第19話 帰宅




 ドアを開いた先には、見慣れた住宅街の街並みが広がっていた。


 頑馬がんまの自宅前の通りである。


 辺りは既に薄暗くなっていて、街灯が灯っている。頑馬の家のポーチにも照明が点いていた。


「じゃあ、また明日ね。明日はクロウが迎えに行くから、『狭間』に入ろうとはしないように。……千種ちぐさに〝結界〟を壊されたせいで、今のあそこはもう無法地帯といっても過言でないんだから。〝鍵〟は明日までに用意しておくわ」


 それだけ言うと、薫子かおるこは部屋の内側からドアを閉める――ほとんど音もなく閉じたドアの表面は、やはりよく見慣れた、頑馬の家の扉だった。


「はあ――」


 と、大きなため息をついたのは綾心りょうこである。二人は玄関前に取り残された――というより、移動してきたのだった。


 現実の、〝はさくら市〟二丁目にあるという薫子の〝拠点〟から――隣町の、頑馬たちが住む〝初芽はつめ市〟への転移である。移動時間の換算は〝拠点〟を基点とするらしく、先の話の通りなら一時間ほどが経過しているはずだ。頑馬にはその実感はなかったが、そこはしっかりしている綾心が、


「ほんとに……さっき出る前に見た時から、一時間進んだ」


 と、スマホの画面をこちらに見せる。〝出る前〟の時間を見ていないのでやはり頑馬には実感が湧かないのだが、綾心が言うからにはそうなのだろう。


「これ、うまく使ったらタイムマシンになるんじゃない?」


「一方通行だけどな……。でも、市内限定なら言うほど未来には飛べないんじゃ?」


「移動しまくるとか。出て、戻って、また別の場所に出て……みたいな」


「恐ろしいこと考えるじゃん……」


 考えるだけでなく、それを〝実験〟してみたい――そんな好奇心が綾心の瞳にありありと浮かんでいる。この幼馴染みにはそういう危うさというか、倫理観とか疑ってしまいそうになる怪しさがたまにあるから、頑馬としては放っておけないのである。


「やめろよ? マジで取り返しつかなくなるやつだからな?」


「ほんの数時間じゃん」


「ほんの数時間でも、だよ」


「数時間ぶん老けたりするのかな?」


「やめろって」


「冗談。それよりさぁ……変身してよ変身!」


 まるでヒーローを前にした子どもみたいなことを言っているが、この子どもの目的はどちらかといえば怪人のそれである。つまり、ヒーローは死ぬ。社会的に。


「いいじゃん、減るもんじゃないんだし」


「何かしらは減ってるし俺の精神も摩耗する」


「でも、他の人には見えないんでしょ?」


 そう、見えない――たとえばこの場で〝変身〟したとして、そのとき偶然お向かいさんがドアを開いてその瞬間を目撃しても――普通の人間には『美少女体』を見ることは出来ないのだ。


〝変身〟すると、頑馬の身体は今いる次元とは異なる次元に移る――あるいは、異なる次元に存在する〝何か〟に覆われて見えなくなる、らしい。

 普通の、魔法とのかかわりをもたない人間でも〝見る〟ことが出来るのは、『美少女体』と同じ次元にいる時……つまり『狭間』に迷い込んだ時などに限られるそうだ。


 いずれにしても、頑馬の姿はこの場から消える訳だが――


を見られたらマズいって話だろ。人目のあるところでむやみにやっていいものじゃないんだよ」


「じゃあ家のなかで、」


「だからぁ……」


 家のなかで何する気だよ、とは言えなかった。人目のないところで綾心がいったい何をするつもりなのか――想像もつかないが、だからこそ変なことを考えてしまう自分がいる。


(あの魔女のせいだ……)


 あの時のあの表情が――「あなたもそういう年頃でしょう?」――その瞬間には言葉の意味を理解しきれていなかった。緊張した状況でもあったから、余計な思考に及ぶこともなかった。

 しかしこうして家を前にして、〝日常〟に帰ってきたのだという実感がじわじわと湧いてきたところになって――「気持ち良いこと、いっぱい教えてあげる」――脳裏に焼き付いた情景に、身体の内から起こる熱を感じて、落ち着かなくなる。


「まあ、帰るまでが遠足か」


 綾心が何を言っているのか、すぐにはピンとこなかったが――


「そ、そうだよ、今もどこかで……見張ってるかもしんないじゃん」


 ――〝変身〟すれば、頑馬は別の次元に移ることになる。そうなると、『魔女』に攻撃される恐れがあるのだ。


 というのも、『蟲』や〝三獣士〟といった〝敵〟の基本的な活動範囲が『狭間』をはじめとした〝異相の次元〟――いま頑馬たちの立つ〝現実〟とは異なる別の次元に限定されるためだ。つまり、彼らと同じ次元にいなければ、彼らは頑馬に……ひいては魔法とのかかわりを持たない人々に手出しすることが出来ないのである。

 

(少なくとも〝物質的〟な手出し……攻撃はしてこない)


 でなければ、あんなことがあった後に、こうもあっさり頑馬たちを護衛もなしに帰すはずがない。いくら暗がりのなかほのかに発光している〝のじゃロリさま〟が頭の上にいるとはいえ、だ。


 しかし逆に言えば、〝変身〟し同じ次元に入れば、むこうは好きにこちらへ攻撃できるようになる訳だ。

 そのため〝むやみに変身してはならない〟と固く言い含められている――のだが、


(こいつ……リョウめ、〝敵〟が襲ってきたら〝変身〟解いて逃げればいい、とか考えてんだろうな……)


 実のところ、ひとに〝変身〟させて何をする気なのか……薫子のつくった衣装にも興味を持っていたようだが――


「そういえば、薫子さんって有名なん?」


「知る人ぞ知る、って感じ。ネットを中心に有名なデザイナー。この前なんか〝TWC〟にも薫子さんのデザインした服が出展されてたみたいだし」


「てぃーだぶりゅーしー」


 トーキョーワールドコレクション、の略らしい。世界中の有名ブランドがそれぞれの新作を持ち寄るファッションショー、とのこと。なるほどそれだけ聞くとなんだかすごい人だという気もしてくる。


「いやぁ、名前聞いて〝まさか〟とは思ったんだけど――本人を見たことはないけど、見た目がイメージそのまんまっていうかで――」


「ほう……」


 なんだかよく分からないが、綾心が珍しく、思い出して興奮していることだけはよく伝わった。


「その〝魔法カード〟」


「これ?」


 頑馬が首から下げているカードケース――〝変身〟する時の必需品だ。


「ちゃんとブランド名を出して売れば、けっこうなお値段になると思う」


「……売る気かキサマ」


「それだけ価値があるってこと。しかも能力強化パワーアップ出来るとか……、魔法?」


 そりゃ魔法少女だからな、と相槌を打ちつつ、綾心の発言には思考の飛躍が含まれていることは理解している頑馬である。この場合は、「薫子さんのブランドが人気なのは魔法の力か?」といったところか。


「いや、さすがにそんな、見た目以上の実用性もった服なんて、世のなかに出しちゃマズいだろ……」


「いや、分かるけど。……ところでそれ、私が着ても〝大ジャンプ〟出来るようになるのかな?」


「知らんけど……というかそもそも着れるのか?」


「『美少女体』とは〝別〟でしょ? ……なんで体っていうんだろね?」


「さあ……?」


「その服も原理的には『美少女体』と同じだとしたら……私の今着てる服の上に〝身にまとう〟ことになる訳で、その場合ってどうなるのかな? 周りの人には〝服〟が見えてるのかな、それとも身にまとった時点で私も〝向こう側〟に行く? 一部透明化……?」


「次々と疑問が生まれるやつだな……そしてもう独り言だな?」


 なんだか当事者である頑馬よりも理解が及んでいる様子である。実験大好き女子高生には困ったものだ。このままでは日が暮れてしまう――


「というかもう夜じゃん。なんで俺たち家の前でいつまでも立ち話してるんだよ」


「ん」


 視線を落としてぶつぶつ言っていた綾心が顔を上げる。


 かくいう頑馬も、自分からドアを開けようとはしない。普段より帰りが遅くなったことへの言い訳を考える――いや、それこそ言い訳になるだろうか。


(なんだろう、足が重い……)


 気持ちが進まない。

 身体というより心がとても疲れていると感じる。だから早く家に帰ってベッドに倒れこんだり、シャワーを浴びてさっぱりしたい、なんならお腹も空いている……家に帰りたい気持ちは、普段よりも遥かに大きい。


 にもかかわらず、なぜだろう――〝不安〟にも似た感情が胸のうちを占めていた。


 たとえば、このドアの向こうは本当に〝いつも〟の自宅だろうか――家に帰ることで、自分たちの置かれた状況に家族を巻き込んでしまわないか。いやそれ以前に、既に家族の身に何かあったとしたら――


 それから、なんとなく――〝一日〟が終わることへの、一抹の寂しさ。


 コワい想いはしたけれど、それも喉元過ぎればなんとやら、だ。痛い想いをした訳でも、その後遺症もない。いたって健康、ぜんぜん無傷。二人とも昨日までと変わらず、いつものように帰宅できるということ。日常という当たり前。


 昨日までも、そして今現在も〝平和〟だからこそ――つい数時間前からの〝非日常〟が、とても特別で、刺激的なものに思えるのだ。


 それこそ〝そういうお年頃〟だから――たとえばそれは楽しかった遠足で、家に帰ってしまうとその〝特別な時間〟が終わってしまう、という――


「まあ、明日から本格的に、いろいろ教えてもらう訳だしな」


「ん」


 どちらからともなく、ドアに手を伸ばした。


 ――『葉食はばみ家』は、四人家族だ。


 綾心と、その両親。そして遠い親戚の芽能めのう頑馬の四人である。



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