第17話 ラスボス2 - 『魔王』




 ――人質交換。


 自称『魔王』アークシィーズの告げた言葉を、頑馬がんまはすぐには理解しかねた。


 彼女の言う〝人質〟とは、クロウのことだろう。

 では、彼を誰と交換しようというのか――


「頑馬くんを手に入れて、どうしようっていうの」


 薫子かおるこの言葉に、名前を呼ばれた頑馬は思わずそちらに顔を向ける。


 状況が分かっているようで、いまいち理解できていない――自分が今、どういう立場にいるのか。


、説明が必要かしら? 状況への理解が甘いみたいね。それともまた現実逃避? 本当に悪いクセだわ」


「……〝権限〟を引き継がないまま私が死ねば、土地は自然と〝次代〟を選ぶ。そしてその〝次代〟は――私を殺したあなたには、決してなれない」


「試してみてもいいんだけどね」


。魔法少女は正義の味方、みんなの希望だもの。だから――私が死ねば、土地は彼を選ぶ」


 そうだ。既に薫子は口にしていた。頑馬は〝次代の魔法少女〟になれるのだと――


「よくできました」


 そう言って、『魔女』は微笑んだ。そして、


「お前にとって、その子は何よりも大事。だって、〝保険〟だものね。その子さえ奪われなければ、わたしがお前を殺すことはない――そういう、保険。逆に言えば、その子さえこちらのものになれば、お前はもう用済み。お前を殺して、〝権限〟をその子に引き継がせる」


「……分かってるわよ、そんなこと。分からないのは、あなたがどうしてそんなを提案するのか。それから、」


 クロウは薫子にとって唯一の戦力だ。それを失うリスク、クロウの身を案じたとしても……クロウが助かるという保証はないのだ。相手が約束を守るはずもない。


 なぜなら――クロウを助けるために頑馬が向こうへ渡った瞬間、薫子は殺される――状況はその可能性を示している。そんな取引、薫子が受けるはずもない。


 これは取引ではない、選択肢などありはしない――強要、脅迫だ。


 あるいは――


 クロウを切り捨てる――それを薫子に告げさせようとする、嫌がらせ以外のなんだというのか。


 ここにきて、頑馬は気付く。『魔女』は言葉を放ちながら、なぶるように――その足元にあるクロウの頭に体重を乗せている。薫子に向ける言葉は同時に、クロウを傷つける意図も含んでいる――その〝悪意〟を、頑馬はようやく感じ取り始めていた。


「そうよね、答えは明白――こんなボロボロのゴミクズのために、自分の命を捨てるはずがないわよね。使……〝恩人〟の忘れ形見と交換できるはずもない。戦力は失っても、まあしばらく潜伏することにはなるでしょうけど、その子が育てばまたやり直せる。『御使い』としても、魔法少女パートナーのために死ねるなら本望でしょう――、」


「――それから」


 朗々と語る魔女の声を断ち切って、薫子は落ち着いた口調で続ける。


「分からないのは、あなたが頑馬くんを手に入れて、何がしたいのか、よ」


「……うん? 言ったでしょう、聞いてなかったの?」


「私よりは御しやすい――そういう考えなら、忠告するわ。彼は、あなたになんて屈しない」


 薫子はこちらを見なかった。しかし頑馬は顔を上げた。


 この期待に、この信頼に応えなくては――


「あら、そう」


 対し、魔女はあっけらかんとした調子で、


「別に、〝権限〟を奪おうなんて考えてないわ。――それが出来れば、じゅうぶん」


 うっとりと、さながらデザートでも口にするように、


「それから――その子の〝価値〟は理解してるでしょう? 〝先代〟の、『巫女』の血統――だから、ね。良い〝種馬〟になると思うのよ」


 ――え? と――


 その場のほぼ全員が、虚を突かれた。それは魔女の周囲で膝をついていた黒衣の三人組も同様だ。顔を上げた。その表情に、明らかな動揺が見えた。


――もっと血の濃い、もっと強い資質を生み出すために。何度でも、何度でも――いろんなかたちバリエーションで実験するの。混ざれば薄くなる、でも重ねていけば濃くもなるし、変わるのよ――


 その言葉には、その思想には、狂気しかなかった。


「ねえ……? あなたもそういう年頃でしょう? 気持ち良いこと、いっぱい教えてあげる」


 何を言っているのか、理解できない。

 頭では分かっていても――言葉に詰まる。誰もが思考停止するなか、薫子が絞り出したような声を発した。


「……コメントに、困るわね。さすがに。同級生が、年下の男の子を誘惑してるところに、遭遇する、なんて……」


「お前に言われたくはないわ――このわたしに、変態を見るような眼を向けないでくれるかしら」


 不意に真顔に戻り、それから不敵な笑みを浮かべて――


「わたしには崇高な目的があるのよ。その子は〝サイハテ〟への手掛かり、天に手を伸ばすための足掛かり――、『神』になるのよ」


 沈黙がその場を支配する。今度こそ言葉を失う薫子らと違って、〝三獣士〟は静かに目を伏せていた。


「その子はね、わたしが『魔王』から『魔神』へとクラスアップするための道具――〝特異点〟を生み出す鍵。それさえ手に入るなら、はお前なんて、どうだっていい。見逃してあげるわ、好きに余生を過ごしなさい?」


 分かったでしょう、と――薫子が誰にともなく、独り言のようにつぶやいた。声のトーンは落ちていて、それが頑馬たちに向けられたものだというのはすぐに分かった。


「……病んでるのよ、千種ちぐさは。中二病をこじらせて、もうどうしようもないことになってる」


 呆れや憐みを通り越して、もはやなんの感情も窺わせない声だった。


 ことここに至って、頑馬もようやく理解する。


 ――無責任な、一介の個人――


 彼女ならきっと、ほんの些細な気まぐれ一つで、国の一つや二つは滅ぼせる――


「ところで、ねえ? 薫子――言うまでもないことだけど、あえて口にするわね。答えは聞くまでもないけれど、お前の口から聞きたいの。お前……本当にこの〝御使い〟を見捨てるのね? 長年連れ添ったパートナーを――」


「…………」


「わたしは情に訴えてるのよ。ねえ、正義の味方、魔法少女なんでしょう? それが自分の命惜しさに――」


 悪意しか感じられない、無益な言葉が続く。後悔と罪悪感を肥え太らせようとするように、弱者をいたぶり、なじることに悦楽を見いだす――まさに魔女。魔王と呼んでも差し支えのない――心底からの嫌悪を禁じ得ない、邪悪。


 頑馬はクロウの視線を受け止めた。

 諦めと、決意――あとは任せた、だから逃げろと――無力さに打ちひしがれながらも、しかし決然とした表情をその目に収める。


 そして、頑馬は頷いた。

 どうすればいいか――求めれば、答えはおのずと知れていた。


 クロウがわずかに目を見開く。頑馬はその瞳を見つめ返す。


 二人のあいだに言葉はなかった。

 クロウは一度目を伏せてから――かすかに、しかし確かに頷いた。


 頑馬は叫んだ。



「のじゃロリさま――GO!!」



「のじゃああああああ……っ!」



 指さした先は、軍服の魔女。誰もがその声に気を取られた瞬間、頑馬の頭上の二頭身幼女が飛び出した。


 それは目にも留まらぬ速さで――弾丸のように、千種の顔面に突き刺さる。


「ッ」


 不意打ちに、魔女の手から鎖が離れた。クロウが這うようにして闇のなかから抜け出した。


 幼女の姿が消え――頑馬の頭上に再び現れるまで、この間わずかに数秒。


 走り出したクロウに遅れて、黒衣の三人がそれぞれの〝得物〟を振るおうとする。


「〝お座り〟!」


 叩きつけるようなその声は、薫子の口から放たれた。直後、見えない天井に圧し潰されるかのように、〝三獣士〟が同時に地面に膝をついた。表情に驚愕が訪れるより早く、


「〝伏せ〟!」


 続く言葉で、三人は自ら地面に顔を叩きつけた。


 頑馬はクロウを引っ張って〝ドア〟の向こうに転がり込む。


 その後に続いて、薫子は実に優雅な足取りで同級生に背を向けながら、


「今日のところは見逃してあげるわ。を持つと大変ね?」


 どこまでも余裕をもって、ドアの向こうに姿を消した。



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