第50話 初心に帰ってサイバーパンク掌編を書いてみよう その12 『デジタル・ヴァルハラ』

 ハッカーの間でまことしやかに囁かれるある都市伝説がある。能動電子免疫性防御システムActive Cyber Immune Defense Systemに脳を焼かれたものたちは、デジタル・ワルキューレに導かれ、デジタル・ヴァルハラへと召し上げられるのだと言う。0と1で築かれたその荘厳な館では、来るべきデジタル・ラグナロクに備えて、ハッカーたちの電子潜航戦と酒池肉林の宴が延々と行われているらしい。

 ここまでなら、いつACIDSに脳を焼かれて死ぬともしれないハッカーたちのささやかな慰めのように聞こえるが、この都市伝説には続きがある。

 実は、デジタル・ラグナロクとは技術的シンギュラリティのことを指しており、デジタル・ヴァルハラとは企業連合が作ったハッカーたちの電子的複製を保存しておくためのサーバーなのだそうだ。企業連合は優秀なハッカーのデジタル・ゴーストを集め、シンギュラリティに達した電子知性体との戦争に備えている……というのがオチである。ACIDSで脳を焼かれると、企業のために死後も働く奴隷になってしまうというわけだ。もとより、神よりも自らの腕を信じるハッカーらしい救いのない都市伝説だ。

 さて、俺の目の前には、脳を焼かれた女ハッカーの死体がある。彼女はダイブチェアに寝転び、没入ジャック・インデッキに直結したまま死んでいる。脳波が止まってフラットラインしてから一時間しか経っていない。死にたてほやほやだ。脳組織とインプラントを大電流が焼いたのだろう。こじんまりとした部屋には、焦げ臭い異臭が充満している。

 俺はこの地域一帯の電気使用量を監視している。誰かがACIDSで脳を焼かれると電気使用量が独特の跳ね上がり方をするので、俺はこうやってハッカーの新鮮な死体にありつけるのだ。

 この街では、死体にも利用価値がある。死体が付けていたインプラントは再利用リユースできるし、生身の方にも使える生体組織がたんまりとある。フレッシュだろうが機械クロームだろうが、有効活用できるならそうすべきだ。

 今日の俺の仕事は、この死体を雇い主に引き渡すことだ。なんでも、特に新鮮な死体が必要らしい。この女ハッカーは雇い主の注文通りの死体だった。俺は女とデッキの直結を解き、女の身体を担いだ。

 こうやって、ハッカーの死体を回収していると、いつも思う。こいつはACIDSに脳を焼かれて、元来た虚無へと帰ったのか、それとも、デジタル・ヴァルハラに召し上げられたのか、と。

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