第2話「気まずい相手との食事は慣れているからね」
本人にも言ったが、文月詩織――花上先生からフルネームを聞いた――のことは一か月前の入学式で知っていた。友達で生徒会役員の鮫田康介の手伝いで、入学式の進行を担っていたとき、やたらと背の高い女の子がいるなと思っていた。
目を引くほど目立っていたわけではないけど、姿勢が良くてきびきびとした動きで、元気よく返事をしていたのを覚えている。女子の制服であるジャンパースカートがアンバランスに見えて、少し気の毒だなとも思った。
どうして印象に残っていたのかは分からない。それに一年生との関わりは部活動以外あまりないので、徐々に記憶から無くなってしまった。積極的に関わろうとする勇気など持ち合わせておらず、五月になる頃には頭の片隅に留める程度だった。
もしかすると、背中にドロップキックを食らわされることを予見でもしていたのかも――これは嘘だ。僕は超能力者じゃないし、予想もできるはずがない。
しかしいろいろ考えたところで、会うこともないだろう。謝罪も済んだ。後は先生たちの説教で終わりだ。
次の日、病院から処方された痛み止めを飲んで、だいぶ楽になった背中を擦って、問題のないことを確認すると、僕は普通に登校した。真面目な学生を目指しているので、欠席はあまりしたくなかった。
二年四組の教室に入ると、クラスメイトが「大丈夫?」と声をかけてくる。話したことのない女子まで心配そうな目で見てくる。どうやら昨日のことは広まっているらしい。
「大丈夫。もう治っているから。みんなありがとう」
もちろん嘘だ。医者から「痣が消えるまで三週間かかるよ」と診断されていた。
だけど無用な心配をかけるのも、不要な心配りを受けるのも嫌だった。
クラスのみんなはなんでも頼んでいいよと言ってくれた。案外、優しいんだなと思いつつ、窓際にある自分の席に座った。前の空席の机の引き出しから、真新しい漫画が見えたので、奥に入れてやった。
それから授業を適当に聞いたりして時間を潰した。前席の主、鮫田の停学が解けるのは明後日だったなとか、空に浮かぶ雲はゆっくり流れるなとか、くだらないことをつらつら考えていると、あっという間に昼休みになった。
弁当を持参していない僕は学生食堂へ向かうのが常だ。購買はいつも並ぶけど、食堂は広いので余裕をもって食べられる。今日は何を食べようかと考えながら席を立つ――
「あ、あのう。ここに内藤先輩いますか?」
自分の苗字と敬称がセットになった単語が聞こえた。
その方向を向くと、神妙な顔をした文月詩織が立っていた。
「あなた……確か、内藤くんに怪我させた子だね」
話しかけられた女子が厳しい目つきと声で確認する。
詩織は申し訳なさそうに「はい。そうです」と認めた。
「何の用なの?」
「謝りたくて……」
クラス中の視線を集める詩織。恐れや怒り、そして呆れが入り混じった負の感情を一身に受ける。
僕は別に好かれているわけじゃないけど、先輩にドロップキックした女生徒を好ましく思う者はいない。
「えっと。昨日ぶりだな」
僕のほうが重い空気に耐えきれなかったので、詩織のほうへ歩く。
彼女はあからさまに安心した顔になった。よく見ると目が大きい。
「内藤……先輩。昨日はすみませんでした」
深く頭を下げる詩織に「ここじゃなんだから別のところで話そう」と言う。
「ご飯食べた? それともまだ?」
「まだです。それよりも謝らないといけないって思って」
「そう。じゃあ食堂行こうか。弁当あるなら教室に取りに行っていいよ」
詩織は「お弁当は持ってきてません」と答えた。
昨日と違って敬語なのが少し面白い。
僕たちは無言のまま、食堂に向かった。
券売機で僕はナポリタン、詩織はBランチを選んで購入した。先輩なら後輩に奢るんだろうけど、そんな義理はない。
料理をお盆に載せて真向かいに座った僕と詩織。
粉チーズとタバスコを少し振って、フォークで巻きつつ「とりあえず食べようか」と手を付ける気配がなかった詩織に言う。
「喋りながらでも会話できるだろ? それともマナーが悪いって思うタイプ?」
「いえ、思わないですけど。それより、よく平気ですね?」
「何が?」
「加害者と食事できるって意味です」
人聞きの悪い言い方だけど、正鵠を射ている。
僕は巻いた麺を口に運んで食べ、飲み込んでから答える。
「気まずい相手との食事は慣れているからね」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味。それに謝罪は昨日、受け取っているから。反省もしているそうだし」
詩織は困った顔で「怪我させたこともそうですけど」と言葉を紡ぐ。
「先輩とは思わず、ため口利いたり、生意気な口叩いたりして。それはまた謝っていないです」
「気づいていなかったから大目に見る。でも謝りたい気持ちがあるなら十分だ」
それから僕たちは各々の食事に取りかかった。
詩織は体格どおりたくさん食べるようで、一番ボリュームのあるBランチをぺろりと完食した。
でもこれから怒られると想像しているのに、がっつり食べるその神経は驚嘆に値する。
「それで……文月さんだっけ? よく僕が二年四組にいるって分かったね」
「初めは一年四組に行ったんです。朝のうちに。でもいなかったから、怪我のせいで欠席したのかなと思ったけど、聞いてみたら文芸部の子が教えてくれて」
僕は文芸部所属なので、まだ顔を覚えられていない後輩の誰かが言ったのだろう。
ちょっと気になっていた疑問が晴れたので、すっきりとした。
「ふうん……質問ばかりで申し訳ないけど、僕と間違えた真田って生徒、何したの?」
騒動の核心部分である、真田のことを訊ねる。
詩織は目を伏せて「経緯を説明するのは難しいですけど」と前置きをした。
「昨日一緒にいた、神楽……鳥山神楽は覚えていますか?」
「まあ昨日の話だからね。ちょっとおどおどしていた子だろう?」
「いつも自信なさげなんですよね……その子と真田にトラブルがあって」
「まさか、それで真田にドロップキックしようと思ったのか?」
短絡的な考え方だ。いくら少し前まで中学生だったとはいえ、あまりに子供過ぎる。
詩織は気まずそうに「とても腹が立ったんです」と小さな声で答えた。
「君たちの関係は分からないけど、暴力を振るうのは良くないよ」
「それは分かっています」
「分かってないよ。実際、被害が出ているんだから。しかも誤認で」
ぐうの音の出ない正論に言葉を詰まらせる詩織。
責めるつもりはなかったけど、自然とそうなってしまう。
「その真田……男であっている?」
「えっと。多分そうです」
「多分って……会ったことないの?」
曖昧な言い方だから疑問を覚えたので確認すると「会ったことはあります」と詩織ははっきりと答えた。
「二回だけですけど。神楽の紹介で知り合いました」
「少ないな。この学校の生徒なのに?」
「あー、真田は九組なんです」
それを聞いて僕は納得した思いだった。
この学校の一組から八組は普通科だけど、九組は外国科なのだ。英語などに特化したカリキュラムを組んでいて、普通科と関わることは極端に少ない。体育の授業でも一緒になったことはなかった。
「文月さん。放課後時間ある?」
時計の針は既に昼休みの終わりの近くまで指していた。
詩織は「部活動禁止になったのであります」と言う。
「まあ校内で暴力を振るったらそうなるか。それじゃ、下駄箱のところに来てよ。僕も行くから」
「えっ? なんでですか?」
きょとんとしている詩織に僕は「決まっているだろう」と言う。
「真田に会いに行くんだよ」
「…………」
「僕は顔を知らないし、トラブルに遭った鳥山さんに紹介させるわけにはいかない。それに後輩とはいえ九組に一人で行く度胸も無い」
鮫田がいれば詩織がいなくても良かったけど、あの馬鹿は停学中だ。
詩織は「会いに行って、どうするんですか?」とやや警戒していた。
「そりゃあ、鳥山さんとのトラブルを解決しに行くんだよ」
当たり前のことを普通に言ったら、詩織は驚愕した表情になった。具体的には目を見開いて、口をぽかんと開けて、何も言えなくなった。
「後でトラブルの詳細は教えてもらう。それで真田の言い分を聞いて、二人を仲直りさせる」
「あの、でも。どうしてそこまでしてくれるんですか?」
詩織は不思議に思っているらしいけど、僕にしてみればやらねばならないことだった。
「また真田に間違えられて蹴られたくない。ただそれだけだよ」
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