第16話 ラスボス1 - 『魔女』
――ドアを開いた先、広場の様子は先刻前とは大きく異なっていた。
そこには、五人の人物の姿がある――黒衣の三人組はそれぞれ地に片膝をついている。力尽きたようにも、中央に佇む人物への敬意を示しているようにも見える格好だ。
中央には二人。一人は土下座でもするように力なく座り込み、こうべを垂れている。その背後に立つ人物は、開いたドアから現れた薫子を見て、
「ずいぶん待たせるじゃない、
そう言って、足元に伏すクロウの頭を踏みつけた。
「――――」
ドアを開いた薫子が戸口で足を止めてしまったため、その後ろの
薫子の肩越しに垣間見えたのは――まるで童話のなかの魔女が被っているような、黒い三角帽子……頭頂部が長くとがり先端がわずかに折れ曲がった、つばの広い帽子――
そして、赤く焼けたような空の色だった。
夜に火事が起こればこのような色になるだろうか……赤と黒の入り混じった、酸素に触れた血液を想起させる不気味な色の空である。
それが『狭間』の〝夕焼け〟なのだと理解するのに、少なくない時間を要した。
頑馬の知る『狭間』の空の色は蒼ざめたような、藍色の空だったからだ。
「やってくれたわね」
薫子も空を見上げている。
「……〝大結界〟が壊されたのか。どうやら、ボクたちは出ない方がよさそうだ」
「空の色を変えるなんて傲慢なことが、このわたしの統治下で許されていたこと、それが間違いだったのよ。それがお前を増長させてしまった……。もっと早くに正しておくべきだったわね。わたしがその気になれば――」
可憐な声がした。自信に満ち溢れた、まるで勝利を確信したかのような口調だった。
対し、薫子は肩を竦めてみせた。
「驚いたわ……まさか、ラスボス本人が出てくるとはね。子どもの喧嘩に親が出てくるようなものじゃない、これ」
「我ながら、まるで良い親のお手本みたいだと思うわ。他所さまの子どもでも、悪いことをしたなら叱ることの出来る……。まあ、その年にもなって子どもの一人もいないお前には分からないでしょうけど」
「……子育てだけが、女に出来る社会貢献じゃないわよ」
「立派な台詞ですこと。これが〝行き遅れ〟の言葉でなければ手を叩いてあげたのに。どちらにしても笑っていたでしょうけどね――〝詰み〟よ、薫子」
――声の主は、少女だった。
夕焼けを反射し赤く輝く金の髪は無造作に伸ばされ、前髪には額に出来た傷のように斜めに走る黒のメッシュ。瞳は赤く、黒い瞳孔には滲むような金色の輪郭。口元には不敵な笑みを湛えていた。
年のころは十代前半か、ともすればそれよりもっと若い――魔法使いの
羽織るようにまとっているのは飾りのついたジャケットだが、それは軍人などが着るような厳かで落ち着いた印象ながら派手過ぎない装飾のあるものだ。男もののそれは少女の小柄な体型には不釣り合いなようでいて、しかしその醸し出す強者然とした雰囲気にはマッチしている。下に着ているのは白いブラウスで、下着なのか水着なのか、そのような形状の黒い〝胸当て〟が透けて見えている。
腰を覆うものはロングのスカートのようにも魔法使いのローブの裾のようにも見えるが、前が開いていて、膝上までの黒のショートパンツとすらりとした素足を覗かせている。足元を守るのは編み上げのブーツのようだが、踵が長く、爪先は内側に湾曲していた。
妖しさと気品の同居したゴスロリ魔女のようで、格式と厳格さを備えた軍人のようでもある――並々ならぬ何かを感じさせる装いだ。事実、その存在感はこの場を支配していた。
「あれが……」
無意識につぶやく頑馬に、恋無が頷く。
「……
「『魔女』〝アークシィーズ〟」
薫子の言葉に、『魔女』と呼ばれた少女は、
「それは昔の呼び名よ。これからは『魔王』と呼んでちょうだいな」
冗談のつもりなのか本気なのか、その表情からは読み取れなかった。
小柄なためか、こちらを見下そうとするように首を反らすように伸ばしている――白い首筋に、蛇のような黒い刺青のようなものが走っているのが見えた。
「久しぶりね、ちょっとした同窓会じゃない――千種」
我知らず前に出ていた頑馬を、薫子は振り返らないまま片手で制す。外に出るな、ということだろう。
「……でも昔を懐かしんでる状況じゃないのは分かっているでしょう、薫子? あなたは困った時、まず一番に〝どうでもいいこと〟から目をつける。変わらないわね、現実逃避する悪いクセ」
「…………」
「これはもう〝詰み〟よ、薫子。お前の唯一の手駒は今、わたしの足元に転がっていて――」
片手を上げる。羽織っているだけのジャケットはずり落ちることなく、まるで身体に張りついているかのようだった。前に伸ばした手が――薫子に向けられた右手が、銃のようなかたちをつくる。
「ねえ、薫子? そうでしょう? この状況、〝
「…………」
……事実、薫子本人が難を逃れても、その背後にある〝秘密基地〟が落ちれば薫子に逃げ場はない。〝王手飛車取り〟とはまさにその通りだが、どちらが落ちても薫子の
にもかかわらず、そんな窮地において彼女は、一歩、前へと踏み出した。
……今ならまだ、ドアを閉めてこの場を凌ぐことも出来たはずだ。しかしそれをしない。頑馬のことは制止しながら、薫子は外へ踏み出し、『魔女』と対峙する。
「見せかけだけで中身のない、そんな〝強い言葉〟で私を落とせるとでも? 私を殺して済む話なら、十年も膠着してないでしょうよ」
「……これだから〝老害〟は嫌になるわ。さっさと〝引き継ぎ〟して隠居すればいいものを」
「同級生相手になんて言いざまよ。口の悪さはそれこそ魔王ね」
薫子は呆れたようにため息をついてから、
「……私を殺しても、土地はあなたを選ばないし、"選ばせない"。だから私を屈服させて、自らの意思で〝権限〟を譲渡させたいんでしょうけど――それも出来ないから、私の〝引き継ぎ〟を狙って、その〝次代〟に取り入ろうって魂胆なんでしょう。……それで、狙いはなんなの。私がまだ当分は引退するつもりがないってことは、分かってるんでしょう?」
「数学赤点でもそれくらいは理解できてるのね。でも応用が出来てないわ。そこまで分かってるんなら、わたしの言いたいことも推測できるでしょう。つまり、これよ」
魔女の足元には、銀髪の少女の姿がある。土下座でもするような格好で、両腕は黒い〝鎖のようなもの〟で後ろ手に縛られている。
――クロウだ。
魔女――〝アークシィーズ〟の存在感に呑まれ、まるでその〝一部〟のように影のなかに――空は赤いがどこにも〝夕日〟は見られず、そのためかどこにも影は見当たらない。にもかかわらず、魔女の足元には不自然な闇がわだかまっていて――地面のなかに半ば埋もれるように、本来なら魔女よりはるかに背丈も上のはずのクロウが、その頭を踏みつけられていた。
クロウは見るからにボロボロだった。
血塗れ、といったような重傷ではない。しかし一目で〝ボロボロ〟だと分かるほど――毛皮のついたマントのようなコートは失われ、その袖の一部が腕に張りついている。下に着ていたセーラー服に似た白いトップスは土に塗れ薄汚くよごれ、ところどころが裂けていた。スカートも同じく酷い有様で、脚の方は闇のなかに飲み込まれて確認できないが――
力なくうなだれていたクロウが、顔を上げようとする。
その首にも両腕を縛っているものと同じ鎖が巻きつき、首だけでなく顔の下半分を覆い隠している。それらは背中で一つに繋がっていて、その先は魔女の手の中に――顔を上げようとしたのではない、鎖を引かれ、無理やりに――
その頭に、押さえつけるように踏み落とされる黒のブーツ。
「わたしから提案よ、ここは平和的に行きましょう?」
踏みつけられながらなお、クロウは顔を上げた。
その目は、その視線は、薫子ではなく頑馬を見ていた。
――逃げろ。そう訴えているようだった。
「人質交換――同級生のよしみで、
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