第11話 威嚇2 - 〝三獣士〟襲来




 空に裂け目が見えたのも一瞬――闇が覗いたかと思えば、景色は元に戻っていた。


 その場に三つの人影を残して。


 中空に浮かぶように立っているのは、異色の左右対称シンメトリー


 クロウが見上げる先、地上から五、六メートルほどの位置に、一人の少年――少年のように見える人物が立っている。その左右に細身の青年と、屈強な大男。


 少年は目隠しでもするように黒い布を巻いており、その両腕は胸の前で組んでいるのかと思えば、目隠しと同じような布でぐるぐると拘束されていた。

 向かって右手、少年の左に立つのは長身の青年で、こちらは左腕の肘から先が巨大なギブスのようなものに包まれていた。右目には眼帯をしている。

 逆側の位置に立つ大男は青年と同じ背丈だが、体格がしっかりしていて横幅が広く見える。青年とは対照的に、右腕にギブスを、左目に眼帯をしていた。


 三人とも黒い礼装に身を包んでいる。黒いジャケットに、黒いパンツ――少年のそれは膝上までのハーフサイズでそれぞれ印象は異なるものの、三人とも揃いの衣装を着ているようだ。かたや内側の白いシャツのボタンを首元まで留め、かたや胸元までシャツをはだけている――どこまでも似通っていながら、何かが決定的に異なる三人組だ。


 これは――『蟲』ではないだろう。黒い髪、やや青白いものの小麦色の肌――三人とも、奇妙な格好こそしているが、間違いなく人間だ。日本人の顔立ちだ。


 しかし――普通の人間は、何もない中空に浮かんでいたりはしない。


 そちらを見上げていた薫子かおるこの表情が、目に見えてひきつっていた。


「〝三獣士ケルベロス〟……!」


 しゅっ――と、クロウが鞭を振るった。袖のなかに鞭が吸い込まれるように消える。汚泥こそ溜まっていたが、そこにもう蠢くものはなかった。


頑馬がんまくん、綾心りょうこちゃん――」


 薫子に名を呼ばれ、はっと我に返った二人は彼女の顔を見る。


「撤退するわ。後ろの小屋に、急いで」


 その時である。


「おうおうおうおう――つれないねぇ」


 声がした。低い、凄みのある男の声だった。


 その声の主は、頑馬たちから見て向かって左手側に立つ大男だ。左目に眼帯を、右手にギブスをしている。よく見れば、両手のサイズが不揃いだ。ギブスをしている右腕は――スーツの袖に隠された左腕よりも、明らかに長い。大きい、というべきか。それは逆側の青年も同様だった。あのギブスの中には、何かある。


「久しぶりに顔を合わせたんじゃねぇか――尻尾巻いて逃げるなんて、悲しいぜ俺ァ」


「その汚い口を閉じろ、クソ犬が!」


 鋭い怒声を発したのはクロウだ。彼は吐き捨てるように、


「汚臭がするんだよ。その声を聞いていると反吐が出る」


「ンだと、コラっ――」


 唾を飛ばしながら口を開いた大男だったが、逆側の青年の手がそれを制す。


「声を聞いて反吐が出るということはつまり、あなたの声が彼の内臓を震わせている――恐怖に慄かせている、ということですよ、〝ケル〟……ビビってるんですよ、可哀想に。弱い犬ほどよく吠える」


「あ……?」


 クロウの声に明らかな苛立ちが混じっていた。


「クロウ」


 今にも飛び掛かりそうだったクロウをとどめたのは、後方に立つ薫子の一声だった。


「ここは、任せたわね」


「――はい」


 クロウは振り向かずに頷いた。さっきまでの威勢はどこへやら――ただただ冷静に、しかしどこか感情たっぷりに、頷いてみせたのだ。頑馬たちからは見えなかったが、その口元には凶悪な笑みが浮かんでいた。


「え、いや、任せるって――」


 戸惑う頑馬と綾心の腕を掴み、薫子と恋無れむはこちらも振り返らず、空き地の奥に立つ小屋へと歩を進める。


 頑馬にも分かってはいた。あの、一目見ただけで震えが走るような『殺人蟲』を前にした時でさえ余裕を保っていた薫子が、彼女が〝三獣士〟と呼んだ三人を目にした途端、〝逃げ〟の一手を選んだのだ。

 正体は分からない。人間なのかどうかも判断がつかない。一つはっきりしているのは、この三人はただの戦闘要員じゃない。ザコ敵ではないのだ。


 しかし、だからこそ――相手は三人。それをクロウ一人に任せてもいいのか?


「じゃあ、君は戦えるのか?」


 恋無が言った。


 まるでその心中を察したかのような一言に、頑馬は胸を刺されたように息が詰まった。


「問題ないわ。あいつらなんて――」


 頑馬と綾心は薫子に背を押され、内部が真っ黒に塗り潰されたような小屋の中へと足を踏み入れる。


「三人で、やっと一人前だもの」


 そのつぶやきには、自信が満ちていた。




「言ってくれるじゃねえか、敵前逃亡しといてよぉ」


「捨て台詞だけは立派な人だ。犬は飼い主に似る、ということですね」


「――つまり、どっちも弱い」


 最後に口を開き、笑みをこぼしたのは中央に立つ少年だった。


 対し、空き地にひとり残されたクロウは、


「雁首揃えてすることが、ひとを煽ることだけなのかい? まったく躾のなってないワンちゃんたちだ。飼い主はよほど低俗なんだろう。こんなザコを侍らせて粋がってるなんて――」


 両手を広げてぺらぺらと、からかうような口調で、


「なあ、君たちの論理で言うなら――ここで僕が勝てば、君たちの飼い主もクソザコってことでいいんだよね? まあ、聞くまでもないか」


 両手の袖から鞭が飛ぶ。左右の黒衣が飛び出した。




 小屋の中には、その外観からは想像も出来ない――開店前の喫茶店のような空間が広がっていた。つい数十分前まで頑馬たちのいた場所である。


「この空間はいわば、エレベーターの〝部屋〟なのよ。さっき入ってきた小屋のような、『狭間』にある〝出入口〟のどこへでも繋がる」


「つまり、〝どこでもドア〟ならぬ、〝どこでも部屋〟だな。……あぁそうだ、『狭間』というのはさっきまでいた〝外の世界〟のことだ。〝この世とあの世の狭間〟にある」


「どちらかといえば〝この世〟寄りね。そして、この空間には私の許可なしには入れない――絶対領域。つまり、もう安全ってこと」


 流れるようにそう言うなり、薫子は頑馬と綾心のあいだを抜けてすたすたと歩を進め、数十分前と同じ席に腰掛けた。そこには空のカップが置かれたままだった。


「ふう――」


 もしカップにお茶が注がれていたなら、そのまま一服しそうなほど――見るからに、くつろいでいる様子だった。


「え……、あの――」


 戸惑うのは頑馬たちである。しれっとされた説明を呑み込む余裕もない。見れば、恋無も前と同じ席に腰掛けていた。


「このまま〝現実〟に繋いでもいいけど――恐らく、見張りがいるでしょうね。なるべくなら〝顔バレ〟は避けたい……」


「駆け引きのつもりなんだろうが、むこうはもう察しがついてるんじゃないか? こちらが〝顔バレ〟を避けた、=《イコール》芽能めのう頑馬ではない第三者、とは考えないだろう。ここは腹をくくって、いったん〝現実〟に帰すべきだ。……時間的にも、一般の帰宅時間になる」


 言われて、壁にかかっている時計に頑馬は目を向けた。確かに、普段ならとっくに帰宅している時間だ。外はもう日が暮れかかっているだろう。


「だけど――」


 薫子の表情がくもる。


 それを目にして、ふと――


『そもそも、薫子はお主を巻き込むつもりはなかったのじゃ。しかしのう……あのクロウめが余計なことをしおったせいで――まあ、それもやむなし。結果オーライと捉えるべきなんじゃろうが――』


 脳裏をよぎった言葉、氷解した記憶の一場面。


 そうか、と理解する。薫子は今、頑馬たちを心配しているのだ。具体的に何を懸念しているのか、今の頑馬には分からないが――


「あの――」


 とにかく、口を開いた。薫子と恋無がこちらを見る。


「あの人、大丈夫なんすか……?」


 軽く後ろを振り返る。ドアは閉じていて、外の様子は分からない。物音一つ聞こえてこなかった。


 あの黒衣の三人組――状況から察するに、これも竿留さおどめ千種ちぐさの手下なのだろう。どのような存在なのか、その正体は見当もつかないが――


「ええ、それは問題ないわ。さっきも言ったけどあの三人は、三人でやっとクロウ一人ぶん――それくらいの力量差があるのよ」


「や、それでも……三対一だったら、いろいろ……」


「多対一の状況でもクロウが戦えるのは、さっき見たでしょう? まあ、相手は異なるけど――少なくとも、負けはしない。勝つまではいかないでしょうけど、逃げ切ることは可能よ。ただ、さすがに私たちを庇ってとなると分が悪い。だから撤退することにしたの」


 三対一で、互角。相手の方が人数有利で手数も多そうだが――思い返せば、あの三人にはそれぞれ〝ハンデ〟があるように見えた。三対一でも、うまく立ち回れば各個撃破も出来るのだろう。三人で一人前なら、一人ひとりは〝半人前〟以下だ。


 理屈としては呑み込めたが――しかし、それならなおさらだ。


(俺が戦えなくても――)


 薫子は魔法少女で、恋無は美少女戦士――クロウとは立場が同じか、それ以上。この二人が加勢すれば、相手を打ち負かすことも出来るのではないか。


 それをしない理由があるのか――


「そうね――」


 こちらの考えを察したのか、薫子がため息交じりに口を開いた。


「ここらで、私たちの状況をきちんと説明しておく必要があるわね」



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