第18話 事後




 ドアを閉めて――薫子かおるこは室内に背を向けたまま、しばらくその場から動かなかった。


 額をドアに当てて、静かに深呼吸を繰り返している。


 ドアの向こうからは、何も聞こえてこない。


「……まったく――」


 沈黙に満ちた室内にまず響いたのは、〝変身〟を解いた青年のため息。


 クロウは頑馬がんまに意味ありげな視線を向け、


「無茶なことをしてくれたもんだね、君は――」


「いや、でも……俺のお陰で、助かったでしょ」


 自分で言っていてなんだが、自分が「助けた」という実感は薄く、どうにも白々しく聞こえる。自分の行動によりクロウが助かったことは事実でも、自分がそれをしたということがまるで夢か妄想のように、振り返ってみても確信が持てない。


「……死ぬかと思った」


 そうつぶやいて、クロウはその場に座り込んだ。膝から崩れ落ちるように、ほとんど尻餅をつくような格好だった。


 その様子を見て、クロウから少し離れたテーブルに手をつく頑馬は、今になって自分のしたことの――つい数分前まで〝外〟で行われていたやりとりの重大性を思い知る。


(死ぬ……)


 椅子を引く音がした。恋無れむが所在なさげにしていた綾心りょうこに座るよう促してから、奥の厨房へと姿を消した。再びその場に静寂が降りる――奥から、かちゃかちゃと食器の立てる音がする。


(殺すとか、なんとか……)


 日常で耳にしない言葉が――フィクションからは感じられないような本気を込めて、しかしごく当たり前のように交わされていた。


 ……事前に、薫子と千種ちぐさを取り巻く状況は聞かされていた。理解していた、つもりだった。しかし〝こと〟はより深刻で、より――


「まったく……まったくよ」


 薫子がようやく顔を上げた。


「寿命が縮んだわ。健康に悪い。こんなの……ほんと、〝のじゃロリさま〟様様よ」


 振り返った薫子は頑馬を睨んでいた。戸惑う頑馬だが、ばつの悪さは感じている。


「それはこっちのセリフだ」


 がらがらと音をたてながら給仕用のワゴンを運んできた恋無はといえば、薫子に向かって顔をしかめてみせる。


「千種が言っていた通りだ、あの状況はほとんど〝詰み〟だった。なのに、自分から前に出るなんて――」


「……退くわけにもいかないでしょうよ」


「そうやって君が意地を張るから、いつもややこしくなるんだ……。まあ、悪いのは百パー、あっちだが」


「そうよね! イカれてるのよ! まったく――今日という今日は、本気で正気を……自分の目と耳と五感の全てを疑ったわ!」


 薫子は肩をいからせながらどかどかとワゴンに歩み寄ると、恋無の淹れた紅茶に遠慮なく口を付ける。カップ片手に、薫子は近くのテーブルに腰かけて足を組んだ。その横の床ではクロウがやや気まずそうに顔を伏せている。


「ふう――」


 再び紅茶を口に含んでから、ようやく気分が落ち着いたのか、薫子が大きな息をもらす。


「まあ、君も座るといい」


 恋無に促され、頑馬は綾心の隣の椅子に腰かける。テーブルの上に湯気を立てるティーカップが二つ。恋無は自分のぶんのカップを手に取ると、スポーツドリンクのボトルをクロウに向けて放った。俯いたまま、クロウはそれをキャッチする。


「とりあえず、一難去った訳だ。今後のことは今はさておき、全員無事に戻れたことを喜ぼう」


 その言葉で、その場の緊張がわずかに弛緩した。頑馬も綾心も、目の前に出されたカップに手を伸ばす。


「正直、今回は想定外だった。……いや、可能性としては常にあったんだ。ボクたちが目を背けていただけで……。たとえばそれは、たまたま早起きして観た、朝の星座占いで、自分の星座が最下位だったような……そういう不運だと、捉えよう。起きたことは仕方がない」


 とても身近でありふれた不運のたとえだが、その割には命懸けのトラブルだった。


 ……むしろ、なぜその可能性を省いていたのか、脅威が過ぎ去って落ち着きを取り戻した今、そちらの方ががぜん気になった。


 と、こちらの疑問を察したのか、


「魔法少女や美少女戦士は、不純異性交遊をしてはならない――その話は、したわね」


 はっきりそう言われた訳ではないが――いや、なんならより直截的に忠告された気がする。そういえばその際に、どさくさに紛れて何か――


「ヒトとして、生物としての全盛期を迎えた……役目を終えたものとして、魔法少女や美少女戦士は力を失うの。より正確に言えば、『守り神』から受け取った力が漏出するようになる。万全には使えず、ムラが出てくる――〝変身〟なんかしてたら、特にそれが顕著になる」


 それはたとえば、10%の力を使おうとして30%出してしまうとか、逆に30%を使おうとした時にそこまでの力が出せない、といった――戦力としてはクロウよりも上回るのは確かだが、不安定で、常に〝強い状態〟を維持できるとは限らない。

 つまり、〝隙〟が生まれる恐れがある――


「いくら若い女の子を集めて、力を蓄えているとしても……」


 ……そのあたりの話がちょっと気になるのだが――


「どうしたって、無駄が多くなる。よっぽどな重大事でもなければ、〝ラスボス〟自ら表に出てくることはない、と……高を括っていたのね」


「……実際、これまで表に出てくることもなかったからな」


 よいしょ、と恋無が頑馬たちの向かいの席に座る。


「……ね」


 と、綾心が横から小突いてきた。なんとなく、頑馬にも言いたいことは分かった。


 竿留さおとめ千種には、子どもが二人いると聞いた。一人はご存知、『唯一イケメン』竿留実継みつぐ――しかし、綾心の気になったことは頑馬の想像とは違っていて、


「……高校生の息子がいる、年齢?」


 すぐには何が言いたいのか分からなかったが、綾心がちらりと薫子に視線を向けるのを見て、合点がいく。


(確かに……)


 薫子は二十代くらい……だろうか。少なくとも、三十代には見えない。

 薫子と千種は同級生だというが――そうなると――


(美魔女……?)


 今更だが、どうなのだろう。先ほど目にした竿留千種は〝変身〟していたはずだから、その見た目から実年齢は分からない。頑馬が〝美少女〟になるくらいだ、大人の女性が少女の姿になることも考えられる。仮に二十代後半くらいだとしても、高校生の息子がいるのは年齢的に――


「あれは実の息子じゃないわ、養子よ」


 こちらの無言のやりとりを察したのか、やや不機嫌そうな口調で薫子が言う。


 養子? と思わぬ言葉に気をとられる二人だが、薫子はそれには構わず、


「問題は、その妹の方。小学生の妹……娘がいるのよ。子どもを産めば、魔法少女としての資質がその子に引き継がれる。頑馬くんと同じ理屈よね。〝魔法少女の娘〟なら、特に」


 資質とはつまり、『守り神』から力を借りる〝経路パス〟――引き継がれるといっても〝全て〟ではなく一部、しかしそれでもかなりの部分を持って行かれるらしい。そして親である魔法少女は時と共に残された〝経路〟を失っていく。それは子どもの成長に比例するらしい。


 ……どれも〝らしい〟のは、薫子自身その経験がなく、知識だけがあるためだろう。


「――なんにしても〝子持ち〟なのよ、あれは。〝相手〟がどこの誰かは知らないけど――今日の話を聞いて、ちょっと嫌な想像をしたわ」


 どんな想像をしたのかはさておき――なんにしても、〝子持ち〟なのだという。


 街を支配する力があっても、それは不安定で思うよう万全には振るえず、娘を産んだ今、徐々に失われていく――


 だから、今の竿留千種は〝全盛期〟には及ばない――表に出るにも、若干の抵抗があるだろうと、ほとんど〝あり得ないもの〟として薫子たちは考えていた。それが今日、裏目に出た訳だ。


「……それだけ、あっちも本気で〝獲り〟に来てた訳ね。だから、これは私の判断ミスよ」


 ぽんぽん、と――薫子の手はクロウの頭の上に載せられる。


「ですが……貴重なカードを一枚、失った」


 クロウの声は沈んでいた。カード? と、若干空気が読めてない顔をする綾心に、恋無が頷いて、


「薫子が最後にやった〝あれ〟だ」


 追いすがろうとした〝三獣士〟を牽制したことだろうか。あの時の頑馬には気にする余裕もなかったが、今思えば確かに――〝魔法〟として片付けるとしても、些か引っかかる。


「あれは薫子が〝権限〟を握っていて――つまり、正式な『今代の巫女』であるからこそ、出来た芸当だ。あいつら〝三獣士〟……名前はなんて言ったか」


「ケル、ベル、ロス」


 安直なネーミングよね、と薫子。


「あいつらは『守り神』から魔法少女に与えられた、『御使い』――千種のパートナーという訳だ。だから本来なら千種の命令しか聞かないんだが――」


「私の〝権限〟はそこに干渉できる。ただ、〝あの場〟という私の領域のなかで、加えて、完全な不意打ちだったからこそ――あいつらが私のことを〝戦力外〟だと油断しきっていたから、出来た芸当ね。〝大結界〟を壊して調子に乗ってたのもあるかもしれない。あれはいざという時の……まあ、ちょっとした〝はったり〟よ」


「今後は使えないだろうがな。〝そういう手がある〟とむこうも意識してくる」


「…………」


 一度きりの、切り札。手数の少ない薫子にとっては貴重なカードだったのだろう。クロウの落ち込みぶりを見てもそれが分かる。


「〝捨て札〟一枚で戦力を守れたんだから、儲けものよ」


「それに、〝そういう手がある〟と意識させるだけでも、あちらの行動を〝縛る〟ことが出来る。効果的な〝はったり〟だった。トラウマもののインパクトがあっただろうからな」


 くく、と恋無はほくそ笑む。悪だくみでもしているような顔だ。


「ここまで言ってもまだ気にするなら、」


 と、薫子はクロウの頭の上に置いた手を握って拳をつくると、ぐりぐりと頭頂部に押し付けながら、


「引きずるなら、頑馬くんのトレーニングでそれを挽回してちょうだい。千種の今の実力を、身をもって体感してるのはあなただけなんだから」


「そうだ。遅かれ早かれ――今後〝本気〟でやりあうつもりなら、むこうの戦力を知る必要があったんだ」


「――――」


 そうしてようやく、青年は顔を上げた。視線は宙を泳いでから、興味深げに自分を見ている綾心に顔をしかめて、そして頑馬に焦点を合わせる。


「――らしいから。僕のためにしごかれてくれ」


「うっす」


 運動部的なノリで、返事をした。



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