第20話 夜伽 - 余白/夜の運動会
――その夜、
いろいろあった一日が、ようやく終わる――シャワーを浴びて、ご飯を食べて、そしてベッドに入ると、疲労感が一気に押し寄せ、頑馬はすぐに眠りについた。
就いた、のだが。
…………。
「……?」
眠っている。そう自覚している。ベッドの上で、まぶたを閉じている。
にもかかわらず――天井を見つめている。
身体は、動かない。視界も、ずっと天井で固定されている。眠っているのは確かだと分かるのに――眠っていることが分かる、と思考している不思議。
部屋は暗い。頑馬の眠るベッドは窓際にあり、薄いカーテン越しに外の明かりが――月が街灯か判然としないが、うっすらとした光が差し込んでいる。
そのため、暗い室内だがどことなく透明感があって、どこに何があるのかという輪郭がつかめている。まるで水の中にいるような感覚。闇に目が慣れたとか、自分の部屋だから想像できているとか、そういう次元ではない――いや、そういう次元にいるのか?
「ほう」
――と、
「直感は冴えているようじゃのう。それとも〝直観〟かの? まあ、いずれにしても……〝勘が良い〟と言っておくのじゃ」
「!」
声がしたと思えば、ベッドの上で仰向けに横たわる頑馬の上に――つまりそのお腹の上に、誰が載っている――その〝重さ〟を感じる。
突然だった。突然目の前に姿が現れ、それを理解するより早く体重が生じた。上からグッと押さえつけられるような感覚。じんわりと、布越しにお腹の上に熱が伝わる。
「の、のじゃロリさま……?」
こちらの顔を覗き込む、その――お団子にした髪が特徴的なシルエットはまさしく――
「言ったじゃろう、枕元に立つ、と」
「???」
立ってないのだが? とか、あれ〝のじゃロリさま〟ってこんなんだっけ? とか――疑問符で頭のなかがいっぱいになる頑馬に、
「ふむ。さすがに時間を喰いすぎたようじゃの。まだ完全には余とのあまーいひとときを覚えてはいないようじゃ」
「???」
「まあよい。追々、思い出せばいいのじゃ。必要になればおのずと記憶は甦るじゃろう。〝この時間〟も、夢か何かと〝一緒くた〟になって明瞭に記憶は出来んじゃろうが……」
頑馬は顔を上げる――首を傾けてお腹の上に座る〝のじゃロリさま〟を確認することは出来るが、身体の他の部位は動かせなかった。なんなら頭も動いていないのかもしれない。この幼女が……布を継ぎ接ぎしたような白い衣装に身を包んだ女の子が何を言っているのか、まるで呑み込むことが出来なかった。
「これも追々、じゃ。少しずつ慣れるとよい。さすがに〝睡眠時間〟を喰うから毎晩という訳にもいかないからの」
「え、えーっと……?」
「今宵はちょっとした挨拶程度で済ますとしようかの」
そう言って、ぱたぱたと、頑馬の胸のあたりを小さな両手で叩く。痛くはないが、なんだかドラムにでもなった気分。やや前かがみになって、こちらの顔を覗き込む〝のじゃロリさま〟。
「今の余はの、お主に与えた〝
「は、はあ……」
「じゃから、〝この時間〟の大部分はお主のなかで〝夢〟として処理されるじゃろうが、大事なことは頭に刻まれるようにきちんと吹き込んでおくからの、安心するといいのじゃ」
よく分からないが、これは、夢――夢であると自覚している、夢。いわゆる〝明晰夢〟というやつなのだろうか?
「そういう認識でよい。ここも一つの『狭間』――夢とうつつの
むふ、と何が面白いのか口元を片手で隠し笑う〝のじゃロリさま〟。
「あ、そうだ……。いや、なんかよく分からないんだけど――きみ……、あんた、名前は?」
「ふむ。まあ言っても憶えられんじゃろうが、便宜上必要かの。余の名前は――」
――■■
「あれ、その名前どこかで――、」
「まあ、
「よっさま……」
前にも聞いた覚えのあるフレーズだ……と、頑馬の記憶は漠然としているが、その呼称を薫子が口にしていたこと自体は記憶している。ただ、〝この時〟は〝現実〟の記憶との連続性が〝緩い〟ため、今日の――既に昨日となった日に起こった出来事について、全てをはっきりと思い出せる状態ではなかった。
「ともあれ――お主は明日……夜が開けてから、学業を終えて放課後、薫子たちと落ち合って〝修行〟を始めるのじゃろう?」
「そうだ……なんか、いろいろ教えてもらう予定になってる……」
「まずは『美少女体』に〝慣れる〟訓練から始めるじゃろう。魔法だの戦闘だのなど、産まれたばかりの赤子に出来るはずもないからの」
「赤ちゃん? 俺のこと?」
「そうじゃ。人体の動かし方である以上、誰に言われるまでもなく自然と理解するものじゃが――だからこそ、改めて〝慣れる〟必要があるのじゃ。なにせ、ことは『美少女体』の話。お主はこれまでの十数年とはまったく異なる〝身体〟を使うことになるのじゃから」
「そう言われれば、そんな気もするけど……でも、割と普通だったような?」
「激しく運動すれば、問題はいろいろと出てくる。たとえばお主、自分の〝耳〟は動かせるかの?」
「耳? ……いや――そういう、特技? がある人は、テレビなんかで見たことあるけど、俺は……。今やろうとしても、コツが」
「そう。生まれてこのかた扱ってきた自分の身体でも、構造上は動かせるかもしれない部位の動かし方、力の入れ方というものを全て把握している訳ではない。コツが掴めない、というやつじゃ。お主は自分の身体であっても、未だにコツが掴めていないものがある」
なるほど言われてみてばその通り、いろいろと腑に落ちることがある。
「しかし、コツが掴めれば動かせるようにもなる――これもそういう問題じゃ。お主は、お主の新しい身体となる『美少女体』を動かすコツというものを把握していかなければならないのじゃ」
他にも問題はある、と〝のじゃロリさま〟こと『余さま』は続ける。
「ネコミミだのなんだの言っておったが……あれも、普段のお主の頭にはついていないものじゃ。だから意識せず、その存在をすっかり忘れたまま帽子を被ろうとして――ネコミミが邪魔だと気付く。そういう、〝意識外〟というのが『美少女体』となれば発生する」
特に増えた部位はないが、『美少女体』となった頑馬は普段よりも目線が低くなっている。身長が低くなるのだ。
「ネコミミならまだしも、これが〝尻尾〟だったらどうじゃ? それがあると気付かずにドアを閉じて、尻尾を挟む」
「……意識してないから、事故る? ……角に小指をぶつけるみたいにか」
「そうじゃ。意識はしていなくとも、感覚は繋がっている。ドアに挟めば痛みを感じるのじゃ」
「……え? それじゃ足の小指って、」
「足の小指ことなど知らん。自分でネットなりなんなりで調べればよかろうが……たとえとしては適当じゃな。ヒトの脳は、足の小指の〝位置〟を正確には認識していない、だから移動の際に小指のことを考慮しないのじゃ」
「それでぶつかる、と……」
この幼女、見た目や口調の割に、意外と現代的な知識を持っているようだ。
「ネコミミや尻尾といった、『美少女体』によって〝増えた個所〟にもそうした問題が付きまとう。まあ……お主は特に増えてないからその点の問題はないじゃろう」
「ん……まあ……うん……」
自覚があったので反論も浮かばないが、せっかく〝美少女〟になったのだから、もう少しこう、あっても良かったのではないか自分、とは思う。〝起きている時〟には考えもしなかったことだが、何かこう、いろいろ煩悶してしまう。
「しかしのう、今後増えることがあれば……そうした〝不注意〟が命とりになりかねん。それに何より、激しい運動をしていればふとした瞬間、意識が抜けることもある。これが自分の身体だという実感を失い、〝変身〟が解ける――それだけならまだマシじゃが、場合によれば大事故に繋がりかねん」
それからもう一つ、と『余さま』は指を立てる。
「これが一番重要じゃ。お主も既に体感しておるように、『美少女体』はお主の元の身体よりもよっぽどハイスペックじゃ。つまり、〝力加減〟の問題じゃの。軽く握ったつもりが、手にしたものを握り潰す……なんてこともある」
「体感……?」
そういえば、直後に『
「……確かに身体も軽く感じたけど……あれは薫子さんの服のパワーじゃ?」
そういう話だった、と記憶しているが――
「薫子のつくる着物は確かによく出来てるの。しかし、逆じゃ。薫子の着物はお主の能力を制限するためのものじゃ」
「? なんでそんなこと……」
「別に、お主が特別だから真の力を封印している、とかではないのじゃ」
「あ、そっすか……」
一瞬だけ期待してしまった。
「そもそも『美少女体』というものが常人を逸していての――重力の作用を受けないとでも言えばいいか。軽く跳んだだけで、その気になれば大気圏突入も出来るものじゃ」
「……はい?」
「そして〝変身〟が解けて、宇宙で死ぬ――ということも、理屈の上ではありえるのじゃ」
ありえそうだ、とちょっとだけ実感がもてたから、ゾッとした。
「……まあ、今のは極端な話じゃが、そういう〝不慮の事故〟を防ぐための、薫子の着物じゃ。あれはお主の身体能力を必要なだけの出力に絞るよう、制限をかける。用途に応じて他の装束に替える、という発想も優れているの」
それから、実際の繊維で編まれた衣服であることも、着用者を〝現実〟と繋ぎ留める助け、〝楔〟になる――と、『余さま』は言った。頑馬にはよく分からないが、何やら重要なことらしい。なんとなくわかったのは、「別の衣装カードでモードチェンジ可能」ということくらい。
「まあ、そんな訳じゃ――増えれば不整合があり、異なるものを使うために不都合が生じる。いろいろと問題が起こりかねんからの。〝自分のもの〟と認識できておるから、第一段階は完了。あとはひたらすら身体を動かして、慣れる――『美少女体』に筋肉はつかんが、要は筋トレじゃの。心の筋トレじゃ」
「心の筋トレ……脳筋か?」
なんとなく口にすれば、『余さま』は表情を変えないまま頑馬のお腹の上に体重をかけた。ベッドが軋む、にわかに揺れる。だんだん早く、勢いづく。
「実際の〝肉〟の感覚は、現実に〝変身〟せねば掴めぬが――〝心の感覚〟だけなら、今〝この時〟でもなんとかなるはずじゃ」
「えーっと……つまり? 夢のなかで、〝変身〟する?」
「そうじゃ。現実の肉体まで〝変身〟することはないから安心するといい。こうして〝予習〟しておけば、〝今日〟からの訓練も順調にいくじゃろう」
という訳で――と、ベッドのスプリングを楽しむように身体を前後にゆすり上下に跳ねながら、『余さま』は「むふ」と笑った。
「これから夜の運動会なのじゃ!」
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