第3話 視線




「どうやら、彼が目覚めたみたいね――わたしの蒔いた種は着実に芽を出しつつあるわよ、薫子かおるこ――機がやがて熟すわ。冷戦の終わりはもうすぐよ」



 ――謀略の深淵にて、魔女はその口元に笑みを湛える。



 其は、最果てへの足掛かり――




 ――正直なところ、慣れてきた感もある。


 朝、目を覚ました芽能めのう頑馬がんまは鏡を見て顔を洗いながら、なんとなく昨日のことが夢なのではないかと思っていた。


 しかし、リビングに出て――養父母の頭部に乗ったそれを見て、戦慄した。


 気持ち悪い――生理的に、無理だ。昔から、カブトムシさえキモいと感じる子どもだった。虫は苦手だ。蚊ならまだしも、ハエは無理。体に触れただけでも鳥肌が立つし、当然Gに関するそれを見つけた日には年末もかくやというレベルで大掃除を始める自信がある。


 綾心りょうこも、頑馬ほどではないが、人並みに虫は嫌いだろう。Gを冠するそれを瞬殺するスキルがある。嫌いだが、手は出せるのだ。


 そんな虫嫌いたちにとって、朝から続くこの異様な光景は地獄絵図以外の何ものでもなかった。


 道を行きかう人々の頭部に――トンボのようなものがとり憑いている。


(トンボだ……よく見たら、目っぽいものがある……複眼だ……キモいいいい!)


 人生に絶望したかのように顔を伏せながら、なるべくそれを見ないようにしながら登校した。スマホで連絡を取り合ってはいたが、案の定、教室で再会した綾心の顔色は真っ青だった。頑馬も同じく蒼然としていたが。


「現代人のスマホ普及率並みなんですけど……」


 綾心のコメントは的を射ていた。その通り。ここまでの道中――もちろん、教室内でも、それは人々の頭上に憑いていた。時折、頭部を離れ、また別の人の頭にとり憑く――


「どうしたんだよ、ガンマ。まるで恥ずかしくて顔も上げられないみたいな……下半身にテントでも立ってんの? ソロキャン中?」


「近づくな!」


「え、」


 硬直する友人である。クラスメイトたちも何ごとかと一瞬こちらに視線を寄越す。


「え、あ、ごめん……朝から下ネタ言って、ごめんなさい……」


「いや、そうじゃないんだ、お前の言ってることは何一つ理解できてないけど、俺、今ちょっとあれなんだよ。……せ、静電気! めっちゃヤバいの!」


「?」


「ていうか――」


 友部ともべの頭上にも、それがいる。当然のようにそれがいる。ウサミミのごとく二翅を屹立させ、つぶらな瞳(複眼)でこちらを見つめている。


「……お前、なんとも思わないの?(頭の上のそれ)」


「え? ……え?(分からない)」


「いや、いいんだ……(見えないなら……)」


「……え、何? いつものスキンシップじゃん……。え? もしかして――というか……もしかして何か誤解されてます!? いやいや違うんだよ、おれは別にそんなんじゃないから!」


 相変わらず何を言っているのか分からないが、とりあえず友部はそれから頑馬と距離を置くようになった。交友関係にとって軽く致命的なことをしてしまった気もするが、今の頑馬は、友部の頭のそれが自分の上に移ってくるんじゃないかという心配でいっぱいいっぱいだった。


(とり憑かれたら、たぶん自分じゃ振り払えないよな……)


 ここまでの道中にもちらほら、頭にそれを乗せていない人もいたが――立ち止まったり、スマホに視線を落としたその隙に、近くにいた人の頭部へと乗り移る光景を何度か目にした。


 いつそれが自分の身に降りかかるか――授業中なんて特に、頑馬の席は後ろの方にあるものだから、否応なく前の席の後頭部に目が行く訳で、それが嫌で顔を伏せていると先生に注意されその頭部に乗った細長いものと目が合ってしまうという――お前の頭、座り心地よさそうだな――そんな風に考えているのかもしれないと思うと、気が気でいられなかった。


 綾心も同様の心境だったのだろう、休み時間に、


「正直今からでも行きたいんだけど、放課後なったら昨日の場所、オケ?」


「あ、あぁ……」


 綾心の方から放課後の約束を取り付けてくれたが、しかし――昨日の場所とは、いったいどこだろう。


(適当に歩いてたからな……。また会えるかな、あのインチキお兄さん――)


 拷問みたいな時間から少しでも逃避しようと、頑馬は昨日のことに考えをめぐらせた。


 それから、このトンボのような物体について。

 ちらちら見ていると、色や形など、微妙に個体差があることが分かった。時折飛び回っているが、羽音は聞こえない。モスキート音というやつか。それなりのサイズ感だから何かしら聞こえそうなものだが、それだけでなく、飛んだり乗ったりしているにもかかわらず、ヘリポート扱いされている頭部にまるで変化がないのだ。髪が揺れるでも、当人が反応するでもなく――まるで、実体がない。


(……生き物、なのか? 確か、『蟲』って言ってたけど――まさか、寄生虫? 人間にとり憑く――エイリアン!? 地球は既に……!?)


 なんにせよ、それの数は現代人のスマホ普及率並みである。自称・魔法少女が平和維持活動に出るのも頷ける。


(マジで……見えなくするだけじゃなく、そんなものがあったという記憶ごと魔法で消してほしいんだが――)


 授業の内容はまるで頭に入ってこなかった。

 代わりに、「見られている」と――トンボ型謎生物の視線をひしひしと感じるのであった。




 そして、人生でこれまでになく待ちに待った、放課後――


「あれは……」


 校門を出たところで、頑馬はひと際目立つ『蟲』を目にして寒気がした。


 帰宅する少年少女の頭部にはもれなく例のあれが憑いている。まるで流行りのファッションだが、こうもみんな揃って同じものをつけていると、逆に誰かが特別目立つということはない。


 しかし、それは違った。


 女子生徒のグループの頭上、赤に近い錆色をした『蟲』が浮かんでいる。


 見た目は他の個体とそう変わらない。気になったのは、雰囲気だ。何か、禍々しいものを感じるというか――翅の光り方が違うのだろうか。てらてらと、脂っぽい色身を帯びていて、脈打ってるように見える。


(女の子――特に目立たない――いや、もしかして……? この前、見かけた子だったりするのか?)


 頑馬が最初に魔法少女を目撃したその日にすれ違った少女、のように見える。一瞬だったし、今も他の女子にあいだに隠れてしまったのではっきりそうだとは言えないが――


(……結局この前のあれの正体はお兄さんだった訳だが――もしかして、この子にとり憑いてた『蟲』を退治してたのか? まだ、憑いてるけど……)


『蟲』とは、いったい何なのだろう――


 思わず足を止めていると、同じく立ち止まっていた横の綾心が歩きだしながら、


「地図を見てたから、だいたいの場所は分かるけど――あとは、運に賭けるしかないか……」


「そうだな……。会えたら、今度は連絡先を交換しておこう、念のため――」


 ともあれ、だ。

 それもこれも、例のお兄さんを見つければ解決する。


 頑馬と綾心は地図アプリを頼りに、昨日の住宅街と思しき一帯を目指した。


 ――その道中、


(あれは――)


 頑馬は再び、目を奪われる。これまでにも校門前の少女のように、特殊な雰囲気を持つ『蟲』は見かけてきたが――


(下半身脳筋野郎……と、)


 日を反射しギラギラと輝く金髪、視線で人を殺しかねない凶悪な三白眼――日本人離れした容姿でありながら、よくいるジャパニーズテンプレートヤンキー然とした雰囲気を持つ、イケメン――


 竿留さおとめ実継みつぐである。


 こんな犯罪者予備群みたいな見た目、雰囲気にもかかわらず、「あぁ、これはイケメンだ」と同性ですら頷いてしまう美形の少年――絶対皇帝、唯一イケメン、性格最悪人格最低――


 そんな男が、である。


(幼女と、手を繋いでいる……)


 摘みたてのトマトみたいな色のランドセルを背負った、小さな女の子の手を引いている。


(女ならお構いなしか!?)


 それもそれで目を引く光景だし実際多くの通行人の視線を独り占めしているのだが、今の頑馬の注意を引くのはそんな上辺だけの絵面じゃない。


(『蟲』が……)


 憑いていない。だけじゃない。彼の頭上へと向かっていったトンボのようなそれが――すっと、真っ二つになって通り過ぎ、そして消える。


(触れれば、斬るってか……これが、イケメン力――)


 思わず見つめていると、実継に手を引かれた幼女がこちらに顔を向けた。


 目が合う。

 にこっと、微笑む。反射的に笑みを返した頑馬は凍り付く。


「――――」


 ア!? て感じだった。


 横のイケメンがものすごいガンを飛ばしている――


(や、やべぇ、せっかく綾心と二人なのに――逆効果になる……!)


 友部の言葉を思い出す。


『あいつ絶対〝人のモノ〟好きなタイプだから、気をつけろよな――まぁ、気をつけろたって、どうしようもないんだけど……』


 地図を確認していた綾心がそちらに気付く前に、頑馬は綾心の手を引いて急ぎその場を後にした。




 そして――


「あ」


 いわゆる〝逢魔ヶ時〟まで粘った末、二人はようやく〝違う場所〟に出た感覚を得る。


 昨日は気付かなかったが、上空に例の『蟲』が飛んでいる――さながらカラスのように、電線に停まって地上を睥睨している個体もいる。二人は意味がないと分かりつつ両手で頭を庇いながら、夜明け前のような色合いに染まった住宅街を進む。


 そして――どこまでも続く、コピーアンドペーストされたような風景の先――等間隔に並んだ電柱に交じって、塀に背を預ける青年の姿を見つけたのだった。



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