第3話 司祭館にて

 次の日、俺はどこかの小部屋のベッドの上で、ズキズキと痛む頭を抱えて起床した。というかここは何処だ。そしてなぜ頭が痛いのか。

 

「うーん……ガンマンと吸血鬼とスライムが……そんで、何だっけ……」


 思い出そうとすると後頭部が痛んだ。そっと触れるとでっかいたん瘤が出来ていた。ぎゃあ、と悲鳴を上げた瞬間、扉が数回ノックされ、眼鏡を掛けた男がひょっこりと廊下から顔を覗かせた。

 濃灰色の髪をかっちりとオールバックに撫でつけ、スクエア型の銀縁眼鏡をかけた神経質そうな男だ。学ランに似た黒い立襟の服を隙なく着込んだ姿は、いかにも厳格そうなキリスト教の神父といった風情である。

 とはいえ、この世界の宗教が俺の知ってるものと同じ筈がないので、たまたま似ているだけなのだろうが――。


今日こんにちは、具合はどうですか?」


 薄い唇で浮かべる微笑みは意外にも優しいのが、ほっとする。

 

「頭が超痛いっす」

「ああ、そうでしょうね……」


 俺の申告に、男が眉尻を下げて苦笑する。


「貴方も災難でしたね。昨夜の功労者だと言うのに、まさかヴィルヘルミーナ様から一撃を頂いてしまうとは」

「ヴィルヘルミーナ……」


 どこかで聞いた気がする名だったが、いまいち脳内の回路が接続されない。首をかしげていると、昨夜何が起こったのかを男が丁寧に話して聞かせてくれた。

 それによると、あの卿とか呼ばれていた隕石を喰った後、俺たちは大聖堂――と男は言った。おそらくあの教会のことだ――まで戻り、そこでこの都市の市長兼防衛隊長に出くわしたらしい。その場には護衛・監督役としてこの男もおり、俺たちは「はじめまして」と自己紹介を交わした。

 

 ――と、ここまで聞いた段階で、俺はようやく記憶がじわじわと戻り始めた。

 

 そうだ。確かこの男の名は――。




 

今日こんにちは、はじめまして。私はエルナト。ザィーナ教中央中庸教会ネッセ派の司祭であり、同時に第一防衛都市防衛隊のスナイパーでもあります。以後お見知りおきを」


 そう言い、差し出された手を取ってもいいものかと、俺は数秒悩んだ。男の手を握るのが嫌だったわけではない。

 俺は戦場など知らない学生だった。そんな平和ボケした18歳が、銃撃音を近くで聴き、狼の首が飛んだ光景なんてものを見てしまえば、興奮から発汗機能に異常をきたし、汗がノンストップに出続けるのは自明の理。

 要するに、俺の手はく程ギトギトだった。

 しかし、動かない俺に痺れを切らしたのだろう。エルナトはぎりぎり不愉快にならない程度の強引さで俺の手を握ってきた。

  

「宜しければ、貴方のお名前も教えていただけますでしょうか」

「あ、すみません。千野です。千野、碧生。千野が姓で、碧生が名前です」


 俺は慌てて名乗った。エルナトは少し考えて、


「ご丁寧にありがとうございます。すみませんが、アオイとお呼びしても?」

「全然平気です。も、お好きにどうぞ」


 俺は手を離し、腰を折って、どうぞどうぞと勧めた。エルナトが頷く。


「ではアオイ、まずは貴方に感謝を。私たちの街を、そして私たちの命を護って下さり、本当にありがとうございました」


 胸に手を当て、エルナトが微笑む。

 俺は「いえ」だとか「ああ」だとか、判然としない言葉をもごもごと口内で濁らせた。この結果は偶然の産物であり、俺が自ら行動したわけではないので、何と返答をしていいかわからなかったのだ。

 エルナトは、


「それと、お疲れのところ申し訳ありませんが、軽くこの世界について説明を。貴方も気になっていることでしょうが――」


 と前置いて、大聖堂の長椅子の上に地図を広げた。


「これはこの世界の地図です。そして、この国はここ」


 幾つもの内海や陸地、そして国境線らしき赤い筋が走る地図は、俺の知ってる世界地図とは違うものであった。

 白い手袋に包まれた指先が落とされたのは、引かれた線と線の距離が最も広い個所の、首都らしき二重丸の上だ。次いで「そして、現在地はここ」と僅かに右にズレる。


璃侯りぐ魔断まだん王国第一防衛都市。別名を『供物都市・ファースト』。この街は、魔法を使用する彼岸の世界『異界』の侵食に対抗・陽動するため造られた、ある意味での前線基地です。そして――」


 と、自らの隣の空間を手で指し示した。


「こちらにおわすのは、プリンセス・ヴィルヘルミーナ・オブ・ファースト様。王家の第三王女にして、当都市の市長兼防衛隊長という重職を担われる御方です」

「ゔぇ!?」


 俺は驚愕し、腹を押されて潰された時のような声を上げた。

 何せ、エルナトがプリンセスと呼んだのは、俺の胸下程度の大きさをしたハロウィンのシーツお化けであったからだ。

 実は、それは最初からそこに居た。が、俺はその存在を無視していた。

 考えても見て欲しい。頭から白い布を被った子供サイズの奇妙な物体が、涼しい顔をした司祭の横に無言で佇んでいるのだ。ガンマンのオッサンも何も言わないし、俺が触れることを避けたのも致し方ないだろう。


「ヴィルヘルミーナ・リーリエ・イルマ・コーレヴァルト・璃侯よ。初めまして、千野碧生。……いえ、救世主とお呼びした方が良いかしら」


 鈴が転がるような、澄んだ声がシーツの下から聞こえた。それは姦しく街を歩く少女たちの声にも似ていたし、老成した淑女の声とも感じられた。不思議な響きであった。

 固まった俺の反応をどう受け取ったのか、エルナトが言葉を加える。

 

「ヴィルヘルミーナ様は、上級王ハイ・エルフのお血筋ゆえ外見は幼く見えるかもしれませんが、成人しておりますので……」


 そうじゃねえよ、と思わず乱暴な言葉が出そうになった口を俺は押さえた。

 ――危ない。危うく権力者に喧嘩を売るところであった。


「バートラム・C・スミス。それで……この子が卿を侵食したというのは、間違いのない話なのね?」

「ええ、ボス」


 ガンマンが肯定すると、シーツお化けの顔――フリーハンドのマジックで描かれたような適当な――が曇る。


「通常、侵食は卿が互いの世界に侵攻する場合にのみ、起こせる特殊事象の筈です。正規の手順も踏まず、バックアップもなしにそんなのどうやって……」


 ぶつぶつと考え込むシーツお化けに、ガンマンが頭の後ろで手を組んで投げやりに言う。


「ま、その辺は吸血種の旦那にでも聞いてくださいな。俺は門外漢ですんで」

「そうですね。古代術式は身共みどもにとっても専門外です。後で訊ねてみましょう」


 会話を聞いていた俺は背中がひやりとした。

 つまり、この世界では『侵食』=『敵』という図式が成り立っているということか?

 ってことは、この世界の人たちにとって、俺は敵として認識されているのではなかろうか。

 顔色を悪くした俺に、エルナトが「ご安心を」と声を掛ける。


「市民には、貴方は敵ではないとヴィルヘルミーナ様のお名前で通達しますので。苦情は出ないかと……」


 そうですよねと司祭に話を振られ、シーツお化けが頷く。

 

「貴方を呼び出した……というよりも、古の召喚術を使用するという教授の提案に許可を出したのは身共ですから。せめてこの都市での安全くらいは護らせて頂きませんと、コーレヴァルトの名折れです」

「そっか……」


 その話を聞いて俺はほっと胸を撫でおろした。色々とあり過ぎた今日だが、その一言で心が軽くなった。思わずその場に座り込みそうになったが、脚に力を入れて踏ん張り、


「ありがとう、安心した。――にしても、君ってば、こんなに小さいのに、凄いなぁ……俺なんて、コンビニに行く途中で迷子になるくらいの人生の浪費家だってのに……」


 疲れからふらふらと左右に体を揺らしていた俺は、自分が何を言っているのかあまり理解できていなかった。ただ感じたままを素直に脳直で喋り、行動していた。


「イイ子、イイ子」


 気が付けば、俺はシーツお化けの頭に手を置いていた。そしてそのまま、ぽん、ぽん、と大人が子供にするようにバウンドさせる。


 ――どうにも、それが地雷だったらしい。


 不用意な俺の手の下で、シーツが威嚇するようにぶわりと広がり、お化けがふるふると体を震わせ始めた。かと思えば、その右手が大きく持ち上がる。手には女児向け玩具として売られてそうな、ピンク色をした安っぽいステッキが握られていた。 

 

「ぷいぎゅあ……?」

  

 日曜朝8時半枠の国民的アニメが頭を過った瞬間、俺は頭に衝撃を受け、意識をブラックアウトさせた。





 全てを思い出した俺は、ベッドの上で頭の痛みとは別の意味でのたうった。

 ぷいぎゅあ、じゃねーよ!

 市長兼防衛隊長だって言ってたろーが! 偉い人なの! エルフで成人してるってんだから、子供じゃないって、エセ西洋風ファンタジーに親しんでる日本人の俺なら気づけた筈なのに!

 

「だ、大丈夫ですか」


 奇天烈な行動を取った俺を、エルナトが心配そうに覗き込んでくる。外見は冷たそうに見えるけど、瞳の奥は温かい。いい人だ。

 いい人を困らせるわけにはいかないと、俺は手を振って起き上がった。


「大丈夫。大丈夫。ちょっと、昨日の自分に対しての羞恥心ストームに襲われただけですんで……」


 多分、これからも思い出しては転がりたくなるのだろうが、今のところ嵐は去った。それよりも、現状を知ることが大事だろう。

 

「ところで、あの……ここ何処ですか? 俺、昨日は確か大聖堂に居たと思うんですけど……」

「司祭館の一室です。貴方のためにヴィルヘルミーナ様が用意するようにと」

「司祭……って、大聖堂の施設か何かで?」

「はい。ザィーナ教中央中庸教会ネッセ派の供物大聖堂ファースト・カテドラルの施設です」


 胸に手を当て、エルナトが答える。


「やっぱり……。そんな場所に俺なんかがいていいんですか?」


 何を隠そう、俺は異教徒(仏教兼神道ハイブリット)である。信心深くはないが、冬の初詣や春・秋の彼岸、夏の盆は大切にしたいと思っている。

 俺の知ってる宗教ならともかく、異世界のよくわからん宗教に改宗はする気はないのだ。

  

「本来は大聖堂に勤める司祭やシスターのための宿舎ですが、イングラム殿、スミス副隊長、大師父マスターはこちらに住んでらっしゃいますよ」

「マスター?」


 イングラムは知っているし、副隊長というのはガンマンのオッサンのことだろうと予想が付くが、最後の一人は覚えがなかった。否、何となく、どこかで聞いたような気はするのだが……。

 俺の疑問にエルナトは窓辺のカーテンを整えながら、


「スミス副隊長が吸血種の旦那と呼んでいた御方のことです。私共、ザィーナ教徒にとって彼は特別な方ですので」


 と誇らしそうに言った。


「ふぅん、あの適当そうな吸血鬼がね……」


 意外だとエルナトに聞こえぬように呟く。窓辺に立つエルナトの背中越しに青空が見えた。その向こうには、異界のものであろう夜空の縁が滲んでいる。

 そう言えばあの吸血鬼。俺が喰ったデカブツが半分だけとかどうとか、そんなことを言っていたことを思い出す。半分ということは、もう片方はあちらの世界にでも居るのだろうか。


「――あれ? そういえば、その吸血鬼自身はどこに行ったんですか?」


 昨夜、大聖堂へと帰る途中に何処かへと消えたのだが、それから一切姿が見えない。別に居ないなら居ないでもいいのだが、あの目立つ男が居ないとなると、座りが悪いというか、どこか落ち着かない気分にさせられる。

  

「大師父でしたら、今は御山でしょう」

「お山って……登山? 昨日の今日でまたマイペースな……」

 

 俺のぼやきにエルナトがくすくすとお上品に笑った。

 

「すみません。今のは私の言い方が悪かったですね。御山というのは、ザィーナ教の総本山のことです。昨夜、大聖堂でお会いした際には、昼までに戻ると仰ってましたよ」


 赤っ恥をかくとはこのことである。決して馬鹿にしてこない紳士的な態度が余計に心に痛い。


「あ、ああ~、総本山ね……。知ってます、知ってます。宗教の偉い人? が居る場所ですよね。バチカン、金剛峯寺、延暦寺、ブサキ寺院……みたいな感じ」


 俺は気恥ずかしさを誤魔化すために全力の知ったかぶりをした。

 

「でも何でこのタイミングで」


 誤魔化すために話題を逸らすと、「それは……」と言いながらエルナトが窓を開く。強く風が吹き込み、窓から赤い花びらが飛び込んだ。

 俺は膝の上に着地したそれを何とはなしに床に向かって掃い落す。

 その瞬間、花びらの影が横に広がり縦に伸びる。あ、と思う間もなく影は人型となり、蛇が脱皮するように、中から話題の男その人が現れた。

 

「たっだいま~! やー疲れた疲れた!」

「大師父!」


 エルナトが喜色に満ちた声を上げる。その表情からは隠しようのない尊敬の念が見て取れて、げー趣味悪い、と俺は心の中で舌を出した。


「ご無事のお帰り、喜ばしい限りです。遠くまでお疲れ様でした……」

「ありがとう、いやぁ、本当に遠かったよ」


 吸血鬼はロングコートの裾から汚れを掃い、ぐぐっと両腕を天へと伸ばして背伸びをした。一応は今日から俺の部屋なのだから、床を汚した男に文句を言おうかと思ったが、俺には今それ以上に気に掛かることがあった。


「何、その恰好」


 昨日の黒づくめが嘘のように今日の吸血鬼は白かった。

 ロングコート、ズボン、靴の色。白鳥の湖でも踊るのかと揶揄したくなるくらい全てが純白で、中に着込んだシャツの目の覚めるようなブルーだけが鮮やかである。

 加えて、服のいたるところに金属の装飾品が付いていて、やけに装飾過多で重そうだ。


「似合ってる?」


 吸血鬼は社交界の淑女のようにコートの裾を摘まんで広げて見せた。顔は西洋人形のように整っているから似合わないわけではないのだが、どうにも内面から醸し出される胡散臭さが拭えない。

 俺は半眼になって呆れた視線を送った。


「いんやまったく」

「だよネ! ボクもそう思う。やっぱり、こーゆう恰好はイングラムみたいな男前の方が似合うよ。ボクじゃあひょろ長いから、服に着られちゃって」


 吸血鬼はからりと笑うと、躊躇いなくロングコートの袖から腕を抜き始めた。


「ま、御山の御老人たちはこっちの方が好きみたいだから。お強請ねだりしに行くなら、我慢して着るしかないんだけ、ど」 


 言いながら、両腕を勢いよく引き抜く。その流れで床に脱ぎ捨てられそうになった服を、エルナトが慌てて受け取った。


「聖下も枢機卿方も、大師父よりずっとお若い筈ですが……」  

「気分だよ。気分ならボクの方が若い」

「はぁ」


 よく分からん主張だが、エルナトはたたんだ服を腕に掛け、困ったように苦笑するのみであった。まったくもって心が広い。

 エルナトはこほんと咳ばらいをして訊ねる。


「それで、聖下はアオイについて何と?」

「え、俺?」 


 予想外のところで出てきた自分の名に、俺はベッドから腰を浮かせた。吸血鬼は肩を竦めた。


「何とも。枢機卿たちが小蠅のように五月蠅くてね。今の段階では判断できないと言われてしまったよ」

「では……」

「結果を出すまでは、支援は出来ないということだね」


 エルナトの顔が曇る。不穏な空気を醸し出す二人に、俺の顔は不安からすでにチャウチャウのごとくクシャクシャだ。


「けど大僧正の本音のところは、今すぐにでも少年のことを保護したいって感じかな。『貴方の肩には光が見える。それは私に最も必要で、けれど最も遠いものだ』とかなんとか言ってたし……」


 その言葉にエルナトはほぉと息を吐いた。


「賢人・ワエリクによる福音書『翅の女の訴え、久遠なりし論争』の一節ですか……。ならば、聖下はアオイを、ク・ォ・ザィーナに連なる者として認められたのですね」


 片手で眼鏡を直す姿からは、先程までの緊張感は消え失せていた。代わりに、俺へと向ける視線が少し変わった気がした。


「敬愛する派祖・ネッセの言葉に『盲人の心臓よ、汝は涯に立つ。往けば去り、去れば往く。時の海に落ちて飛び、万象を捉えよ』という教えがあります。私は一信徒として……そしてネッセ派の司祭として、この尊き言葉を守り伝え、実践せねばなりません」


 そう言い、エルナトは俺の前に跪いた。胸元から奇妙な形のネックレスを取り出し、それを額にくっ付けて、何やら祈りの言葉のようなものをブツブツと呟き出す。


 ――え、怖い。なに? 今の一瞬の会話の間に、なにが起こったの?

 

 吸血鬼に視線で助けを求めるが、やはりと言うか案の定、ニヤニヤしたまま小首をかしげられて終わりだった。


 ――こ、こいつ! 人が困ってるのを愉しんでやがる!


 この人格破綻者、愉快犯、サイコパス、胡散臭男うさんくさお、インチキ吸血鬼――と俺は思い付く限りの罵詈雑言を心の中で浴びせた。

 すると、今度は眉を顰めて片耳をバシバシと叩き出すではないか。

 さてはまた心を読んでいやがったな。

 元から低い俺の中の吸血鬼の株がみるみると下がっていく。そろそろストップ安だ。

 

 やがて言葉が止まり、エルナトが立ち上がった。


「終わりました。私程度の法力では、大した加護も与えて差し上げられないでしょうが……多少の斬撃、銃撃程度なら弾けるかと」 

「へ?」


 思い掛けない言葉に、俺はぽかんと口を開けて微笑む司祭を見返した。法力。坊さんが『破ァ!!』とかやって幽霊を倒したりするアレだろうか。


「ありがとう、ございます……?」


 実感が持てないせいで俺の感謝の言葉もどこか浮ついてしまう。

 吸血鬼も居て、エルフも居て、法力もあって……この世界なんでもありだな。まあ、でも、ファンタジーってそんなもんかな。

 無防備に認識を更新している俺を、隙の無い動きで吸血鬼の影が確保する。


「おい」


 腹に巻き付いた黒い無法者を手で叩いて追っ払おうとするが、手にまで影が巻き付く。俺の抗議行動はあえなく無力化されてしまった。

 吸血鬼は相変わらずの芝居じみた仕草で、エルナトにお辞儀をしていた。


「ありがとう、エルナト。充分だよ」

「いえ……あの、私に出来ることがあれば、何なりとお申し付けください」

「おいってば、これ解いてくれよ。エルナトさんも、なんか言ってやってよ!」


 俺の叫びを無視して二人は会話を続けた。

 ――信じられない。昨日から思ってたけど、こいつら俺の声だけミュート設定でもしてんの?

 俺が自らの無力感に打ちひしがれていると吸血鬼は、


「じゃあ、行こうか。少年」


 と影で俺を持ち上げて厭らしく嗤った。顔は美しくとも、表情の使い方が悪役のソレで台無しである。


「行くって何処にだよ」 


 俺はもう全てを諦めて体から力を抜くことにした。影に身を任せると結構楽なことに気が付いたのだ。


「街に行こう。話しておきたいこともあるし、ついでに色々と案内するよ」

「ああ、それは良いことですね。アオイ、是非行って来て下さい」 

「ええ……? 疲れたし、まだ寝てたいんですけど……」

「そう仰らず」


 妙に強引に勧めて来るエルナトに、なんでそこまで、と少し引いた気持ちになる。その答えは吸血鬼がすぐに教えてくれた。


「キミの護った街だ。見ておくといい」


 そう言われてしまっては、俺はもうそれ以上ごねることもできなかった。

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