らない人いるんだけど』


『がんま関係?』


 俺関係なのか……、と改めてメイドさんの方を窺う。相変わらず目を伏せているため表情は分からないが――


「て、近っ!?」


 いつの間にか、すぐ横に立っていた。音もなく気配もなく、なんなら匂いも体温も感じさせず――すっと、手にしていたハンドタオルを差し出していた。


(コワっ……。目に光がない。何考えてるか分からない。でも美人だ――)


 なんというか、〝圧〟を感じる。


(喋らない……喋れないのか? 何が言いたいのか分からんけど――)


 受け取れずにいると、メイドがタオルを押し付けてきた。頑馬の顔に、ぐいぐいと――なんだろう、意味が分からなさ過ぎてコワい。固まってしまって動けない頑馬は、メイドのなすがままにされていた。額や頬をごしごしやられる。


 そうしていると、だんだんとメイドの目的が分かってきた。


(変な夢見たせいで……)


 どうやら汗をかいていたようだ。そうされるまで気付かなかったあたり、まだ寝ぼけていたのだろうか。それとも――


(身体の感覚が……)


 ごしごしされるたび、タオルが肌に触れているという感覚がはっきりしてくる。


(……そうか、『美少女体』に慣れ過ぎると、今度は生身の感覚が麻痺してくる――〝切り替え〟する意識を覚えないと……)


 ごしごし、ごしごし。顔から首へ、服のなかにまで手が入る。……されるがままになっていたが、病気でもないのにこれは――しかも、半透明とはいえ相手の見た目は大人の女性である。ベッドの上という状況がとてもマズい。


(メイドさんというより、ナース……)


 汗を拭ってくれていたメイドの手が、下の方に伸びる。


「ちょぉっ……! エロ幼女の影響受けてますかぁ……っ!?」


 とっさに飛びのいた。


「いやもう大丈夫ですから! 別に下はなんともないので!」


 ……大丈夫ではないかもしれないが、ともかくそれはマズい。なんというか、『美少女戦士』的にアウトだろう。


(う――でも、ちょっと……)


 思春期真っ盛りの男子として避けられない欲求が理性を圧倒しようというところで、


「のじゃぁ」


「あっ、今こいつ俺のこと笑ったな!?」


 別の感情で上書きし、なんとかその場をしのいだ。


「いや、あの、着替えるので……! 出来れば出ていってもらえると!」


『…………』


 メイドは無感情な瞳でこちらを一瞥すると、すっと――音もなく後ずさり、滑るような動きで壁の方まで後退する。まさかそのままそこに居座る気かと思えば、そのまま壁の向こうへ消えてしまった。


「……ふう……」


 これから毎朝こんな想いをすることになるのだろうか。いつまでもつだろう、理性。


 ただえさえ――




 着替えを済ませて頑馬が一階リビングに降りると、両親に代わって頑馬の面倒を見てくれている養父母が――綾心の両親が、食卓についていた。

 頑馬がやってきたのを見て、おばさんが立ち上がり、白米をお椀によそってくれる――おはよう、おはようございます、と挨拶を交わす。家族同然、慣れ親しんだ間柄だ。

 しかしそれでも多少の遠慮はあるし、時には気疲れもする。今日からはリビングの入り口にひっそりと佇むメイドさんがそれに加わる。こちらは何も言わず気配もないが、だからこそ気付けば近くにいるという状況に驚かされる。


「そういえば、」


 と、新聞を読んでいたおじさんが顔を上げ、頑馬を見た。


「綾心の様子が変だったんだが、ケンカでもしたのか?」


「え? ん――」


 様子が変だったのは、あのメイドのせいだろう。朝起きて、まったく知らない赤の他人が家のなかにいれば誰だって挙動不審になる。頑馬と違って綾心の場合、なんの説明もなかったのだから致し方ない。


「昨日も二人して遅く帰ってきてたし」


 と、席に戻りながらおばさんが言う。じーっと、二人の視線が頑馬に注がれた。

 ただえさえ気難しい子なのに、お前なにしてくれちゃってんの、という目だ。


「えー、俺なにもしてないんだけど――」


 先に登校してしまった綾心が恨めしい。何か言い訳を考えなければと朝から思考を巡らせていて、ふと気づく。


(おや――昨日は『蟲』がいたのに……)


 養父母の頭上に、その姿が無い。メイドはいるが、『蟲』は見当たらない。これが『屋神』の力、〝家内安全〟というやつなのだろうか。


(プラマイゼロな気もするけど……目には優しいかも)


 グロテスクな謎生物よりもメイド服姿の美人の方が良いに決まっている。


 それはそれとして――


「あ、そういえばガンちゃん、ご飯はやく食べちゃってね」


「?」


「お友達が迎えに来てるわよ。イケメンの」


「イケメン……?」


 そんな友達に覚えはないのだが――この世の中で〝イケメン〟という言葉が使われるとしたら、それが指すのは一つだ。


 かくして――頑馬が登校の支度を整えて家を出ると、家の前の通りに、ひと際目立つ金髪の青年が待ち構えていたのである。


「芽能頑馬だな?」


 誰あろうその人は――


竿留さおとめ実継みつぐ……!)


 ――『魔女』の息子、その人である。


「この俺さまと登校する栄誉をお前に与えてやろう!」



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