第8話 アクションシーンのないファンタジー掌編を書いてみよう 『ネクロマンサーの仕事』

 私が事務所兼居間の一階で防腐術の技法書を呼んでいると、ソナン医師見習いが飛び込んできた。全力で走ってきたようで、息を切らし、汗まみれだ。

「ネルネルさん! パン屋のとこのソニアさんが……」

 ソナン医師見習いが言葉をひねり出す。

「いま行きます」

 私は技法書を置き、仕事鞄を引っ掴んだ。


 パン屋の一家は子どもも大人もみな寝室に居て、悲嘆に暮れていた。その中心に、ソニアさんが居た。ベッドに寝かされているソニアさんは、皺だらけの顔に穏やかな表情を浮かべていて、まるで寝ているかのようだった。

 遺体のそばに座っていたソヌ医師がこちらを見て、立ち上がった。

「あとは任せました」

 ソヌ医師が言った。私が頷くと、ソヌ医師は私の肩を叩いて、寝室を出て行った。

「失礼します。ネクロマンサーのネルネルです」

 私がそういうと、部屋の空気が変わった。人が悲しみを冒されたときのピリピリとした雰囲気はいつまで経っても慣れないものだった。

「お悔み申し上げます。早速ですが、『いまわの言葉』を聞くための、処置を始めさせていただきます」

 私は仕事鞄を開き、賦活術のための道具を取り出した。悲しみに暮れる遺族が、私の到来の意味を深く考え始める前に、仕事を始める。やや失礼ではあるが、処置は一秒でも早く進めなければならない。

 賦活術は魂をとどめておくことができなくなった肉体をある程度修復し、一時魂を呼び戻すことで、死者をわずかな時間生き返らせる儚い反魂術だ。重要なのは、死体の新鮮さである。死亡してからどれだけ早く賦活術を行えるかが、家族が故人と過ごす最後の時間の長さを決めるのだ。私は全力で賦活術の処置に取り掛かった。

 私が手を動かしているうちに、パン屋の店主のボルタさんが涙交じりに話し始めた。

「さっきまで元気だったんだ……昼飯もたくさん食って……腹ごなしに散歩でも行くっていって……玄関を開けたとたんに、倒れちまって……」

 ボルタさんは頭を抱えて、呻いた。普段の頑固なパン職人然とした態度とはまるで違う。ボルタさんとは二十年来の付き合いだが、泣くところは初めて見た。私はなにも言わず、とにかく手を動かした。

「処置が終わりました。ソニアさんと話せるのは……おそらく三分ほどです」

 私は最後に反魂のメダルをソニアさんの胸に置き、部屋の隅へと引っ込んだ。

「ん……?」

 ソニアさんが目を覚ました。家族たちが涙を流しながら自分を見つめているのを見て、合点がいったように頷いた。

「そうか。私、死んだのか」

「おふくろ!」

 ボルタさんがソニアさんに抱き着いてわんわんと泣き出した。

 それから、ソニアさんは遺していくことになる家族の一人一人と会話をした。いままでの人生の感謝や、遺書の在処、へそくりをどこにしまったのかまで話していく。三分はあっという間だった。

 家族全員と話し終わったソニアさんは、ふいに部屋の隅で縮こまっていた私を見つけて言った。

「ネルネルちゃんもありがとうね。あなたのおかげで、もういちどみんなと話ができた……」

「いえ……私は、仕事をしただけですから。私こそ、いままでありがとうございました」

 私は深々と礼をした。ソニアさんはにっこりと笑った。

「ああ、みんなに見守られて、こんなに幸せなことはない……」

 ソニアさんの目が閉じられた。もう動かなくなったその顔には、満足そうな表情が浮かんでいた。

 それから、ボルタさんはまたわんわんと泣いた。私は、簡易的な防腐術をソニアさんに施して、パン屋を去った。葬儀は明後日にやるらしかった。


 私は自分の家に戻った。一階の戸棚の奥の方にしまっておいたハーブ酒の瓶を引っ張り出してきて、グラスに注いだ。鮮やかな緑の液体が美しい。私はそれを一息に飲み干した。

「かぁっ」

 強い酒精とハーブの独特な香りで、涙が滲んでくる。

 私は、幼いころソニアさんの店に行ったときに、小さなパンをひとつオマケしてもらったことを思い出した。

「お母さんとお父さんには秘密だからね」

 ソニアさんはいたずらっぽく笑った。黒くて硬いパンは酸味が強くてかみしめるほどに味があって、ソニアさんの笑顔はいつでも素敵だった。

 私はまた、ハーブ酒をグラスに注いだ。鮮やかな緑が滲んでぼやけている。私は鼻をすすって、緑をちびちびと舐め始めた。

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