第6話 神に届く刃

『神が……民を襲った……?……神が、……死んだ……?』


全員を乗せた大型宇宙船はすぐさまフタヤマの惑星を飛び立ち、瞬く間にイワツチへ、既に治療を始めている大型宇宙船の医療室へと医者が増えれば、国長はようやく、事の経緯を伝えた。ミズキは意識があったこともあり、自分からも伝えねばと、一人医療室横にある部屋から通信で繋ぎ、国長の話へ、自分が見聞きした事を付け足す。

再び硝子に囲まれた会合、しかし雰囲気は何もかも違っていた。宇宙服の下、モクレン、クスノキ、特に族長補佐は信じられないといった顔と声を隠す事が出来ず、一匹緑の体を震わせる。神に祈るより他無いと言うのに、神はいなくなったのだ。

『他に生物は見当たりませんでした。族長殿が神と呼んだ彼の者以外。……族長殿が仰っていた通りであるなら、族長殿、宮司殿、ミズキ殿、ヒイロ殿を襲った者こそ、フタヤマの神に他なりません』

『”……族長様がフタヤマの神だと申された時、私は……、私は、イワツチの民ではありません。しかし、……そうとしかあり得ないだろうと、感じました”』

『し、しかし……神が民を襲うなど……い、いえ、それよりも、本当に神は……』

『……死にました』

ヒイロが倒れた後、程なくして、フタヤマの神であった体は塵となって消えた。赤い血溜まり一つ残さずにだ。

族長補佐はとうとう、膝から崩れ落ちてしまった。彼女を支えたクスノキですら、あまりの事に信じられず、声を震わせている。

『あ、あの……とう、国長様、怪我をされた皆は……』

『……、族長殿、宮司殿は出血が酷い。特に宮司殿は時間が経っていたのもある……。……ヒイロ殿は、怪我自体は浅いらしい。烏天狗の羽が硬い事が幸いしたようだ。ただ……』

『ただ?』

『虫の姿をされた神の針に刺された、……ともすれば、毒が回っているのかもしれない、と』

毒、と星長が零せば、クスノキははっとして星長に顔を向ける。

『あっ、あの、テツギにも毒があるんですよね?マツバ様が確か……、ヤマクイでは、どのような治療を』

『……確かに、鉄蟻の唾液は烏天狗にとっての毒となります。しかし、我々に出来るのは、毒を吸い出して洗い、時を待つのみなのです。……知らない毒ともなれば……』

『……』

『……本当に、申し訳ない』

国長が深く頭を下げると、動揺したままだった星長は、しかし毅然と、頭を振った。

『……いえ。危険な地に赴く事に対し、私と、そしてヒイロもまた頷いたのです。元々、日々死と隣り合わせにある惑星の者。覚悟は出来ています』

『……』

クスノキは、死を意識した長の顔を見た。それはどうしてか、何かを言おうとして、上手く口に出来ずに終わる。

宇宙船の外では、帰還したはずの族長達が姿を見せないと、オオガマ達がざわついていた。宮司すら姿を見せないのだ、混乱と、しかし神の惑星に行った期待を胸に、宇宙船を取り囲んでいる。

『……補佐殿。族長殿と宮司殿が伏せた今、私は貴方と話さねばなりません。心中お察ししますが、どうか、……この事を、民に伝えるべきか否か、決めねばなりません』

『……、……神はいました、しかし神は族長や宮司、人間も烏天狗も襲い……だから殺しました、……そう、伝えねばと……?』

族長補佐の目に宿るのは、全てだ。悲しみ、怒り、憎悪、希望。どれか一つだけであれば楽であるそれは、混ざれば今の彼女のように、荒れ果てた目となる。彼女は首を振り、長い、長い息を吐いた。

『……ワタシが聞いた事、宇宙船の通信、国長様の言葉全てが本当だとすれば、族長様は……族長様は、フタヤマの神を見たのです。そして、神を信じ……恐れた。……ワタシは、……神を、そして族長様を信じます』

『……と、言うと……』

『族長様が目覚めるまで、この事は全て民に伏せます。族長様が目覚めれば、彼の言う通りに。……しかし、万が一があれば……ワタシ達の信じる神は確かにいた事を伝えます。……その先は……、……』

国長は頷き、そして頭を下げた。族長補佐がそれを見る事は無く、彼女は既に、ただのイワツチの一人となったのだろう、大きな手で顔を覆い、長い背を少年より小さく丸めて、首を振る。

『神が……神は、いるのです。そして、ワタシ達は、会う事が出来た……祈りが届いたんだ、だからこそ族長様は会えたのです、神はワタシ達の祈りを聞いてくださっていたに違いない……どうして、どうして……フタヤマの神よ……』



イワツチはヒノクニの交流惑星の中で一番と言い切れるほど、医療方面に長けている。薬の材料となる植物が多い上、その中で生きるオオガマ達もまた、薬と毒を見分ける事、それらを調合する事を、人間が良い土を見分けるのと同様に本能で、また生きていく為の術として学び継承しているからだ。

しかし神の毒ともなれば、オオガマの術で足りるかどうか。また毒だけではない、国長は首の半分が千切れかけ、宮司は片足を完全に失くしている。

(……まさか、神を……殺す事になるなど……)

国長はフタヤマの惑星を出た直後から、ヒノクニの医者や運び出せる限りの医療器具をイワツチに持って来るよう指示していた。一命ならば取り留めるかもしれない、だが国長の頭を占めている問題は、命一つ二つの問題ではなかった。

(……本当に、フタヤマの神だったのか?……いや、あの姿、あの目……今まで会ったどの種とも、何か確実に違う、あれはやはり……しかし、ならば尚更……神を殺したなど……イワツチの民はこれから、どう生きるというのだ、神が死ぬなどあり得るのか?)

目の前にした族長、そしてその光景を目にした国長ですら、彼の神の姿は畏怖せざるを得ないものだった。だとしてもだ。神を持たない烏天狗にとって、悲鳴を前に刀を向ける事は至極当然だとしても、神に刃を向ける種を、国長は理解し切れずにいた。

(……しかし、やはり……)

神ですら刀を前には死を?

しかし、そうでないとすれば?

神の子の力は、やはり神に等しいものなのか?

だが黒い翼の種は、その神の子の死すら、覚悟しているものだという。


(……)


国長は顔を上げた。宇宙船の一室、白い天井が見えるばかりで、その先もいつも見ている空ではない。蛍光灯が光れば、宇宙服の硝子も、国長の瞳も併せて光る。

音が一つ鳴り、少年が慌てて部屋に駆け込んだ。

『父様!族長様の意識が戻られて、すぐに、お話がしたいと……!星長様やモクレン様にも先ほどお伝えしました、後は……、?』

振り返った父と顔を合わせれば、クスノキは不思議な、しかし馴染みのあるその表情に思わず口を止めた。もしその顔をヒイロが見ていたとすれば、クスノキと同じだと言うか、全く似ていないと言うだろうか。

『……父様?』

『ああ、すまない。……私達の神に、祈っていたんだ。きっと何もかも、上手くいくはずだ。……しかし良かった。族長殿の容態は?』

『あ、ええと、……まだ死地に戻る可能性はあるそうです。……医者からも安静にと言われているのですが、族長様が、どうしても、……”いつまでこの意識が保つか、戻るかも分からない。今、神について話さねば”、と……』

国長は頷き、息子を連れて部屋を出る。ミズキは処置が終わり、左腕は肘から下を失った事、宮司が危険な状態である事、そしてヒイロは、危険症状が出ていないものの、彼もまた意識が戻っていない事を聞けば、国長は心中だけで、頷いた。

(……まだ、少なくとも、この惑星の神の事を終えるまでは)

手を組まずとも、国長は一人神に祈った。足早に駆ける小さな背中を追って、急ぎ部屋や通信の準備を手配する。族長補佐、宇宙服を着た国長は医療室へ、他星長やクスノキ達は操作室に移動して通信を繋いだ。

医療室、その内部の区切られ、族長一匹だけが横たわる部屋の様子は、神の惑星から帰った者とは思えない痛ましいものだった。上半身から頭にかけて固定され、全て薬品と草で編まれた包帯に包まれている。その下からは管が何本も伸び、定期的に鳴る機械と繋がっていた。管は包帯に滲む青色と共に、浅い呼吸で揺れる。

族長の声はか細く、とても通信に乗るものではなかった。

『……、……かみ、は……いた、の、です……』

『ええ、ええ。族長様。……しかし、神は……神を失ったワタシ達は、どうすれば……、……疑う訳ではありません、しかし、本当だったのでしょうか、神が族長様を……』

『……かみ、だった、……あの、すがた、は、……きっと、か、みでは、なか、った……』

『それは……どういう事で……?』

包帯の下どうにか鳴る喉の音、族長補佐への小さな頷きや手を振る様から、強い意志を伝える。彼女は目を潤ませながら言葉を繰り返し、国長はただ頷いた。その場にいる者が、この惑星の神の、信仰の形を受け入れたのだ。

『……かみよ、……しんじます……』

ふり絞った声は最後にそう、そしてまた意識を落とした。



人間の体感で言えば、半日は軽く経っていただろう。元々一日の長いイワツチ、族長から、さらには族長補佐から告げられた形を聞いた他宮司や族長の家族達は、困惑からすぐには受け入れられず、時間の許す限り何度も論争を重ねたのだ。

『……フタヤマの神はおられたのです。そして……死にました』

族長補佐は宇宙船の周り、期待と希望を胸に集まったオオガマ達に向け、そう告げた。クスノキは星長に向け、窓越しに聞こえる言葉を訳す。

宇宙船が帰還して長く伸ばしていた首が、信じられない言葉に右往左往する。え?、今なんて?神が?、そんな、……死んだ?、次々に鳴る喉はやがて雨のように、洪水となって族長補佐、そして横に立っていた国長に詰め寄る。

どういうことだと、涙ながらになったオオガマが聞けば、既に震え尽くした族長補佐は毅然と顔を上げ喉を鳴らした。

『フタヤマの神は、族長様を、宮司様を、付き添われた人間と烏天狗を襲いました。宮司様は亡くなり、族長様も今だ生死の境です。しかし、一度意識を取り戻された時、ワタシにこう告げたのです』


”イワツチでは長い間、奇跡に相まみえなかった”

”それは神が、ご自分の中の邪と戦っておられたからだ”

”ワタシは神を見た。あのお姿は確かにフタヤマの神で、また神の姿をした邪だ”

”あの畏怖すべきお姿こそ、その証”


『”神の邪は消えた。死んだ体一つ残さなかったのだ。”……神は死にました。しかしそれは、神の邪が死んだのです。ワタシ達がまだこうして生きているのであれば!フタヤマの神は未だおられる!神はまだ生きて、ワタシ達にまた、奇跡をお見せくださるに違いないのです!』

しん、と時が止まったように喉が止まる。草すら揺れる事を止め、どこかで神虫の羽音だけが鳴っていただろう。次にイワツチを満たしたのは、神への祈りと同様の歓声だ。

神よ、フタヤマの神よ、と同じ言葉が繰り返されれば、クスノキは途中で星長に目を配った。星長は頷いて、礼を言う。

『……本当に、神というものの在り方は、難しいものだ』

『……僕達にも、他惑星の神様の事は難しいです。でも、イワツチの民がそう信じられるのであれば、きっとまた、イワツチに奇跡が起きるでしょう』

『そう、だといいですな。……しかし、このような形に落ち着いたとはいえ、……神を殺した我々が、これ以上この惑星に留まるのは難しいでしょうな』

『……』

神の邪を殺した。そう言えば聞こえは良いものの、一惑星の神を勝手に殺した事には他ならない。この形を信じたとはいえ、経緯を知っている族長の家族や他宮司、そして族長補佐は、烏天狗のした行いを褒め称えはしないだろう。

星長には細かな裏の話を、心の臓を聞き分けることは出来ない。しかし目を合わせた者の簡単な感情を読み取るくらい、惑星外の種であれど、惑星を治める者としては難しくなかった。

『ヒイロは、まだ意識が?』

『あっ、……はい。でも、脈や体温、呼吸は正常に戻ってきたようで、意識が戻るのも遠くは無いと聞きました。それとイワツチのお医者様が、毒に効く植物の調合や薬の方法も教えてくださると、後でまとめて……ええと、機械に情報を入れて、ヒノクニでお見せしますね』

『何から何まで有難い事だ。……願わくば、この先も交流を続けられたらと思いますよ』

落ち着いた声に希望は無く、ただ平坦に心の臓を揺らすだけ。

意識が虚ろに起き始めた神の子の耳には、それがどう届いただろうか。

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