第8話 契約2




 黄昏と夜明け前の空模様が混ざり合ったような不思議な空気感のなか、姿勢よく佇む薫子かおるこさんの足元で、幼馴染みの少年が膝をついて目を閉じている――


「ネコを可愛いと思っちゃったら、それがあなたの乙女心に影響を及ぼすかもしれないわ」


「つまり、『美少女体』がマスコット化する訳だ」


 思い返すとなんだかよく分からない流れに巻き込まれてその場に居合わせている葉食はばみ綾心りょうこは、大人びた少年と、北欧系美人へと姿を変えた青年のあいだに立って、その光景を眺めていた。


 話の流れからすると、どうやらこれから幼馴染みが〝変身〟するらしい。


 ……いやまったく、いったい何を言ってるんだという話なのだが、実際、綾心はこの目で変身する青年を目撃している。こうして近くに立って横目で窺っているとより実感するのだが、これはさっきまで店のなかで慇懃無礼に給仕していたあの青年とはまるで違う。まったくの別人、完璧な女性だと思われる。少なくとも見た目の上で、〝彼〟を「男」だと思うものはいないだろう。ただ、その腕力はまさに男性のそれで、ついさっきも、後ろの店のなかから綾心と同じくらいの高さの姿見をこともなげに運び出していた。


 未だに〝魔法〟だの、美少女戦士だのという話には半信半疑なのだが――


(頑馬が変身したら、さすがに信じるわ……)


 期待と不安がないまぜ――いやどちらかというと期待強めに、綾心は幼馴染みの身に訪れるだろう異変を心待ちにしていたのだった。


「さて、いろいろ吹き込んでみた訳だが」


 と、隣の少年――恋無れむがつぶやく。


「どんな姿になることやら――正直、他人事だと思えばこの瞬間が一番楽しいまである」


「その……オトメンタルというのは、要するに〝好みのタイプ〟なんですよね? じゃあ、変身すると、そのタイプそのものの姿になる?」


 遠慮がちにたずねてみると、


「概ね、そういう感じだ。理想の女性像を擬人化したもの、と考えると分かりやすい。ただ、誰しもが自分の好みを明確にイメージ出来ている訳でもない。たとえば、なんとなく『優しい子』が好みであれば、そうしたぼんやりとしたイメージを〝補正〟して表現される。万人が思い描く『優しい子』のビジュアルになる訳だ」


「なるほど――じゃあ、たとえば、仮に頑馬がんまに好きな子がいるとして、その子の姿そのものに変身したりは?」


「ない、とは言い切れない。ただ完全にそのものとはならないだろうな。〝好きなタイプ〟といっても、〝ある特定の一種〟とは限らないからだ。それは性格であったり、髪型や体型といった容姿であったりと様々で、おまけに当人がその時々に求めている……惹かれている、強く印象に残っている事柄の影響を受けることもある。今回の場合でいえば、ネコミミが生えていても不思議ではない」


 くく、と低く笑う恋無少年である。いいのか、それで。しかし当人たちがそうした茶々を入れるくらいには、変身後の姿というのはあまり重要でないのだろう。


「肝心なのは〝本質〟なのよ。見た目なんて、運動能力の差にしか影響ないもの」


 と、薫子さんがこちらに背を向けたまま言った。


 儀式(?)は終わったのかと改めて頑馬の方を見直せば、


「うわっ、」


 ――光ったのだ。


 地面に片膝をつく格好でうなだれていた頑馬の全身が、白い光を発した。とっさに目をつぶった綾心は、次の瞬間にはもう見慣れた幼馴染みの姿を見失っていた。




 ――変身する時には「変身!」って叫ぶのじゃ。決めポーズがあってもいい。


 ――え? いやなんで?


 ――教えたじゃろう。言葉は力、呪言じゅごんには言霊ことだまが宿るのじゃ。


 ――決めポーズは?


 ――いいからとっとと変身するのじゃ!


 幼女の言葉に促され――次の瞬間には、頑馬はあの空き地のような広場で膝をついていた。


 自分の身に起きた変化については、目を開いた直後には気付いていた。しかし、その意味を理解するのには多少の時間を要した。なんだか寝起きのような鈍い覚醒感があり、長い夢を見ていたかのような〝時間の流れ〟を感じる一方、ついさっきまで薫子さんや恋無少年の言葉を聞いていたような気もしている。


 たとえるならそれは、動画の再生中に一時停止して小説を読み、読み終えてから、停止していた時点から動画を再生するような――途切れない連続性と、それとは別の時間軸をほぼ同時期に体感したような感覚。

 ただ、その〝小説〟の内容をすぐには思い出せない。複雑で難しく、すぐにはその内容を感想として表現できない、そんな感じだ。とはいえ漠然とだが、何があったのかは憶えている――


「…………」


 そうした不思議な心境であったため、頑馬は何気なく顔を上げた。こちらを見下ろす薫子さんを見とめて、彼女が頷くのを見てから、もう儀式は終わったものだとなんとなく理解しながら、なんの躊躇いもなく立ち上がった。


「うわっ、ちょ――えええ」


 静まり返った空気のなか、綾心が彼女にしては珍しく戸惑ったような声を上げている。


「〝この瞬間が一番楽しいまである〟って!」


「なっ……違うぞ! そういう意味じゃ!」


 何やら顔を赤くしている幼馴染みと少年の横で、銀髪の美少女が顔を背けている。片手で口を押さえているあたり、噴き出すのを我慢しているのだろうが、だいぶ肩が震えていた。


 何ごとだろうと頑馬がぼんやりした頭のまま周囲を見ていると、


「とりあえず、まずは自己認識が先ね。クロウ、鏡を」


 薫子さんの言葉に、銀髪美少女こと例の青年が横に立てかけてあった姿見を運んでくる。こちらを見る顔がにやにやしていた。美人には似合わない表情である。やはり中身は男なのだと頑馬は思った。


「さあ、これがあなたのオトメンタルよ――!」


 と、姿見の横に立った薫子さんが言うので、頑馬は改めて、その鏡面に映っているはずの己の姿に目を向ける――


 そこには、少女が立っていた。


 白に近い銀髪をした、ショートカットの女の子。全体的に小柄で、華奢な体格をしている。背丈は頑馬よりやや低く――そのぶん普段の視点より低くなっているのだが不思議とそれに違和感は覚えず――長めの前髪が片方の目を隠し、上目遣いに見つめる瞳は青色をしていた。まるで二次元の世界から飛び出してきたかのように、どこか現実離れした容姿である。


 大人しそうな――ひと言で表すなら、『年下系小動物女子』といった趣きだった。


 そして、ほぼ全裸だった。


「!!!」


 鏡のなかで、ほぼ全裸の少女が愕然と目を見張っている。身体を隠す素振りも見せない。というのも、何を隠そうその少女の正体は頑馬自身であるからで、そして少女の〝大事なところ〟は湯煙のような閃光のような、よく分からない白い〝もや〟に覆われているのである。


「ネコミミは失敗だったようね――」


「え、あ、いや、あの」


「安心して、それは健全な反応よ。いくら〝好みのタイプ〟とはいえ、それを女性というかたちで擬人化したものがオトメンタルとはいえ――十代の男の子にとっての未知の部分は未知のまま、漠然としたイメージモザイクによって覆い隠されて具現化するの。身体的な欠陥とかではないから、大丈夫よ。それより、」


「いや! なんで服きてないんですか!?」


 かたや頬を赤くして気まずそうな女子高生と小学生、かたや噴き出すのを堪えすぎて顔を真っ赤にしている北欧系美少女――そのなかで平然としている薫子さんは天然なのか、異常なのか。むしろ恥ずかしさに熱を帯びるをこちらの方がおかしいような気さえしてくる。


「服を着ていないのがデフォルトだからよ。でも大丈夫、こっちで用意してあるから――それより、頭の上のそれは、」


「服を!」


 思わず自分の身体を抱くようにしながらしゃがみこんだ頑馬の怒鳴り声は、まるで他人がアテレコしたかのように、自分の喉から出たとは思えない高い声をしていた。


「そうして羞恥を感じているのは、良い兆候よ。『美少女体』を自分の身体であると自覚しているということ――創世記いわく、智慧の実を口にしたアダムとイブは自分たちが裸であると気付いたというわ。羞恥心を覚えたのね。つまり、裸というのは、恥ずかしい。それを人に見られるのは、もっと恥ずかしい」


「だから恥ずかしいんすよ!!」


「でも考えてもみて。それはあなた本来の身体ではないのよ? いわば〝着ぐるみ〟を身にまとっているようなもの……その証拠に、鏡を見るまで自分が〝裸であること〟を問題視すらしていなかったでしょう」


「いや、あの、」


 ……この人は何を言っているんだ? なんだか目が据わってないか?


「違和感の有無というのは大事よ。裸であることが恥ずかしいということはつまり、その身体を――美少女体を自分のものと認識している、馴染んでいるということ」


 片膝を抱えるような格好で座り込んでいた頑馬は、改めて薫子の顔を見上げる。そうしながら感じるのは――抱えた膝、腿に感じる、押し返してくるような柔らかなふくらみ――


 風の凪いだこの場では特別寒いと感じることもないが、しかし外気を直に肌で感じている――身体の奥底から、芯から湧きあがるような熱があって、それを外気が冷やしていく――ぶるっと、寒気を覚えた。


「私が言いたいのはね――契約は無事に成立した、ということ」


「――――」


「それをまずは確認しておきたかったの。それから、」


 恥ずかしさも忘れて、頑馬は自分の身に起きたことを今一度、認識する。


 今、俺は裸だ――これは、自分の身体なのだ―――


「頭の上のそれにも、違和感はないのね?」


「?」


 言われ、頑馬は姿見に向き直る。自分の頭の上に何か載っているらしいが、それに対して特に違和感はない――さながら『蟲』が載っている時のように――実はそれの存在には鏡を見た時から気付いていたのだが、やはり違和感は覚えなかった。なぜ頭に載っているのか、という疑問こそあったが――


 鏡に映る頑馬の頭の上には、二頭身の幼女が載っていた。


 頑馬はそれを知っている。ひとの頭の上に座り、前髪のところに足を垂らしているそれについて、自分の身体の一部のように理解し、認識していた。帽子でも被っているような感覚で、当たり前のように受け入れていた。だからそれよりも、自分の身に起きた目に見える変化の方が重要だったのだ。


 しかし、どうやら薫子にとってはこちらの幼女の方が関心を抱く要素らしい。


「〝のじゃロリさま〟に会ったのね?」


「のじゃロリさま……」


 言われて初めて、なんだかそのような名称がぴったりと合う存在が脳裏をよぎる。漠然と、「えっちな幼女がいた……」という程度で、そのビジュアルはモザイクでもかかったように思い出せないのだが、曖昧なイメージは徐々に、まるで氷が溶けだすように、鏡のなかの二頭身幼女の姿に上書きされていく。


「そういえば――自分のことを『余』って呼んでる子と……」


 ……こんな二頭身ではなかった気もするが――今の頑馬にはそれ以上詳しくは思い出せなかった。


 薫子がつぶやく。


「ハジマリに属する、古の魔法少女の一人――」


「いにしえのまほうしょうじょ……?」


 思わずおうむ返しに口にしてしまうくらいには、聞いてすぐには呑み込めない単語の連なりだった。


「でも、〝よっさま〟だけなのね……。〝わらわちゃん〟や〝ワタクシさま〟は……――いえ、今は契約が成されたことを喜ぶべきね」


 薫子は何やら難しい顔をしているのだが、頑馬の頭上にはクエスチョンマークが浮かぶし、それを表現するように首をかしげてみせる二頭身幼女である。説明を求めて薫子の後ろにいる恋無少年を窺うのだが、その横の綾心も一緒になって顔を背けられてしまった。


 そうして頑馬は思い出す。

 自分が裸であることを。



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