幕間:ウィードとエリー

 ――あれは、雨が激しい山道を馬車で進んでいる時だった。

 銀髪のかわいらしい少女が狙われたわけではないが、その馬車は盗賊に襲われたのだ。

 護衛の数は揃えられていたものの、足元はぬかるみ、大雨で視界は悪い。

 奇襲ということもあり、護衛たちは見た目にもすぐにわかるほど倒れていき、馬車は盗賊に包囲されてしまった。


「……お、お母様ぁ」

「大丈夫よ。何があろうとも、あなただけは絶対に守ってみせるわ」


 ただの強がりだ。

 少女の母親が武術をたしなんでいるわけでもなければ、魔法を使えるわけでもない。

 それでも、愛しの娘を少しでも安心させるための強がりを口にした。


「――ぐはっ!」

「――くそっ、がはっ!」

「――侯爵夫人、お逃げください!」


 外から護衛の声が聞こえてくるが、外に出たところで逃げ場などあるはずもない。

 万事休すか――そう思った時である。


「――なんだ、てめぇらは!」

「――こいつら、強いぞ!」

「――ちくしょう! こんなの聞いてねぇぞ!」


 突如として、盗賊たちが慌てる声が聞こえてくる。

 外で何が起きているのかわからない少女はただ、母親にしがみつきながら涙を堪えていた。


 ――ガチャ。


 すると突然、馬車のドアが外から開かれた。

 少女はしがみつく腕に力を込める。母親から引き離されるのを嫌うように、死にたくないと生にしがみつくように。

 しかし、そんな少女に投げ掛けられたのは、柔和な幼い少年の声だった。


「あの、大丈夫ですか?」

「……あ、あなた方は?」

「僕たちは、隣領のハルフォード家の者です。盗賊が出没するという報告があり見回っていたところ、襲われている馬車を発見して駆けつけました」


 少年は少女の母親の問い掛けに対して、しっかりとした口調で答えている。

 その声を耳にした少女はゆっくりと瞼を開き、視線を母親から少年へと向けた。


「……王子、様?」

「えっ? あはは、違うよ。僕はハルフォード家の三男、ウィード・ハルフォード……って、侯爵家の方に失礼いたしました!」


 相手が少女だったこともあり、ウィードは思わず普段の口調で答えてしまい、慌てて謝罪を口にする。


「うふふ、構いませんよ。こうして助けていただいた命の恩人を、無下に扱うなどいたしませんから」

「寛大なお心、痛み入ります」

「ウィード! 侯爵夫人とご令嬢は無事ですか!」

「あっ! はい、母様かあさま! お二人ともご無事です! それでは夫人、僕は一度失礼いたします」


 ウィードは外からの呼び掛けに答えると、断りを入れてから踵を返した。


「あっ……」


 そんなウィードに手を伸ばそうとした少女だったが、その手が彼を捕まえることはなかった。


「……お母様。私たちは、助かったのですか?」

「そのようです。きっとこの方たちは、噂に名高いハルフォード家の騎士部隊でしょう」

「……ハルフォード家。……ウィード・ハルフォード様」

「うふふ。どうやらエリーは、ウィード君に一目ぼれをしてしまったのかしら?」


 母親の言葉を受けて、少女エリーは自分の胸に手を当てて考えた。


「……そのようです、お母様」

「あなたの命を助けてくれた王子様ですものね。私はあなたの恋を応援しますよ」


 ウィードとエリー。二人の出会いは、幼い時の雨の中だった。

 そのことをウィードは覚えていない。彼にとっては日常の中の、たった一つの出来事に過ぎなかったから。


 それに加えてもう一つ。

 この日から数ヶ月後――彼の母親が、亡くなってしまったのだから。


「――……かあ、さま?」


 ウィードの母親は剣術の天才だった。

 どれだけ質の悪い剣を持たせても巧みに操り、相手を圧倒して倒してしまう。

 王都に所属する騎士を相手にしても全く見劣りなどしなかったはずだ。

 しかし、彼女は平民だった。そのせいもあり、田舎貴族のハルフォード家の雇われ騎士として、安い賃金で働かされていた。

 そんな折、突如として彼女は妊娠した。相手はハルフォード家の当主である。

 権力を笠に着て関係を求め、たった一度の情事が大騒動を巻き起こした。

 すでに騎士として頭角を現し、子飼いの騎士たちから信頼されていた彼女を無下にすることはできず、結局は側室として迎え入れることになったが、それを正妻やその子供たちは良く思っていなかった。


 ――その結果がこれだ。


 何も証拠など残ってはいないが、不可解な点が数多く存在していた。

 そして、ウィードの母親は彼が発見した時にはまだ息をしていた。


「母様!」


 すぐに駆け寄り傷口を押さえたものの、傷は深く流れ出る血を止めることはできない。


「……かあ、さま……母様!」

「……ウィード?」

「母様! 意識をしっかりと持ってください! 僕が、絶対に助けますから!」

「……聞いて、ウィード? ……あなたが、大きくなるまでは……ハルフォード家で、耐えなさい」

「……かあ、さま? 何を言っているの、母様!」

「……ハルフォード家を、恨んではダメよ? ……そして、あなたは私のように、なるんじゃありませんよ?」

「……どういうことだよ。何を言っているのか、説明してくれよ! なあ、母様!」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、ウィードは母親が何を言わんとしていたのかすぐには理解できなかった。

 理解できたのは、母親が自分の腕の中で息を引き取ったという事実だけだ。


 そしてこの日も、ウィードがエリーを助けた時と同じような激しい雨の日だった。

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