第6話 契約1




「……それで――」


 頑馬がんまたちは喫茶店のような室内から、外の空き地のような空間へと場所を移した。


 そこはつい十数分前とは様子が違っていた。同じ場所のように見えるが、違うようにも思える。何より、空気感が――夕方から夜に移り変わったような――黄昏とも夜明け前ともつかない、不思議な雰囲気を醸している。


 藍のような色合いの空の下、塀に囲まれた空き地の四方には電柱があり、街灯が点灯している。頑馬の脳裏をよぎったのは、深夜のグラウンドで行われる百本ノック。なんだかそんな印象を受ける情景になっていた。


(むし――)


 街灯がともっていれば、その周囲には羽虫が飛んでいそうなもので――もしかすると『蟲』でもいるのではと思ったのだが、目の届く範囲にそれらしきものは見当たらない。空き地を照らす街灯は清冽な輝きを放っている。まるで、邪なものを寄せ付けないかのような神聖さすら感じる光だ。


「この空間に『蟲』は入ってこれないわ。ここは、魔法少女の――土地の神の、神聖なテリトリーだもの。実戦経験を積むなら〝外〟に出るべきだけど、今は――」


「……流れで認めましたけど、本当にこの少年を使うんですか?」


 と、何やら不満そうな青年――魔法少女――いや、美少女戦士である。いつの間に着替えたのか、全体的に青い服装になっている……と思えば、どうやら変身しているようだ。


「そのつもりで彼に粉かけたんでしょう?」


「ま、まあ……」


 絶対嘘だが、先ほどそんなことを言った手前、反論は出来ないようだ。二人の力関係が分かってきた頑馬である。


「それで、その……? 美少女戦士になる……んです、よね? 俺?」


「写真撮ったげるよ」


「やめろやめろ」


 ボロ屋の前で待機している綾心りょうこがにやにやしている。なんだかこいつの前で変身するのは、ちょっと嫌だ――


(女装……ではないけど、そういうの見られる気分だ……)


 まずは、と。薫子かおるこさんは頑馬の前にやってくると、頑馬の右手を取った。


「お座り」


「……えっと?」


 これが赤の他人なら――まだまだ見知った仲とは言えないが――普通に拒否するところだが、不思議と「そうする」のが正しいことであるような感覚が――彼女に触れられた右腕から伝わってくる。


 何をすればいいのか、分かる。


 彼女の前に膝をつき、その右手と握手を交わす。ぶんぶん交わす。


 それから、


「――――」


 額に、口付けが降った。それは一瞬、しかし――


(なんかめっちゃ、どきどきする……)


 こころなしか外野陣も息を呑むように押し黙っている――なるほど、神聖な儀式のような空気感だ。


「これで、契約は成立――お互いの了承を以て――あなたはこれから、私のために戦う『美少女戦士』となる」


「――――」


 胸の鼓動は、どうやら錯覚ではない。まるで新しい心臓からこれまでとは異なる血液が全身に送られていくように――確かに、静かに、その鼓動を感じる。その胎動を実感する。


「さて、これで第一ステップは終了。次は、あなたの〝変身〟――つまり、あなたの中に眠る『乙女心オトメンタル』の覚醒が必要よ」


「おと……めんたる?」


「つまり、人間が何かを可愛いと感じる、心の一部分――それはたとえば、女の子が女の子らしいところ。あるいは、男の子の中にあるやさしさそのもの――」


「?」


「もっと俗的に言えば、女が男を好きになる感情の根源。男が女を好む――自分の中の〝タイプ〟というもの。理想の女性像ね。それが『乙女心』。……もしも、乙女心を失うようなことがあれば――女性は、男性的に。男性はより動物的な存在と化す」


「極端に言えば、人類は滅亡する」


「え」


 恋無れむ少年の一言がすぐには飲み込めない。なんでも単刀直入に話せばいいというものではない。


「つまり、女性は男を好きになることがなくなるんだ。そうなれば、子どもは生まれない――種は絶滅する。一方で、男の方からも理想の女性像が喪われ……〝恋〟というものを忘却する。恋愛への関心をなくすだけでなく、場合によっては女性のことを〝子どもをつくる道具〟としか見れなくなる訳だ」


「と、とんでもねえ話ですね……? にわかには信じがたい、ですけど――」


 そもそも、今の話は、あくまで仮定の――その『乙女心』とやらを失ったら、という仮の、中でも極端な話――


「その『乙女心』を喰うのさ、『蟲』ってやつは」


 クロウの一言で――全てが繋がった、気がした。


「〝それだけ〟では、ないけれどね。つまり、『蟲』は人類から生殖能力を――その機能を扱おうとする理性的な力を、奪う存在。種を滅ぼしかねない、〝敵〟なのよ」


「昨今取り上げられる〝中性化〟を促す存在、とも言えるな」


「人類は、少なくとも、まだ――たとえば、同性同士であれ子どもをつくれるような技術を確立していない以上――現状、『乙女心』を奪われる訳にはいかない。種の存続手段が発達するまで……魔法少女の仕事は続くってわけ」


「わ――」


 さっきまではどこか内輪揉めみたいな印象だったのが、急にスケールアップした。魔法少女はとんでもない使命を背負っているのだ――


「ともあれ、今はその、あなたの中にも眠る『乙女心』を自覚する必要がある。それはつまり、あなたの思い描く理想の女性像――好みのタイプ。人によっては人格が形成された時にはもうタイプが確定しているようだけど、様々な経験を経て形成していく――たとえば、最近可愛いと思ったもの、美しいと思ったものが、そのもの今のあなたの好みのタイプになりえる――そして、それがそのもの、あなたの『美少女体』になるわ」


「つまり、ゲームプレイ開始時に行うキャラメイクという訳だ。特殊な性癖でもない限り、性能には影響しないから自由にするといい」


 どうしてこの少年の言葉はいつも、シンプルすぎて難しいか、不思議と親しみを覚えるたとえの両極端なのだろうと頑馬は思った。


 なんにしても――


「俺の中の……」


 ちら、とボロ屋の方を窺う。そこに立つ――


(あの人のこれも、そういうことなのか?)


 言われてみれば――長身で、長髪で――その、雰囲気――どこかの薫子さんを彷彿とさせるような気がしないでもない。


(ははあ……)


「おい」


 めっちゃ低い声で威圧された。美少女には似つかわしくない目つきをしていた。


「集中して」


 という薫子さんの言葉に、頑馬は彼女に向き直る。


「思い浮かべなさい――それだけで、あなたは変身する――」


 促され、目を閉じる――


「集中しながらでいいのだけど――いくつか、注意事項を。美少女戦士になったら、絶対に女の子と交際しないでね。特に、交配はNG」


「え、後輩?」


「集中して――なぜかというと、交配するということはつまり、生物として、種を保存する活動に一区切りがついた、ということなのよ。それは最盛期の終了を意味する――美少女戦士としては、魔力を維持できなくなるのね。どんどん力を失っていくことになる――分かりやすくいえば、男性なら童貞のまま、女性なら処女のままでいること――それが魔法少女・美少女戦士でいるための、最低必要条件」


「へえ――……え?」


 それって、つまり?


千種ちぐさには子どもがいる。それも、二人。魔法少女――魔女としての力は、全盛期より劣るでしょう。だけど、今なお健在。それは彼女が息子を使い、若い女たちを集めて――その力を搾取しているためよ。千種はまさに、悪の魔女――それから」


 まだあるのか。何かこう、流れでごまかそうとしている気配も感じるが――


(そっかー……年齢差もあるけど――そういう事情から魔法少女を引退出来ない訳か――早く魔女を倒してこの因縁に決着をつけないと、婚期を逃し続ける――)


 なんだかんだ様々な雑念が入り込んでいたが――


「ネコを可愛いと思っちゃったら、それがあなたの乙女心に影響を及ぼすかもしれないわ」


「つまり、『美少女体』がマスコット化する訳だ」


 最後にとんでもない爆弾を放り込まれ、うっかりネコを思い描いてしまったが――



「――――!」



 ――芽能めのう頑馬は、己の中の乙女心と――〝美少女〟と、邂逅する。



「余が、お主の中のオトメンタルじゃ」



「まさかの〝のじゃロリ〟!?」



 そんな――俺は、ロリコンだったのか……?


 その事実は、芽能頑馬の価値観を揺るがすほどの衝撃をもたらした。



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