第3話「そんなこと言っていない。根に持っている」
放課後になって、一年九組に行く途中、詩織に「内藤先輩って変わっていますね」と至極真面目に言われた。先輩に対して失礼な物言いだったけど、馬鹿にするような感じでもなければ、呆れたような口調でも無かったので「そうかな」と返してしまった。
実を言えばそう指摘されるのは初めてではない。不思議な感じだねとか飄々としているねとか、直接的な言い方はしないけど似たようなことは何度も言われている。
「知り合って間もない後輩のいざこざを進んで解決しようとは思いませんよ」
「僕の身の安全を守るためだからね」
詩織はしょんぼりとして「もうやらないですよ」と小声で言った。
一度暴力を振るった人間は、何度もやると経験で知っているので信用ならない。
「そういえば先輩は部活行かないんですか?」
「文芸部は基本的に自由だからね。出たいときに出ればいいんだ」
「ゆるい部活なんですね」
「文月さんはどの部活に所属しているんだ?」
九組の札が見えたところだったけど、気になったので訊ねる。
詩織は「陸上部です」と答えた。
「陸上部? 足速いの?」
「そこそこですね。私、長距離走なんですよ」
「長距離走?」
意外だったので足を止めて詩織を見回す。
身長が高いので、当然手足が長い。だからバレーとかのほうが適正ありそうだ。
だけど長距離走が向いているかといえば微妙だ。僕の記憶だとマラソン選手は小柄な人が多い。
「体力をもっとつけたくて。それにダイエットにもなりますし」
「体力はともかく、ダイエットはする必要なさそうだけど」
「あは。瘦せて見えますか?」
嬉しそうな表情をする詩織。
表情豊かなところは女の子らしい。
「うん。まあ……教室にあんまり人いないな」
教室の扉の窓から九組の生徒が数人いるのが見えた。
五人が一つの机に集まって談笑している。
「あの中に真田いるか?」
「いえ。いないようですね」
放課後だから部活に行ったり、帰宅するのは当然か。
とりあえず、真田のことを訊いてみよう。もし帰っていたら明日の昼休みにでも出直すことにする。
教室の扉を開けると五人は一斉に僕たちに注目する。
そして「えっと、何の用?」と一人の男子生徒が応対した。
「真田っている? 少し話したいんだけど」
五人は顔を見合わせる。
先ほどの男子が「みさおなら中庭にいるよ」とあっさり答えた。
「部活に行く前はいつもそこにいる。花壇の花が好きなんだって」
「へえ。ちなみに部活はどこに入っているんだ?」
「えっと。天文部だった……ってなんでそんなこと聞くんだ?」
不審な顔に五人が変わっていく。
九組の生徒は団結力があって、少しだけ排他的だ。それは一年生でも変わらない。
僕は詩織が余計なことを言う前に「地元の中学の後輩なんだよ」と嘘をついた。
「久しぶりに会いたいと思ってさ」
「あ。二年生なんですか?」
「よく一年生に間違えられるよ。それじゃあ教えてくれてありがとうね」
深く突っ込まれる前に九組から出て行く僕。
詩織もついてきて「よくもまあ嘘が出てきますね」と尊敬が半分入り混じった声で言う。
「一応、どう聞き出すか考えていたから。それと改めて聞きたいことがある」
中庭に行くには一階から出る必要がある。
階段を下りているときに「鳥山さんとのトラブル、まだ聞いていなかったね」と切り出した。
「そろそろ話してくれない? 気になってしょうがないんだ」
「うーん、まあ簡単に言えば神楽が真田に告ったんです」
「へえ。積極的なんだね」
「だけど真田は返事しないどころか、神楽のこと無視するんです」
「それはいただけないな」
断ることは相手に対する礼儀でもある。
自分に好意をくれたのだから、きちんとけじめはつけるべきだ。
「だから真田を成敗しようとしたのか」
「……でももうそんな気はありません。昨日、内藤先輩が帰った後、神楽に叱られましたから」
詩織の声が悲しみを帯びたものだったので、顔をじっと見る。
整った顔立ちが歪んで、眉が八の字になっていた。
それでも根本を解決しない限り、信用できない。
「ま、真田の出方次第だな」
こういうとき、女の子を慰める言葉を僕は持ち合わせていない。
それは女の子の扱いに慣れていなかったこともあるけど、単純に誰かを慰める経験が極端に少なかったせいである。
◆◇◆◇
真田は中庭のベンチに座って、九組の生徒が言ったとおりに花壇の花を見ていた。
僕と同じ、男子にしては小柄な体格。髪も長く伸ばしていて一緒だった。制服の学ランはただでさえ個性を埋没させるから、後ろ姿で間違えることもあるだろう。ましてや二回ぐらいしか会っていないのだから。
顔立ちは中性的で、どちらかというと女の子のように見える。肌は白くて入院患者みたいだ。はっきり言ってしまえば少女漫画に出てくる理想的な美少年だ。花を見る目つきが優しくて時折微笑む所作は綺麗だった。
「君が真田くんだね」
僕が話しかけると、目を細めながら――日の光で眩しかったのだろう――怪訝そうに「うん、そうだよ」と答えた。そして後ろの詩織に気づく。
「あ。文月さん……だっけ。久しぶりだね」
「うん。久しぶり」
「それで、君は誰?」
「内藤賢悟。二年生だよ」
自己紹介すると「あ、二年生ですか」と慌てて敬語になる真田。
僕は「隣、いいかな?」とベンチの空いているところを指さす。
真田は黙って端に寄った。僕は真ん中、詩織はその横に座る。
「単刀直入に言うと、真田くんと話がしたいんだ」
「……神楽ちゃんのことですか?」
察しがいいのか、それとも詩織がいたからか、それともそのことで頭が一杯なのか。
僕は簡単に昨日の出来事とここに来た理由を話した。
真田は黙って、詩織は気まずそうに聞いていた。
「内藤先輩は、怪我をしたのは私のせいだって言いたいんですか?」
端正な顔をほんの少しだけ困惑に歪ませた真田。
僕は「そんなことを言いに来たわけじゃない」と否定した。
「悪いのは文月さんだ。それに関して君は悪くない」
「ではどうしてここに?」
「文月さんは反省していて二度と暴力を振るわないって言ったけど、一度会っただけの人間を信用するほど、僕はお人よしじゃない」
詩織が息を飲んだけど、半ば無視して「ここに来た目的は三つある」と言う。
「一つは鳥山さんとのトラブルを解決すること。二つ目は文月さんが二度と暴力を振るわないこと。そして最後は、君を守るためだ」
「私を、守る?」
最後の目的に反応したのは、前の二つが予想できているからだろう。
「ああ。いきなりドロップキックするような危険人物からね」
「……あの。内藤先輩は気にしないって言いませんでした?」
耐えきれなかったのか、詩織が恐る恐る訊いてきた。
僕は「そんなこと言っていない。根に持っている」と顔を見ずに答えた。
「それに真田くんはおそらく、鳥山さんのことを気にしているみたいだ。だから未だに名前にちゃん付けで呼んでいる」
「…………」
「嫌いだったり興味なかったら、親しく呼んだりしない」
半分以上はったりだったけど、真田は「よく分かりますね」と苦笑いした。
「内藤先輩のおっしゃるとおりです。私は神楽ちゃんのことを気にしています。いや、それ以上に……大切に思っています」
「それは友達として?」
「そうです。私は友達としてしか、神楽ちゃんのこと……」
「踏み込んだことを訊くけど、それはどうしてかな?」
真田は今にも泣きそうな顔で「言えません」と答えた。
「だったらそう言ってあげればいい。無視する必要はないだろう」
「内藤先輩。真剣な思いで告白されたら、同じ覚悟で答えないといけないと思いませんか?」
正しい意見だったので僕は頷いた。
真田の目から小さな雫が落ちた。
「断るとしたら、私の秘密も言わないといけない。だけど、神楽ちゃんがショックを受けるかもしれない……それが怖いんです」
「秘密……それを言わずに断れないのかな?」
「駄目です。神楽ちゃんは、私の大事な友達だから」
ぽろぽろと落ちる涙。
僕は黙ってハンカチを差し出した。
真田は受け取って目元を拭いた。
「ねえ真田。もしかしてだけど、神楽は知っているかもしれないよ」
真田が落ち着いてから、詩織がゆっくりと彼を動揺させないように言う。
僕は「どういうことだ?」と素早く問い返す。
「内藤先輩。私、直接聞いたわけじゃないけど、神楽は言っていたんです。真田は偽っているって」
「偽っている? 何をだ?」
「詳しくは分からないです……」
要領を得ない、煙に巻くような言い方だった。
真田を見ると妙に納得したように「かもしれないね」と言う。
「真田。もう一度、神楽に会って」
「文月さん……私、どんな顔をして会えばいいのか、分からない」
「そのままで会えばいいんだよ」
詩織は「そうですよね、内藤先輩!」と僕に水を向ける。
おいおい、ここで僕が説得するのかよ。
「真田くん。僕は別に鳥山さんと君が結ばれることを願っていないよ。だけど、二人の間のわだかまりが無くなればいいと思う」
「内藤先輩……」
「秘密を明かさなくてもいい。鳥山さんと向き合ってほしいんだ」
真田はまだ迷っていた。
だから背中を蹴るのではなく、押すような言葉を投げかける。
「安心しなよ。きっと良い方向に進めるから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます