第15話 意図




 ――『狭間』とは、現世げんせ異世ことよ狭間ハザマにあるのことである。


 本来、〝狭間〟と言えば、物と物のあいだにある空間のことを指す。

 しかし、現世と異世には明確な区切りがなく、どこからが現世でどこからが異世なのか、その境は曖昧ではっきりしない。〝鳥居〟などといった〝出入り口〟による敷居こそあるが、現世に生きるヒトはふとした瞬間に異世に迷いこむこともあるし、異世のモノもそれは同様である。


 ゆえに、『狭間』にはこれといった境界がなく、どこまでも無限に、無間に続くのである。


 狭間と言いながら、広大。かといって現世でもなく異世でもないため、そこに生きるモノはない。現世で死に、異世――この場合であれば〝あの世〟――に渡るモノが通る道、という訳でもない。そのため幽霊や妖怪といったものがうろついている訳でもない。

 迷い込むことはある。そこに居着くものもある。迷い込み、出口を見失うこともあるだろう。出た先が元居た世でなく、永遠に帰ることがかなわないこともあるだろう。しかし、基本的にそこで何かが生まれることはないし、死ぬこともない。


 そこは現世の法が届かない場所である。理から外れた場所なのだ。異世界、異空間といっても過言ではないだろう。あるいは、〝異次元〟か。


 そうした法外、理外に干渉する術、それが〝魔法〟であり――あるいはこの『狭間』にこそ、魔法の〝正体〟があるのかもしれない。


 薫子かおるこの見解によれば、そこは「モノとモノに挟まれた空間」――それは平面的な話ではなく、どちらかといえば〝上下〟――つまり、現世よりも高い次元、もしくは低い次元にある。

 現世が落とした陰影、あるいは現世から浮かび上がった輪郭が、『狭間』の風景をかたちづくっている。


 実際、地上から見た景色はどこまでも同じ道が続くような、無限にコピーアンドペーストされたようなものだが、上空から見れば、いたってごく普通の街並みに変わる。それは頑馬たちの住む添花そえか市のどこかの住宅街であり、遠くには都心のビル街も望めるようになる。


 しかし、その空の色は青い――蒼ざめている。夜明け前のような明るさもあるし、黄昏から夜に変わる間際のような暗さもある。青く、空気の澄んだ景色が広がっている。


 だが、それは『狭間』本来の空の色ではない。そもそも、現実のこの時刻――夕方に差し掛かった頃の空の色とも違う。


 それはなぜかといえば、薫子のつくった〝結界〟が作用しているためだ。


 ふとした瞬間『狭間』に迷い込んだ人間が真っ先に気付くもの、それが空の色や空気の変化だ。この〝結界〟はそれを〝あえて気付かせるため〟に用意されたもの。

 異変に気付けば、そこから逃れようという心理が働く。微かな違和感でも、気付ければそこから脱する手がかりになる――効能としてはその程度の、しかし偶然迷い込んだモノを元の場所へと返すきっかけになる、そのために用意された〝結界〟だ。


 そうした薫子の〝意図〟が張り巡らされた空間だからこそ――


「鬱陶しくて仕方がねぇ……っ!」


 似たような印象の家屋に挟まれた通りの中央で、黒衣の大男が叫んだ。見えない何かを振り払おうとするように右腕のギブスを、太い左腕を振り回す。


 糸である。その空間は彼にとって、そこらじゅうに蜘蛛の糸が張り巡らされているかのような、身動きすればその巣が張りつくような、とても不快で鬱陶しい感覚をもたらすのだ。


 しかし、それは目に見えるものではない。彼の、眼帯に覆われていない右目には何も映っていない。どこまでいっても〝そういう感覚〟、そういう不快感だけが彼の思考を、動きを妨げる。雲を掴もうとするように、振り払おうにも振り払えない。


 それが、薫子の〝意図〟である。この場には薫子の影響が及んでいるのだ。ゆえに、部外者であり敵対者である黒衣の大男にとって、それはとても不快なものとなる。


 先の『人蟲じんちゅう』もまた、その影響下に置かれたために、あのように身動きが鈍くなっていたのだ。本来であれば、なり即座に対象を殺そうと動く。しかしその殺意にもやがかかり、やがては自らの〝目的〟すら見失って、ただただ殺意を周囲にばら撒くだけの有害物に成り果てるのだ。


 この黒衣の大男――〝ケル〟には意思もあれば自我もある。ゆえに『人蟲』ほど無力化されることはないものの、だからこそ〝不快感〟だけが彼の行動を妨げる。


 たとえばそれは、敵対者に〝トドメ〟を刺せる絶好の瞬間――言い様のない〝迷い〟によって攻撃が外れる。あるいは敵対者からの攻撃をかわそうという直前、彼の足を踏みとどまらせ、


「ぐぁっ……!」


 クロウの鞭を顔面にもろに喰らい、ケルはその衝撃で地に尻をついた。


「三人がかりで僕に傷一つ負わせられないとか、いくらなんでも無様すぎるだろ。はあ……〝元・同期〟として僕まで恥ずかしくなってくるんだが?」


 腕を振るい鞭を袖のなかに収め、クロウはわざとらしく肩を竦めてみせた。


 広場から離れた住宅街の通り――前後を黒衣の男二人に挟まれながらも、クロウに焦る様子はない。近くの家屋の屋根の上に目隠しをした少年の姿が現れるが、それに気づきながらクロウは背中を向けたままだ。


「クソザコ三人衆、そろそろ退いてくれないかな? いい加減、君たちの相手をするのも疲れてきたよ。――あぁ、〝疲れた〟って言っても、よっしゃここから挽回だ、とか調子に乗らないように。言葉の綾だから。ここは『面倒になった、死ぬほどつまらんしなんだか眠くなってきた、今日も一日疲れたなぁ』とでも言っておくべきかな」


「いい気になりやがってよぉ……保護者に面倒見てもらっておいて調子づいてんじゃねえぞ、コラ」


「三対一で何言ってんだか、地の利を活かしてるんだよこっちは」


 薫子の〝結界〟は当然ながらクロウにとって有利に働くものだ。保護者に面倒見てもらっている、とはそのことである。


 たとえばそれはクロウが大きな衝撃を受けてよろめいた時、薫子の〝意図〟は彼の背中を支えることになる。衝撃を緩和するクッションのようなものだ。一方で、彼が跳躍しようとすれば、その〝意図〟はバネのように働き、その動きを加速する――攻める時も受ける時も、なんらかの補助を授けてくれるのだ。


 しかし、それで三対一という人数不利が覆るのかといえば、そういう訳ではない。問題の根本はもっと別にあるのだ。


 それは即ち、『守り神』の加護の存在である。

 クロウが独自の経路から一人でその力を受け取るのに対し、〝三獣士〟は一つの経路から受け取る力を三つに分けている――三等分しているのだ。受け取る力の総量が同等である以上、三等分された彼ら個々人はクロウ一人ぶんに満たない。〝三人でようやく一人前〟とはこのことである。


 ……一つ解せないのは、そうした〝弱体化〟がされると分かっていて何故、


(元は一つだったらこいつらを、三つに分けるようなことをしたのか)


 魔女の意図はクロウには分からない。そうすることでメリットがあるとすれば、三等分する力のバランスの変化――つまり、


 ケルがギブスに覆われた右腕を振るった――包帯が解け、その一部がクロウへ向けて真っ直ぐに伸びる。黒い布のように見えたそれは、今や鎖のような様相をなしていた。


 鎖とは捕らえるもの、縛るものである。ゆえにそれはクロウの腕に触れた瞬間に巻きついて絡みつき、固く締め上げた。クロウには回避すらできなかった。


 ――ケルの〝速さ〟、そのただ一点に『守り神』からの力を極振りしたのである。


(〝分割〟することで、好きなように振り分けられる、か――)


 そしてそれは予備動作もなく瞬間的なものだ。クロウがケルの方に意識を向けたその隙に、別方向から黒衣の青年――〝ベル〟が同じように鎖を飛ばした。今度はベルの方が速度に100%を割り振っている。そうなれば瞬間的に、彼らはクロウの性能を上回る。


(そうやって不意を衝く――それならまあ、便利メリットとも言えるかもしれないが)


 元が〝一つ〟であるからこそ、彼らは力を共有し、言葉もなく意思を疎通する。ことここにいたってようやく〝人数有利〟が活きてくる。


 が――


(それにしてもこいつら、今日はやけにしつこいな。薫子さんに逃げられたら諦めて帰るのがこれまでのパターン。僕とやり合うだけ時間の無駄なのは、お互い暗黙の了解としているところなのに――)


 両腕を拘束され身動きを封じられながらも、クロウは冷静に思考する。ケルとベルがその気になれば、両方向から引っ張り上げてクロウの腕を引っこ抜くことも出来る状況なのだが――


「ッ」


 その時、クロウの表情に苦悶が走った。


 背後、屋根から飛び降りてきた少年がその両腕を一閃したのである。


 少年――〝ロス〟の両腕を拘束していた黒い布はかたちを変え、彼の手の中で二振りの短剣となっていた。それが振り下ろされ、鎖で締め上げられ引き伸ばされていたクロウの両腕を切断したのだ。


 血飛沫は――ない。その断面は白く塗り潰されている。光の粒が水流のように溢れ出しているのだ。


 クロウはとっさに地面を蹴ってわずかに飛び上がり、その脚で背後の少年を蹴り飛ばした。塀に激突する少年、反動でクロウは斜め上へと跳躍し、家屋の屋根の上に降り立つ。


 腕を斬られた痛みは、ない。それどころか、斬り落とされた両の腕自体が消えていた。それらを拘束していた鎖はそれぞれケルとベルの手元に戻っている。


「せっかく捕まえたのに取り逃がすとか、君たち三人揃ってお互いの足を引っ張り合ってるのかな?」


 そう軽口を叩くクロウの両腕は、いつの間にか元に戻っている。切り落とされた袖だけはなくなっていて素肌を晒しているものの――それも徐々に、光が集まるようにして再形成されている。


 ――彼らの戦いに、決着はつかない。消耗戦どころか、持久戦にもなりはしない。


 共に『守り神』からの力を得ているうえ――その身体は通常の人体とは異なっている――『美少女体』なのである。神経、感覚が繋がっているため痛みこそ感じるが、生の〝肉〟で構成されたものではないため、いくらでも復元が可能なのだ。


 キリのない、無益な戦いなのである。


 むろん――お互いに本気で殺すつもりでぶつかれば、いずれは復元も出来ないほどに消耗するだろう。引き出せる〝力〟も無限ではない。お互いに試したことはないが、いずれ制限がかかることは予想できた。しかし、戦力がほとんど拮抗している以上、相手の死は自分の死にも繋がりかねない。

 いくら煽られたからといって、仮に相打ちとなって一対一交換に持ち込めるとしても、このような、言ってしまえばどうでもいい局面で落としていい戦力ではない――それは彼らも自負しているだろう。クロウも、さんざん馬鹿にしているとはいえ、彼らが『魔女』にとって貴重な戦力、手駒であることは認識している。


 にもかかわらず――


(時間稼ぎ以外に、何が目的だ?)


 仮に時間を稼いでいるとして――何を待っているのか――



「ありがとう、三人とも。もう済んだわ」



 瞬間、空気が変わった。



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