第7話 ファンタジー掌編を書いてみよう 『小鬼の襲撃』

 夏の日差しが木漏れ日となって降り注ぐ森に、一角鹿の悲し気な鳴き声が響いている。セマ村を発ってから早三日。遥か北限にある漏刻院はいまだ遠い。巡礼者たちが歩いたというこの山道を一歩一歩踏みしめていると、聖職者とはなんとまあ我慢強い人種なのだろうかと思う。

 俺の隣を歩いているトーヴェ・ビョルクも、我慢強い方の人種のようだった。険しい山道を明け方から歩き通しているというのに、息は至って平常で、疲れの片鱗すら見えはしない。

 トーヴェの黒い法衣と右手の円盤錫杖は、彼女がまさにウーフォ教の僧であることを示している。俺はひょんなことから、トーヴェを漏刻院に送り届ける護衛として雇われた。ゆえに、彼女の「広い街道を馬で行くのではなく、先人たちのように巡礼路を歩いてみたい」というわがまま――いや、強い要望にこうして大人しく従っているという訳だ。

「ジオンさん。山登り、楽しいですね!」

 トーヴェはにっこりと笑った。俺を見下ろす藍緑色の瞳には、一点の曇りもない。冷たい雪渓のような顔立ちに、屈託のない笑顔が浮かんでいるさまがまぶしい。

「ああ、そうだな」

 俺は笑って言った。トーヴェの身長3メルトンはあろうかという巨躯を見上げるたびに、彼女に俺のような護衛が本当に必要なのかと思ってしまう。歩幅も倍近くあり、ついていくのがやっとだった。

 トーヴェの白雪の肌と輝かしい白髪、ゆったりとした法衣越しにもわかる筋肉質な巨体からわかる通り、彼女は北方の雄、ギサムス連邦の出身である。身長1.6メルトンほどの俺と並ぶと、まるで大人と子どもだ。また、トーヴェは体格に恵まれているだけでなく、戦闘に長けた僧兵でもある。正直な話、俺よりも圧倒的に強い。トーヴェがその気になれば、俺など素手で首をねじ切って殺せるだろう。

 護衛として俺を選んだのはトーヴェの上役、つまりウーフォ教のお偉いさんだが、そのお偉いさんだって、俺を彼女を守る戦力として期待している訳ではあるまい。俺がかつて漏刻院を一度訪れたことがあるという実績を買っての、道案内としての雇用だろう――俺はそう思っていた。それが、今回の油断を生んだのかもしれない。


 俺が敵に気が付いたのは、完全に包囲されてからだった。なにかの気配を感じ、辺りを見回してみるも、なにも見えない。感覚強化魔法を使ってやっと、風上の方から流れてくる血なまぐさい臭いと茂みをかき分ける音が聞こえてきた。

「トーヴェ」

 立ち止まって視線を飛ばすと、トーヴェは俺の意図を察して戦闘態勢に入った。腰を低くし、円盤錫杖を構える。俺も、腰に提げた二本の魔法剣のうち一本を抜いた。

「隠蔽魔法を使ってる術師が居る。術師は俺が叩く。トーヴェは……暴れてくれ」

 俺はトーヴェに注視魔法を掛け、低木の茂みに飛び込んだ。その瞬間、四方から鬨の声が聞こえてくる。

「オオォオオおおおッ!」

 咆哮と共に、ゆらりと森の景色が歪み、武装した小鬼が次々と飛び出してくる。小鬼たちは木の棍棒や石の穂先を持った槍、鹵獲品と思われる鉄製の剣や斧を持っていた。数え切れないほどの小鬼が、トーヴェへと迫る。

「来い!」

 トーヴェは小鬼たちより遥かに大きい声で言った。

「ギョォオおおおっ!」

 先陣を切った棍棒持ちの小鬼が、トーヴェへと踊りかかる。トーヴェは円盤錫杖を縦に振り下ろした。重い黒鉄で出来た円盤が、小鬼の頭蓋を真っ二つに割り粉砕する。頭部を完全に破壊された小鬼が、呻き声すら上げずに地面へと崩れ落ちる。

 あまりにも惨たらしい仲間の死に、小鬼たちの突撃が一瞬減速する。しかし、すぐに勢いを取り戻した。士気が高いようだ。トーヴェが注視されているヘイトを稼いでいるいまのうちに、小鬼たちの術師を叩くべきだろう。俺は精神を集中させて魔力の流れを追い、小鬼たちの観察を始めた。

 槍持ちの小鬼が穂先をトーヴェに突き出しながら走り込んでくる。トーヴェは槍を左の脇に挟んで止め、へし折った。

「ギィい!?」

 予想外の事態に槍持ちの小鬼がつんのめって転ぶ。無防備に差し出された小鬼の頭を、トーヴェは容赦なく踏みつぶす。

 剣持ちと斧持ちの小鬼が、トーヴェの左右から回り込み、同時に攻撃を仕掛ける。

「ふん!」

 トーヴェは円盤錫杖を横に薙いだ。斧持ちの胴に円盤が命中し、骨が砕ける音が響く。

「おらぁ!」

 トーヴェは左の拳骨で剣持ちの顔面を殴り付けた。剣持ちの頭部が破裂して、赤いものが茂みに降り注ぐ。

 いまのところ、トーヴェが小鬼たちを圧倒している。得意の身体強化魔法を使うまでもないようだ。しかし、小鬼たちは次々と湧き出てきてキリがない。隠蔽魔法のために、小鬼たちが近くまで来ないとまともに視認できないのも問題だった。

 トーヴェが十一体目の小鬼を殺したところで、俺はやっと術師の居場所の検討を付けることができた。小鬼は俺たちを包囲していたが、その配置にはムラがある。小鬼たちは、明らかになにかを守っている。俺は静かに、目立たないように術師の推定居場所へと向かった。トーヴェの鬼神のごとき戦いぶりと、俺の注視魔法もあってか、俺に気付く小鬼はいなかった。

 やや高台になっている岩場に術師は居た。姿はまだ見えないが、ここまで近づけば隠蔽魔法の行使によって漏れ出す魔力によって位置はわかる。大きく回り込んで、術師の後に回って近づいていく。

 目と鼻の先に来てやっと、俺は術師の姿を肉眼で捕らえることができた。かなり高度な使い手のようだ。術師は赤く染めた麻布をマントのように羽織っていて、見るからに偉そうだった。近くに何体かの護衛は居るが、みなトーヴェの方を見ていて俺には気付いていない。俺は術師の背後から、喉元めがけて魔法剣を突き刺した。

「グギィい!?」

 術師の目が見開かれ、俺の方を見つめる。

「驚いたか?」

 俺は魔法剣の刃を左手で持ち、ぐりっと回して術師の首を切り落とした。そして、その首を掲げ、発声魔法を使った。

「見ろ!」

 小鬼たちが、一斉に俺の方を見た。そして、一瞬の後、小鬼たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。


 俺がトーヴェの方に降りていくと、彼女は山道の脇にある岩に腰掛けて休んでいた。彼女が座って、俺が立っていると、ちょうど目が合う。

「あ、ジオンさん。術師を倒してくれたんですね。助かりました!」

 トーヴェはにっこりと笑った。トーヴェ自身に怪我はないようだが、彼女の雪膚は小鬼の血に塗れて赤く染まっていた。神聖な円盤錫杖も血やら肉やらがこびりついて汚れている。俺は懐から手ぬぐいを取り出し、彼女に渡した。

「いや、例を言うのはこっちだ。よく持ちこたえてくれた。凄まじい戦いぶりだった」

「いえいえ、そんなことは……」

 トーヴェは顔に付いた血を手ぬぐいでぬぐい始めた。彼女の足元には、頭部や背骨を砕かれて死んだ小鬼が、無数に倒れていた。

「それにしても、小鬼たちはどうして去っていったのでしょう? ジオンさんがなにかやってらっしゃいましたが」

「小鬼は賢い。負け戦はしないんだ。一番強い術師の頭領が殺されたとわかれば、みんなで逃げ出すのが合理的ってわけだ」

 俺がそういうと、トーヴェは感心したように何度も頷き、手ぬぐいを俺に返した。

「なるほど、なるほど! おかげで、余分な殺生をしなくて済みました。私一人でしたら、小鬼たちを皆殺しにしていたでしょうから」

 トーヴェは眉を寄せ、困ったように笑った。自嘲気味なその表情には、彼女の深い悔恨が感じられる。俺は、俺の知らない彼女の傷にこれ以上触れないように、話題を反らすことにした。

「トーヴェ。この先に沢がある。さっき、感覚強化魔法を使った時に、水音が聞こえた。洗い物と休憩をして、また巡礼路を行こう。今日中に、チッサ村に着きたい。歩けるか?」

「はい。ジオンさん、もちろんです!」

 トーヴェはにっこりと笑った。俺は今日もなんとかひとつ苦難を乗り越えたことに胸を撫でおろしつつ、この先の長く険しい道のりに思いを馳せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る