第5話 フタヤマ

『……い、今のは……』

操縦士がボタンに触れるより前に途絶えた通信、画面は縦横無尽に揺れ、音すら無くなっている。

『宇宙船、向こうの状態はどうなっていますか』

国長が聞けば、我に返った操縦士は慌てて機械を操作し始める。

『だ、駄目です。向こうの状態、確認出来ません。恐らく宇宙船が破損したのかと……』

『破損……?宇宙船が、……では、族長様は、宮司様は!大丈夫なのですか……』

族長補佐の心音が乱れ始める。モクレンが慌てて両手を組み、彼女に笑いかけた。

『補佐様。お二人が向かわれたのはフタヤマの神の惑星なのです』

『そう、そう、ですよね……し、しかし、では最後の……』

『ヒイロ、最後、何か聞こえなかったか』

星長がヒイロに振り返ると、気が付いた人間達も一羽の烏に視線を向ける。

『……最後のは、どう聞いても悲鳴だろう』

『……』

操縦士は待機していたもう一人を呼び、どうにか通信が繋がらないかと試みているが、機械からは音一つ無い。反対に外では、もう着く頃じゃないのかと再び熱を帯びてきたオオガマ達が、声は届かずとも空を見上げる数から、彼らの神と、族長に対する思いを滲ませている。

『……その、前。”何か外に見えた”と、オオガマのどちらかが言っていた。”虫の羽のようなものが”、”神に違いない”、”扉を開けてほしい”、そう言って、ミズキが操縦士に扉を開けるよう頼んでいた』

『……神が……?』

族長補佐は緑の顔を青く、胸に手を当てて震え始めていた所だ。その言葉一つに、縋るような声を絞る。

『ならば、……ならば族長様達は、きっとご無事に違いありません』

は?、とヤマクイであればヒイロは零していただろう。未知の惑星で宇宙船は悲鳴と共に壊れ、未だ連絡が取れないのだ。何を聞いていたんだと理解し得ない感情に呆気に取られれば、国長はようやく話をまとめ始める。

『補佐殿。神がいらしたとはいえ、もしかすると、彼の惑星も危険な場所なのかもしれません。少なくとも宇宙船が破損した事は確実である以上、迎えの宇宙船を飛ばさなければ。……神の惑星に向かう許可を頂きたい』

『……フタヤマの、神の惑星に危険など、どうしてそのような事が』

『いえ、補佐様』

モクレンは族長補佐に一度頭を下げる。

『神は他惑星におられる事も、民の惑星に住まう神もおられます。それら全ては決して、危険の無い惑星ではありません。カナヤマやタマノオヤはご存じでしょう。神がおられる地が全て平穏で出来ているわけではないのです。しかしその上で尚、民が幸せに生きているのです』

『……フタヤマの惑星に、何か危険があったと……?……カナヤマ……、それほどまで危険な地で、神は……、……もしかして、神の惑星が危険な地になったからこそ、奇跡が起きなくなった……そんな、そんな事が……?』

『奇跡が起こるのです。……あり得ない話ではありません』

(……意味が分からない。いつまでそんな話を……。……割れた音、鋭かったな。硝子、あれが割れた音か?機械が壊れるにしては軽い気もする。……あとは確かに、何か……羽音のようなものが)

ヒイロは惑星外に出てからの音を思い出しては、考える。聞くからに危険な地だったのだ。今この時も、族長やミズキが無事である保証が無く、救出ならば早く向かわなければならない。状況が分からない以上、戦力は余分に、もしかすると自分も出なければならないだろうかと、刀に目を落とした。

国長は操縦士の一人に宇宙船の移動を、大型宇宙船がフタヤマに向かえるようにと準備を言いつけた。クスノキはその手伝いに、星長は国長に何かを聞かれている。その何かがヒイロの耳に届けば、彼は思わず、国長達が自分を見るより先に顔を向けた。

(今、)

そして国長達がヒイロに振り返る。

『同盟惑星の方に、このような申し出をするのは本来あってはならない事です。……しかし、どうか、ヒイロ殿』


今、この惑星で戦えるのは私だけなのか?


『私と共に、フタヤマの惑星へ向かってはいただけませんか』




【惑星名・フタヤマ / 主種族- / 岩石惑星・半径約1200Km(推定)・自転周期時間120時間(推定)・公転周期270日・最高気温-・最低気温-・大気圧-】




急遽飛び立った大型宇宙船は、たった二人と二匹、そして一羽だけを乗せて神の惑星に飛んでいた。

族長補佐は人間と烏天狗がフタヤマの惑星に向かう事を許し、危険があるのならばと二匹だけ事情を話したイワツチの医者を乗せ、しかし惑星での行動は最小限に留めるよう、それだけはと頼んだ。

(ヒノクニでも、神がいると分かってからは調査していない、とか言っていたな……危険なら調べた方がいいんじゃないのか……?)

『……ヒイロ殿』

『!、……』

ヒイロは窓の外、急速に近づく神の惑星から室内に目を移せば、宇宙服の頭部が見えた。長は頭を下げたまま、言葉を続ける。

『本当に、申し訳ない。本来はヒノクニの者を呼ぶべきなのですが……』

『……。慣れているから、いい。それより、危険な場所なら、国長が来る方がおかしいんじゃないのか』

『いえ。共同となって進めたこの祭りで、族長殿が危険とあれば……そして、同盟惑星の方を危険な地に向かわせるのであれば尚更、私も同行せねばならないでしょう。危険な地や生物への対応は、知識としては持っています。烏天狗の方から見れば、足手まといになるかもしれませんが……』

宇宙船に乗る誰もが緊張している。国長も無理に繕った落ち着いた声が、それを現していた。

『国長は、刀を持ったりしないのか』

『恥ずかしながら、一度も。ヒノクニでは害獣の被害はあれど、継続的なものではありません。専用の小隊があり、彼ら以外はほとんど……武器を見た事すらないでしょう。事前調査で危険生物の可能性があれば、同行してもらうのですが』

『何でそもそも、連れてきていないんだ』

『イワツチには直接生命を脅かす生物がいないのです。ですので、イワツチの民も、戦う、というより……イワツチで危険とされる虫に対する、毒や駆除、薬の開発など、医療方面に秀でています。我々が行動する際も、宇宙服、機械で防げるものがほとんどです。それに交流に向かう場合、どの惑星においても武器を持っていく事はまずありません。あくまで防護の方で……』

『それ、そう、……そちら?じゃない。フタヤマの惑星に向かうのに、だ』

『神の惑星に?』

武器を?と続くのだろう。ヒイロは驚いた顔に驚き、また周りの、話を聞いていたのだろうイワツチの医者が、不審そうな音を立て始めた事に、ヒイロはそれ以上は口を噤んだ。

オオガマに負担にならないよう開発された特別な宇宙船とは違い、人間用、宇宙船に適応した種がいかに早く飛べるかで開発された宇宙船はもちろん速く、神の惑星へをまるで散歩のような感覚で近付いていた。

フタヤマの惑星は近付くほど、雲のような分厚い霧に地をおおわれているのが分かる。それ以外は山も何も見当たらない。宇宙船がびりびりと揺れ始めた。

『これより、フタヤマの惑星の大気圏に突入します』

『”……、了解しました”』

イワツチに残った操縦士の声をかき消すように、宇宙船全体が大きく揺れた。ヒイロの耳には通信の向こうで不安そうな、族長補佐やクスノキの声が聞こえたが、手摺に掴まり揺れが落ち着くのを待つ他なかった。最後、もう一度大きく揺れると、宇宙船は急に静寂に落ちる。

『……フタヤマの惑星、大気圏内に入りました』

ヒイロは窓の外を見た。白い、ミズキがそう言った意味が分かった。窓の外は雲の中にいるように白い空気が漂い、それ以外を何も見せない。近くか遠くかすら、この惑星では意味が無いようだった。

『すぐに生体反応の確認を。地表には下りず、上空から探しましょう。……ヒイロ殿、何か聞こえますか』

『……、……!あっちの方、……呼吸音が聞こえる。酷く興奮している音が、四つ、……だが、一つ、音が薄い。急いだ方がいい。……それに、音の位置が大分低い。多分地面だ』

そんな、と通信越しに聞こえる声が震えた。宇宙船は急ぎ、しかし前一つ見えない霧の中、危険がある前提となれば、進むのは容易ではない。他の音はしない、逐一の神の子の報告を元に音の在処に近付けば、確かに生命を感知した音が宇宙船から響いた。だがどこにも、宇宙船の姿は無い。

宇宙船はまた別の、物体を感知する機械を起動させた。確かに二百メートルは下に物体を確認でき、徐々に下降していけば、そこに落ちていたのが、宇宙船、数時間前にイワツチを出発したものだと分かった。

落下したのだろう、横向きになった宇宙船は第二ゲート、外と繋がる硝子で出来た大きな扉が開いていた。というより破壊されていた。オオガマも入れるだろう大きな穴となって、中には霧が薄くだが立ち込めている。

『……心音が四つだけだ。他にはないが……、この惑星は、下りていいんだよな』

『……はい。現在出ている観測上、現在気温は15℃、大気圧は80kPa。ヤマクイでは雲より下の辺りかと。霧については成分がまだ特定出来ていませんが……少なくとも、数時間あるはずの宇宙船が溶けたといった変化は見えません。強い酸性のものではないと思われます。頭部のみ宇宙服を着用して頂き、何か少しでも違和感がありましたら、すぐに宇宙船にお戻りください』

宇宙船はゆっくりと地面に着く。機械音と共に扉が開くと、ヒイロが一番に、次いで国長が降りる。

『”異常は、ありませんか”』

宇宙服の頭部にも通信機能が付いているようで、宇宙服を着ている全員、そしてイワツチに音声が繋がる。実際の声も聞こえるヒイロにとっては二重に聞こえるのだが、ああ、と小さな返事を向こうに届ける分には必要だった。

『まだ他の音は無い。……私が先に行く。あの穴から中を確認して、異常が無ければ声を掛ける』

『”……お願いします”』

地面は霧があるかだろう、爪が引っかかる程度には湿っており、宇宙服では歩くのも少し苦労しているようだった。ヒイロは軽く羽ばたいて、霧のせいかいつもより重たい翼を揺らし、倒れた宇宙船に近付く。と、硝子の穴をよく見れば、青い液体が小さく、慣れない硝子越しに見る烏天狗の目でも、近付いて奥が見えるほど大きく散っている様が見えた。

『……青い液体が散っている。機械の何かか、』

星長、そして医者達の、嫌な音が跳ねた。

『”……オオガマの血は、青いのです”』

『……血が……?』

ヒイロは顔を引きつらせた。種の違いと、知った事による見える景色の違いにだ。

(一羽浅い息がある、ならこれは……、早く、)

宇宙船、穴の上へと飛び上がったヒイロは、目を見開いた。

穴の真下。壊れた機械と硝子に囲まれた、青く散った大きな跡。その横にあるのは白い機械に包まれ、切断面から青い液体を垂れ流している長い足。


それらに囲まれたまま座り込んだ、見知らぬ形。


(……人間?オオガマ?いや、違う、そもそも何でいる、音が……)


大きさからいえば一番近いのはクスノキだろうか。少年の形をとったそれは。


(……心臓の音が、しない……?)


ヒイロは国長に止まるよう、彼に向けて手を出すと、穴の縁に降りた。爪が硝子を掻き、嫌な音が鳴る。

『何か、いる』

『”!何か、……生物ですか、それとも……”』

『分からない。人間……に近いのか?頭が黄色、い……』

少年の形が動き始めるのと、心臓が波打つのは、同時だった。

(……怒っている……?!)

激しい、まるで殴りつけているかのような心の臓。彼が顔を上げ、全て黒い大きな目がヒイロを捉えた瞬間。少年はヒイロ目掛けて飛び上がった。

「!ッ、……!」

大きく開いた少年の牙が黒い羽を掠める。ヒイロは咄嗟に刀を、抜く動作のまま柄を少年の腹に目掛けぶつけた。小さな呻きと共に少年が身を翻し、一羽と一匹は壊れた宇宙船の上で相対する。

(……、!)

「何だ、こいつ……」

ヒイロは目を瞬いた。少年の体が、烏天狗にとっての敵に酷似していたからだ。

両手、両足、それ以外。腹からあと四本は腕に似たそれを生やし、それぞれが動いている。全身は、羽毛とも違う、髪と揃いの薄い黄色い毛を纏っていたが、その下にある体は黒く、虫特有の黒光りをしていた。彼の背中には反対が透けるほど薄い羽が二枚、今は静止して、ヒイロを睨む黒い目の上の二本の触覚と共に、時折震える。

何より異様だったのは、彼の背後だ。腰か尻辺りか、鉄蟻の頭二つ分はある膨らみが飛び出ており、それは黄色と黒で模様を作っていた。

(……気持ち悪い……)

視覚的な情報だけで、彼が虫と酷似した種だという事が、惑星外に疎い烏天狗にもよく分かった。

『”……虫……、まさか、……フタヤマの……!”』

宇宙船で、イワツチで。国長の声を聞いた者が、既に涙したような声で聴き返した。

『”……神が、姿をお見せくださったのですか……?”』

虫の少年はぎょろりと、目は隅から隅まで黒色だけだというのに、視線を国長に寄こした事が分かる。国長が手を合わせようとした瞬間。青く染まった口が開き、鼓動が一段と高鳴った。

『”か、”』

「ッ!」

国長に向けた牙が嚙み締めたのは彼の肉ではなく霧だった。首を掴むはずだった両掌が振り切られた刀で薄く切れ、染み出した血と共に虫の少年を一歩引かせる。刀一つ分ほどの距離で一羽と一匹が睨み合えば、一人は混乱の余り立ち尽くすしかなかった。

『”か、……え、……ひ、ヒイロ殿、何が……”』

『宇宙船!誰かの足が落ちている!』

『”、え?”』

見えないほど高速に振られた薄い羽が少年の体をヒイロの目の前へ、大きく体を捩じって振り切られたのは、彼の腰にある膨らみ、そこから飛び出た針だ。

「?!、くそっ」

針は振り払われ、霧のみを掠めて上を向く。軽い少年の体は共に宙へ、もう一度高い場所から突き下ろされた針は地面を抉った。

『どう見ても宇宙船を襲ったのはこいつだろ!いいから早く、中の様子を見に行け!こいつは……私が殺す』

『”?!、……神を?!神を殺すのですか?!”』

イワツチの医者だろう、驚いた声が宇宙服に、イワツチにも届いた。

『これのどこが神だ!血が青いなら、宇宙船に落ちている足は族長か宮司のものだぞ!お前らは神に足を渡すのか?!』

『”し、しかし、この惑星で虫の御姿をしているなど、フタヤマの神以外何がありましょう……!”』

『”……!”』

国長はようやく、ここに来た目的を思い出したように走り出した。彼の背を追うように薄い羽が走れば、黒い翼がそれを止める。

国長は急いで宇宙船の壁を上って穴から中に入れば、惨状に思わず吐き気を零した。

『”……足……この宇宙服は恐らく、イワツチの……”』

頭を振り、国長は閉まり切った扉へ、何かを叩きつけたような跡のある扉を叩く。

『”族長殿!ミズキ殿!おられますか!”』

『!……国長様!?』

中から聞こえた声はミズキのものだった。国長は息を吐き、扉を開けるよう頼む。

『”宇宙船!聞こえるか!、ヒイロ殿!四人の生存を確認しました!しかし……宮司殿が、”』

一番分厚い扉の先、操縦室の中までもが、惨憺たる有様だった。ミズキの左腕は肘から下が千切れかけ、族長は頭を打ったのだろう、床に伏せている。唯一無事だった操縦士が支えている宮司も、右足は腰から既に隣の部屋に置いてきていた。

『……突然、何かが第二ゲートを突き破り、族長様は壁に叩きつけられ……、急ぎ操作室の扉を開けた時には、逃げようとした宮司様が……。……もう、宇宙船は、この部屋の環境を維持する事しか出来ず……、早く、治療せねば……』

『”ええ、イワツチから医者を二人、連れてきています。宇宙船に戻れば応急処置は、……しかし……まだ外には……”』

『……かみ、が……』

族長は床から呻き声を上げ、それでも尚立ち上がる。宇宙服にもう頭部は無く、自身の血で顔を青く染めていた。

『”!、族長様、立ち上がっては、”』

『……いえ、いえ、……ボク達は、神を見たのです……』

『”……それは……、外におられる、虫の形をされた……”』

『ええ、貴方も……見られたのでしょう。……であれば、分かる、でしょう。……あの姿が、あの、ボク達の信じる!神の姿!あれこそフタヤマの神に違いない!ボク達の祈りは……ようやく!届いたのです!』

族長はふらつき、それでも空を、低い天井の果てを見上げる。宮司もまた、絶えかけた息のまま、胸に手を当てた。

『”……ならば、族長殿。フタヤマの神の御心は、私共に量れるものではありません。神の意向に背くような事が起こる前に、イワツチに戻るべきかと”』

族長は目を丸く、しかし掠れ始めた視界に理解したのだろう、確かにその通りだと、頷いた。

『”……ヒイロ殿、聞こえますか”』

『……聞こえていた……』

『”……ならば、……族長様が、彼の者をフタヤマの神だと。……ですので、どうか”』

「……」

ヒイロは絶句した。

それ以外に形容しようが無く、今目の前で、気を抜けば命を食うつもりでしかない虫の少年を前に、何を、とも言えないのだ。

『”……ヒイロ殿が止めておられる内に、大型宇宙船へと移動させます。どうか、それまで……”』

馬鹿かと。その言葉を止めたのは、ここが他惑星であり、宇宙も飛べない烏天狗がようやく交流を始めた相手の地であるという、ヤマクイの民としての意識。そしてもう一つは。

(……こいつ、最初の一翔だけはひどく速い。霧のせいか私も動きが良くない……、だが、距離があれば追いつける。鉄蟻ほど食い意地があるようでもないし、動きも単調だ……。……壊れていたのは、硝子部分だけ。扉の向こうで族長達が無事なら、宇宙船自体は壊せないのだろう。……意識が私にさえ向いていれば、無理な話じゃない……)

烏天狗の、神の子としての、今まで散々としてきた事への意識だ。倒せない相手ではなく、足止めが難しい相手でもない。

(体が軽いのか?飛ばしても意味が無い……というより宇宙船に飛ばれると厄介だ。距離は詰めたくないが……危険なのは牙と針……羽さえ落としていいのなら楽だが……)

爪が地面を掻く。真黒い目は相変わらずヒイロを向いて、心の臓は飛び跳ねている。足音が、移動が始まったのだろう。ヒイロはわざと刀を振る。大きく見えと霧を切れば、フタヤマの神の懐へと翔け出した。

一瞬見開かれた黒い目、体はすぐにヒイロを紙一重で避けるように真横へ、腕がヒイロを掴むより早く、少年烏は地面を、伸ばされた手を蹴って縦に一回転した。着地した低い姿勢で足を薙ぎ払い、軽く浮いた体を蹴り上げた。

がっ、と短い悲鳴、湿った地面を叩く音が落ちる。ヒイロの視線の端では国長が、非常用の扉をこじ開け、下半身の無い宮司を運び出していた。操縦士は族長に肩を貸し、歩き辛い地面を進んでいる。

このままいけば、と神を持たない烏天狗が独り言ちた思いは呆気なく、自らの神の姿を再び見た族長は、歓喜のあまりか地に伏せ、声を上げてしまった。

〈……――――!―――!〉

びく、とフタヤマの神の触覚が動く。

(まずい、)

地面に縫い付ければ、そう刀を振り上げた瞬間には、フタヤマの神は族長へと羽を舞わしていた。悪態を吐く間も無くヒイロが後を追うも、虫の軽い体は一早く、神を信じる民の元へと辿り着いてしまった。

〈!、……―――……!〉

地に伏せた族長、その前に立ったフタヤマの神。それがどれほど、民にとって待ちわびた瞬間だったのだろうか。その瞬間は次に、青い血をまき散らして染め上がった。

『あ、ぁ、ああああああああああ!』

傍にいた操縦士の叫び声は空しく、地面が青色に変わる。族長の首が半分に千切れるより前に、ヒイロは神に向け刀を振り落とした。

切っ先は霧を分け、牙は肉を食いちぎるより前に霧を噛む。族長が地面に落ちたと同時に、針が少年烏へ、羽一枚掠め地面に突き刺さると、ヒイロが振り抜いた刀が神の背を切った。

地面に赤色が増えると、叫び声に似た呻き声が増える。

『が、……がっ、かみに、なに゛を……』

族長の震えた手がヒイロの足を掴めば、想定していない刺激にヒイロは思わず族長を見下ろし、

「!ッ゛、……っ!」

フタヤマの神の針が、少年烏の背を突き刺した。

咄嗟に振り抜かれた刀は神の頬を掠める。一瞬ふらついた体を立て直し、羽ばたこうと翼を大きく降ったヒイロの体を、痛みが走った。

(!、っ背中、……じゃない……、?!足、……ても、目が回、……)

ヒイロは刀を強く握り直し、それが振られる事はなく、体を地面に落とした。

『”ひ、ヒイロ殿!、……!”』

駆け寄ろうとした国長の足が止まる。フタヤマの神が、地に落ちた一羽と一匹に歩み寄ったからだ。ヒノクニの者には、どうする事も出来ない。フタヤマの神を信じる事も、刀を握る事もない。

神は二つを見下ろした。一つは自分を信じる民を、もう一つは自分を切る烏を。

先に歩み寄ったのは、民へだった。族長は首と口から青い液体を吐き、荒く浅い息を繰り返している。目は細まり、そしてそこに神に顔が映り込むと、激痛すら押しのけた感情が目を見開かせた。

族長の顔を染めたのは、畏怖。神への信仰と死が同時に目に映りこめば、言葉も分からず、何かを零すしかなかった。

『ぁ、ア、ああ、―――、―――、かみよ、――――、おた、す、けください、―――、……―――かみ、』

生きる者にとって当然の事だろう、死から遠のこうとした体は、それでも痛みに跳ねる事しかできない。逃げる事も祈る事も出来ない民ににじり寄った神は、手を伸ばし、口を開ける。青く染まった牙が霧を纏った。

『かみ、』

その牙が、もう肉を千切る事は無かった。

「……、っ……、……」


族長が気を失う前に見たのは、大きく口を開けたフタヤマの神。

その口、喉の先から覗いた、烏天狗の刀の切っ先。


翼を土で汚した少年烏は、最後の力で起こした体の重みを全て神の喉元へ下ろしたのだ。神は一度びくりと、目と触覚が震えたと思えば、民と同じように地に落ちた。

既に湿った地は、元からそうだったように赤色に染まっていく。

「……」

もう動かなかった。心の臓は怒りを休め、元通り静寂に馴染む。

ヒイロもまた、それを聞き届けた後、今度こそ地面に落ちた。

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