第7話 邂逅 - 生欲の巫女




 目を閉じると訪れる、まぶたの裏の暗闇――浮かび上がるような白いシルエットがある。


 いや、実際浮かんでいるようだ――その人影の踵は地についておらず、かといって爪先立ちしている風でもない。そもそも地面があるのかも定かではなかった。


 頑馬がんまは驚きのあまり瞬きを繰り返すが、目の前の景色は変わらない。周囲は一面の黒。あの空き地も、薫子かおるこさんの姿もない。頑馬は気付けば、このどこまでも続くような闇のなかにいて、


「余が、お主の中のオトメンタルじゃ」


 正面には――肌が透けるような白い着物を身にまとった、女の子の姿がある。闇に目が慣れてきたのか、徐々にその輪郭が、容貌が明らかになってきた。


 黒髪をまるでミツキーマウスの耳のようなおだんごにした、頑馬より頭一つぶん背の低い少女だ。身長はおだんごを足してもまだ低いが、後ろ髪は足まで届くほどの量がある。額を出すようにまんなかだけアーチ状に前髪を切り揃えているが、幼い顔立ちを縦断するように一房だけ長く伸びている。

 いわゆるまろ眉と呼ばれる太めの眉の下、見開かれた大きな両目は好奇心が抑えられないといったような子どもっぽさがあるものの、その瞳は無感情な金色をしていた。まるで瞳の向こうから別の誰かがこちらを見つめているかのような、そんな不気味な印象がある。


 特徴的なまろ眉と人懐っこい笑み――ちょっと変わっているが、愛らしい女の子の姿がそこにある。


 これが、オトメンタル――俺の、理想のタイプなのか?


「むふふ」


 愕然とする頑馬に、微笑みかける女の子――目を合わせられずに視線を下げると、彼女の身にまとう「着物」とは名ばかりの、いろいろと目のやり場に困る衣装が、頑馬のなかの戸惑いを大きくする。

 そういうデザインと言われればそうなのだろうが、その服はまるで白い布を継ぎ接ぎして着物の体裁を装ったかのように、鎖骨や脇腹は覆えていないし、肩から二の腕まで肌を晒しているかと思えば袖は手を隠すくらいに余り、裾は股下数センチというミニスカートもかくやという露出っぷりで、そのくせ側面から後ろの方にかけては引きずるくらいに長いときた。ともすれば肌着の上からマントを羽織っているように見えなくもない格好なのである。パンツやズボンといったものは穿いておらず、ワンピースのようなその上着一枚だ。

 惜しげもなく晒された両腿は少女らしく薄い肉付きだが、特殊な衣装のせいかこの状況のなせる業か、大人びたなまめかしさを醸している――スカートのような丈の短い裾のなかから、蛇のようにも管のようにも見えるひも状の何かが伸びて、左脚に絡みついていた。


 見れば見るほど――分からなくなる。

 こんなエロい幼女が、本当に俺の乙女心オトメンタルなのか? だとすれば自分は実はロリコンだったということになる――仮にそうだとしても、ここまで具体的に、特徴的なビジュアルをもっているものなのか……。


「薫子らは、」


 と、少女が口を開いた。少女らしく高い声音だが、落ち着いた響きがあり、大人びた口調だった。


「いろいろと言っておったがのう、理想の女性像、好みのタイプというのはその実、一定ではないのじゃ。オトメンタルも同様、その時々の心境にも左右される。歳を経れば相応の好みにもなろう。十代なら同じ十代を、六十にでもなれば同じ年齢の相手が思い描かれる。むろん、例外もあるのじゃが――相応の年齢になってもまだ幼い子どもが好きなら、それが〝ロリコン〟というものじゃ」


「お、おう……」


「ただ、どんな好みじゃろうと、それは己の自由。それで世界が滅ぶわけもなし、他人に迷惑をかけないのであればロリコンじゃろうとショタコンじゃろうと、お主の自由じゃ」


 幼女に諭され、頑馬はなんとも言えない心境に陥る。


 いわゆる「のじゃロリ」「ロリババア」と呼ばれる、幼い見た目に反して精神年齢は成熟している系の女の子――ロリコンはロリコンでも、可憐な容姿だけでなく、その中に年上然とした包容力や頼もしさを求める……そうした特殊な、こじらせた性癖を自分が持っていたということ――


「というのは、嘘じゃ」


「……へ?」


「むふっ」


 むふふふ、と袖に隠れた両手で口元を覆い、笑う幼女である。頑馬は何がなんだか分からない。


「薫子がお主の上司なら、余はのう、いわば雇用主じゃ。社長……いやさ、社長秘書と言ったところかのう?」


「え? ……と、つまり……」


 この子は、オトメンタルというやつでは、ない?


 ……ではいったい、この子はなんなのか。そして、この場所は――


「薫子を通してお主はこの〝街〟と繋がったのじゃ。そして余という媒介巫女を通じて、この街の〝守り神〟と繋がっている訳なのじゃ」


「???」


「鈍いヤツじゃのう……。要は〝面接〟なのじゃ。薫子が『美少女戦士』としてお主を雇うという。だからその『魔法少女』という会社で一番偉い、社長であるこの余がわざわざお主の顔を見に来た、という訳じゃ。なにせ、お主に〝力〟を授けるのはこの余――ひいては、この土地の守り神なのじゃから」


 土地に選ばれた魔法少女、といったようなことを薫子は言っていた。


 この幼女は、その土地の守り神――その意思を伝える媒介者、巫女ということなのか。


「そしてこの場所はいわゆる〝精神世界〟――無間むげん領域。ユメウツツと書いて夢幻むげん、キリが無いと書いて無限むげん――語意ニュアンスは概ねそんな感じじゃ。ここでの百年は、現実での一瞬にも満たない――お主が薫子と契約を交わしたその一瞬が、今この瞬間なのじゃ。いわば、理解に至る過程よの」


 たとえばそれは、指先で何かに触れるような――触れて、そのモノの熱や反応を確かめて、それが何なのかを理解する――その〝過程〟。

 頑馬が薫子と契約した瞬間、二人のあいだで繋がり、薫子を通して頑馬に力が流れ込む過程において――その〝力〟がなんなのかを知る、瞬間。それが今。


「現実に戻れば、ここでの時間は〝一瞬〟に凝縮されるじゃろう。それは極度に圧縮された情報体じゃ。解凍し、内容を全て知識として把握するまでには時間もかかるじゃろうが、いずれお主はここでのやりとりの全てを確かに理解することじゃろう――理解するまで何度でも同じ話をするからの」


 なにせ時間はいくらでもあるのじゃ、と言って「むふふ」と笑う幼女である。


「…………」


 頑馬は知らず「ごくり」と喉を鳴らしていた。


 なんだか、長い話になりそうだ……。


「とはいえ――そうしていられそうにないのう……」


 頑馬が身構えたところで、幼女は自分の左脚を気にするように服の裾に触れる。前の方の裾にはどうやら左右にスリットが入っているらしく、小さな前掛けのようになっている。スリットから覗くのは素足だ。その脚に、ひも状の何かが絡みついている。それはどこか生物的な動きで、幼女の脚を締め付けるようにしながら裾の内側へと潜り込もうとしているように見えた。


「関係の薄い話ばかりしてもなんだしの、昔話は追々……そうさなぁ、夜な夜な、お主の枕元に立って夜伽として聞かせてやろうかの――」


 むふ、と笑いながら片手の袖で口元を隠す幼女。そして彼女はにやついた笑みを浮かべつつ、左脚に伸ばしていた手を裾のスリットに滑り込ませる。剥き出しになる白い腿がこれまで以上に頑馬の目を引いた。


(痴女だ……幼痴女だ……)


 思わず顔を背けると、また「むふふ」と楽しげな声が響く。


「これが〝生欲のぞみ〟ゆえ、反応するのは致し方ないのじゃ。自然の摂理と割り切って、いっそ堪能できる時にしておくべきじゃないのかえ? むふふ」


「の、のんびりしてられないんじゃ!?」


 言ってから、それが先の幼女の発言と矛盾することに気付く。しかし幼女からの説明はないまま、


「そうじゃのう――手始めに、『御使い』をやろう」


 裾をたくし上げようとしていた手を止め、その手をそのままこちらに向ける。


 袖の表面……袖のなかの手のひらの上に、光が灯る。小さな、おぼろげな灯火だ。それがすうっと頑馬に向かって流れるように移動してくる。


 っ――と、不意に灯火が内側から弾け飛んだ。爆発のようにも、ベールを脱ぎ去ったようにも見えた。次の瞬間には、そこに小さな女の子が浮かんでいた。


 さながら目の前の幼女をデフォルメしたかのような、二頭身の女の子である。ぱっと見た時に浮かんだイメージは「妖精」だった。何もない中空に、頑馬の目線の高さに浮かんでいる。パッツンとした前髪のあいだから、ほとんど〝点〟にしか見えない、くりくりとした黒目で頑馬を見上げていた。


「それは、『御使い』――使い魔、化物ケモノ、分霊、式神――呼び名はいろいろあるのじゃが、概ね伝わったかの。余の分神ぶんしんじゃ。までは、それにお主の身を守らせよう」


 目の前でくるくると回転した二頭身幼女は、現れた時と同じように不意にパッと姿を消した。


「さて――ことここに至ってはもう、事後承諾のようなものじゃが――ひとつ、お主に確認しよう。お主は何ゆえに、『美少女戦士』になるのじゃ?」


「なんでって……」


 改めて問われれば、答えに詰まる。


「なに、難しく考えなくてもよい。これは単なる、動機の確認じゃ。ことは惰性で続けられるものではない。時に壁にぶつかり、傷つき苦しむこともあろう。人助けをしても、それを自分の成果だと明言できない後ろめたさやもどかしさ、損を被ることもある。そういう時に、それでもなお『続けよう』と思える動機はあるか、これはそういう確認なのじゃ」


 ――どうだろう。これから自分が何をするのか、どんなことが待っているのか、それもまだ明確になっていないのだ。答えは、すぐには出せない。


「世界を救うだとか、そんな大義名分ではない――なんだかんだ言っておるが、薫子も結局は〝己のため〟――を解くために、今なお戦っている。そういう動機じゃ」


「俺は……」


「……まあ、追々、見つけていけばよい。ただ、それは〝己のため〟の望みであるべきじゃ」


「…………」


 沈黙する頑馬に構わず、幼女は両袖を打ち合わせてこもった音を立てると、「ともあれ」と告げた。


「さっそく、〝乙女学〟講義といこうかの。……あんまりのんびりしてると、



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