第9話
「アリス! この契約書にサインしろ!」
「はいはい。闇の主従契約書ですか? 地獄の亡者を呼び出す悪魔との契約書ですか?」
エイダン様から差し出された書類を受け取り、一応名前を書く前に内容に目を通す。てっきりエイダン様お手製の背いた者に死を与える呪いの契約書かと思ったのに、滲みも歪みもしないきちんとした字が書き込まれたそれは婚姻届だった。
「……えーと?」
「お前がここに来て四ヶ月になる。国王陛下から「相手の目が覚めないうちに籍だけでも入れておけ。本人のサインさえ手に入れればわしが裏から手を回してなんとかしてやる」とせっつかれていてな。母上や使用人達もうるさいし。だから結婚するぞ」
「いやいやいや」
そういえば国王陛下って患ってる甥を「手遅れだ」って言ってたんだっけ? 諦めんなよ。
「エイダン様。焦ることはありません。今後、エイダン様にはもっと素敵な出会いが待っていますよ」
私は契約書を差し戻してにっこり微笑んだ。
エイダン様がもう少し落ち着いたら、社交界で花嫁探しをすればいいだろう。国王の甥の若き美形の公爵だ。
本来は、私のような没落寸前の家の、令嬢とは呼べない無教養な娘がお側に居てはいけない御仁なのだ。
だから、私は期待も勘違いもしてはいけない。エイダン様とのアドリブ会話が楽しくても、魔獣の棲む森を二人で探検する時間がいつまでも続いてほしいと思っても。
「エイダン様がお好きになったお相手と幸せになってください」
「俺はお前が好きだが?」
きょとんとした顔をされて、私は目を丸くした。
勘違いするな。エイダン様は、闇との戦いに付き合ってくれる私を気に入っているだけだ。他意はない。
「エイダン様、それは……」
「お前は、初めてここに来た日、ずぶ濡れの俺を見て自分が濡れるのも厭わずに大雨の中に飛び出した。雨の中に立つ男に怯えもせずに、俺の心配をしていた。あの時既に、俺はお前と結婚すると決めていたぞ。というか、お前もいずれ結婚するつもりで婚約者になったんじゃないのか?」
そう言われて、私は言葉をなくした。
エイダン様が私を婚約者と認識していたことにまず驚いた。弟子とか主従として扱われているとずっと思っていた。
「式には国王陛下も招くからなー! 母上は王妃様から王都の最新のドレスデザインを取り寄せてウェディングドレス選びに夢中だから、勝手に決められたくなきゃ話し合いに参加しろよ」
式とかドレスとか、自分には一生縁がないと思っていたことを言われて頭が混乱した。
サインはちょっと待ってもらった。
「母上は明るく華やかな式にするって張り切ってるぜ。俺としては、地下で荘厳に行うのも捨てがたいがな!」
どんな式であれ構わないけれど、本当に私が公爵の妻になっていいのだろうか。エイダン様のお手伝いをしているから、少しずつ領地のことは学んでいるけれど、自分が公爵夫人になっていいのかと思うと自信がない。
それから一ヶ月ほどうだうだと悩んでいた私の元に、一通の手紙が届いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます