第27話:背中を押されて

「……ひひっ、ひひゃひゃひゃひゃっ! おいおい、マジかよぉ! 侯爵令嬢ともあろうお方が、地面に顔を擦り付けながら、這い出てきやがった! ぎゃひゃひゃひゃっ!」


 エリーの姿に笑いが止まらないコープスだったが、彼女が無事だと知ったウィードにとっては何にも変え難い声援になった。


「諦めないで、ウィード! あなたは強い! 誰よりも強いの!」

「ひひひっ! この状況でそんなことを言えるとは、侯爵令嬢ってのは、バカしかいないみたいだなぁ!」

「私は知っているわ! あなたの心が弱っていたことを! でも、今のあなたなら乗り越えられる! だって、あなたはあの頃よりも強くなったんだもの!」

「ひひ……おいおい、この状況で、俺様を無視するってぇのかぁ?」

「ウィード! あなたは、強いわ!」


 コープスがどれだけ笑おうが、喚こうが、エリーは気にすることなくウィードに声援を送っている。

 その行動に苛立ちを覚えたコープスは、この場から邪魔者を排除する必要があると判断した。

 視線をエリーに向け、一歩足を踏み出そうとした――その時だった。


「止まれ」

「……あぁん? てめぇ、誰に口を聞いてやが――おっと!」


 先ほどまでの苦しみはどこへいってしまったのか、ウィードは鋭い動き出しから袈裟斬りを放った。


「今のはなかなかよかったぜぇ〜? だが、その程度じゃあ……あぁん?」


 余裕を持って回避したはずだった。

 しかし、コープスの胸には斜めに鋭く伸びた傷が刻まれており、じわりと血が滲み出している。

 致命傷ではなく、傷が深いわけでもない。

 それでもウィードにとっては初めて与えた一撃であり、コープスにとっては初めて驚異に感じた瞬間でもあった。


「……てめぇ、何をしやがった?」

「……」

「答えろおっ! 何をしたかって聞いてんだようっ!」

「黙れ。耳が痛い、囀るな」

「なんだ――うおっ!」


 最初の攻防とは明らかに違う動きに、コープスの表情が焦りに変わる。

 遊びのように振るわれていたナイフには殺気が込められているが、それでもウィードを殺すには至らず、それどころか防御にまで手を回さなければならなくなっていた。


「くそがあっ! マジで、何なんだよ、てめぇはあっ!!」

「俺はウィード・ハルフォード。それ以上でも、以下でもない」

「ふざけんじゃ――があっ!?」


 何が起きているのか理解できない。そんな中でコープスはついに深傷を負ってしまう。

 左腕を深く切られてしまい、ナイフを落としてしまった。


「これで、終わりだ」

「……ひひっ、本当に、そう思うかぁ?」


 切っ先を向けながらそう口にしたウィードに対して、コープスは下卑た笑みを浮かべて返す。

 直後――ウィードの視界が暗闇に包まれた。


「……なんだ?」


 顔を左右に向けても、上下に向けても暗闇が途切れることがない。


『ひひっ! ここは俺様の魔導闘技の世界――ダークネスフィールドだあっ!』


 一定範囲内の視覚情報を全て遮断し、暗闇に相手を閉じ込める魔導闘技。

 人間にとって視覚は五感の中でもより多くの情報を脳に伝える感覚であり、それを封じられた者は熟練の騎士でも実力を半分も出すことができなくなってしまう。

 コープスは自らの魔導闘技が自分に合っていると理解し、どのように使いこなせば何者にも縛られず自由になれるかを考え、今に至っている。

 魔導闘技への理解度という点だけを見れば、コープスはウィードを遥かに上回っているのだろう。


『てめぇは危険だぁ。だがなぁ、俺は慎重だからよぅ――この場から逃げさせてもらうぜえっ!』


 足音を消して、移動を繰り返しながらそう口にしたコープスの居場所を掴めずにいるウィードだが、彼に焦りはなかった。

 絶対に隙ができる。そう確信を持っていたからだ。

 どんな情報も逃さないよう――聴覚強化に意識を集中させた。


 ――カタッ。


 とても小さな音が、下手をすれば風で何かが揺れただけでも鳴りそうな本当に小さな音が響いてきた場所目掛けて駆け出したウィードは、今日一番の鋭さを持って剣を突き出した。


「ぐはあっ!! な、何故だ、どうしてわかったんだあっ!?」


 確かな感触を得た直後、視界に色が生まれ、切っ先がコープスの背中を貫いている光景が飛び込んでくる。

 その肩には縄で縛られたエリーが担がれていたが、彼女には傷一つ付いていない。


「……音を、立てすぎたな」

「……な、何を、言ってやがる? 音なんて、これっぽっちも、立てていない……ごはっ!!」


 剣を引き抜くと同時に大量の血を吐き出したコープス。

 その肩からエリーが転がり落ちると、地面にぶつかる前にウィードが抱きとめた。


「……ウィード」

「……遅くなったな、エリー」


 素早く縄を切りエリーを解放すると、視線を彼女から地面に転がっているコープスに向ける。


「……まさか、俺様が……こんな、ガキに、やられるってのかよぅ……」

「お前はエリーを傷つけた。俺の逆鱗に触れたんだよ」

「……ひひ……見誤ったのかぁ……ひひ、ひひひ…………」


 このまま、コープスは息を引き取った。

 だが、ウィードはこのあとにどうなったのかを記憶していない。


「……はぁ……はぁ、はぁ……あ、ああぁぁ、ぐがああああぁぁっ!?」

「ウィード? 嘘でしょ、ねえ、ウィード!」


 呼吸が苦しくなり、視界が今までにないほど大きく歪み、立っていられなくなったウィードは、建物の壁を背にしながらズルズルと座り込んでしまう。

 名前を呼ぶ声が聞こえるものの、その声が誰なのかも判断がつかなくなっている。

 そして――ウィードの意識は途切れた。

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