第3話 通訳の少年

(……疲れた)

長い質問に付き合い尽くした後。ヒイロは少しだけ出来た一羽の時間、国長に呼ばれた部屋に行くまでの廊下の途中、翼を丸めて肩を落としていた。等間隔に並ぶ窓からは色が変わりだした空が見えているが、それすらもうヒイロの重い気持ちを持ち上げる事は出来なかった。

国長とミズキは他の人間も呼ぶと、力や歴史の話を興味深く聞いては機械に書き記していた。距離やら聞き分けやらと普段聞いているだけの事を詳しく言葉にするだけでも疲れるというのに、流石は神を信じる惑星といったところか、神の子という存在に対しやたらと敬意を示し始めたのだ。それにはもちろん、少しの嫌悪が混ざっている。

最初こそ喜んでいたものの、詳しく聞き分けるほど、遠くを聞くほど、驚きは不信な音に変わった。別室から、じゃあ、と何かを言おうとしてすぐに言葉を飲み込む音を、後半から増え始めた書き物の音を、何度聞いただろうか。終わった頃には部屋中の者が居心地悪そうにしていたのは言うまでもない。それもそうで、この話を聞いた人間は、突然、この辺り、どころか家に帰ったとしても、何を喋っても聞かれると宣言されたのだ。それが嫌な気持ちも分からない訳ではない神の子は、聞こうと思わなければ聞こえない事はしっかり付け加えておいた。

それが終われば、イワツチでの詳しい事は明日、神職や他の人間も交えて話すと、三羽は休む為の部屋を一つずつ宛がわれた。

(嘘は全く無い。……でも何か)

ここまで聞いてきたのだ。ヒイロも彼ら人間を疑っている訳では無い。だが最後の最後まで、寧ろ最後。国長のヒイロを見る目は、何か強い渇望の色をしていた。神への信仰や信頼出来る同盟星の一羽として見るには何か居心地悪く、ヒイロはどうにも彼を好きになれそうになかった。

(……他の烏達の目に比べたらまだ……、いや、でも、より嫌な気もする……、……)

ヒイロは足を止めた。爪の音が止むと、聞こえていた足音も止む。ヒイロは少し考え、振り返った。白い家の中を一羽歩く黒い烏など目立つだろうと分かっていたが、それにしても足音の主がやたらと胸を昂らせているのだ。

『……何か用か』

白い家の壁は綺麗に均されており、廊下もそれは例外でなく、窓と扉と照明だけで隠れる場所など無い。それでも隠れているのだろうか、壁に這うようにくっついている人間は、ヒイロが振り返った瞬間、心臓が一段と高鳴る。

『……あ、あの』

聞き覚えがあるなと、ヒイロは目線を上に思い出す。

『……国長の息子か?』

『!』

少年は首を激しく上下に振り、顔を綻ばせた。それから国長と揃いの肩掛けを揺らしてヒイロの近くに駆け寄って来る。ヒイロから羽を捥いだほどの大きさの少年は短い茶髪の下、瞳が夕焼けを浴びて輝いており、何度も瞬いては嬉しそうに烏天狗をまじまじと見つめる。

『あの!今日烏天狗の方が来られると聞いて、僕、挨拶したいって父様に伝えていて……凄い、本当に翼がある、真っ黒なんですね、服は着ないんですか?』

高鳴りも収まらないままに話す少年に、ヒイロは思わず一歩引いた。丁度その時近くの扉が、ヒイロが向かうはずの”執務室”と書かれた扉が開く。国長が顔を出し、すぐ近くに居た一人と一羽を見て目を丸くした。

『ああ!こら!挨拶の場を設けると言っただろう!遅いと思ったら……!』

『ごめんなさい!つい、部屋の近くを寄ってみようと思ったら、部屋から出てこられたから……こっそり後ろを歩いて……』

『ヒイロ殿、すいません。お話したいのはこの子のことでして……どうぞ中へ』

何も分からないまま、ヒイロは首を捻る間も無く執務室へと入る。星長達と会合した部屋より幾分小さく、人間が一人寝転べそうな机と椅子が一つずつ、部屋の壁は白い本棚で埋め尽くされていた。使用人が一人、部屋の隅で微笑む中、国長はもう一度謝る。

『申し訳ない。……先ほど話していた私の息子、クスノキと言います』

初めまして、と頭を下げた少年は、ようやく少し落ち着いたのか、つい先ほどより大人しい声色に変わっていた。

『実は、クスノキにヒイロ殿の通訳に就いてもらおうかと思っているんです』

『ツウヤク……、言葉を、教えてくれるのか?』

『ええ、はい。明後日のイワツチ訪問は重大なもので、大使や私も、恐らく星長殿も、滞在中急がしくなるかと……。聞いたところ、ヒイロ殿はヒノクニの言葉でまだ知らないものもあると。それにイワツチではイワツチの言葉も使う事になりますので、通訳が必要かと思い……他の大使を探していたのですが、クスノキが強く所望しておりまして、私も年が近い方が気兼ねないのではと』

『……』

ヒイロは自分をじっと見つめてくるクスノキと目を合わせた。確かに大きさや顔の雰囲気から、年の近い烏達の羽が無くなった姿と言えば近い。ふと、ヒイロはヤマクイを出る直前の幼なじみの顔を思い出し、あれよりはマシだろうと頷く。

『!、ねえ父様、家を案内してもいい?詳しい話は明日するんでしょ?』

クスノキは嬉しそうに父へ振り返り、父が頷けば、小躍りするようにヒイロの前に出て手を差し出した。

『よろしくお願いします!』

『……よろしく』

人間の手は烏天狗より少し柔らかく、僅かに冷たかった。人間としても不思議な感触のようで、目を瞬き、手を見て、それからヒイロを見る。

『じゃあ、家を案内しますね!』

部屋を飛び出した少年は部屋の扉を開け放したままで、慌てて後を追う少年烏に、国長も慌てて声を掛けた。

『ヒイロ殿!その……あのように落ち着きの無いきらいがありますので、何かあればすぐ私にお伝えください』

心底困った顔の父親にヒイロは頷いて返すと、廊下の端から手を振るクスノキの元へ急いだ。

国長の屋敷は三階建て、三角屋根の部分を入れると四階になる。ヒイロ達烏天狗の部屋は三階にあり、クスノキは二階にある自分の部屋と国長の部屋の場所を説明した。

『三階はヒイロ様達のお部屋くらいで、あと大使や神職の方も泊まりでいらっしゃってます。この階にはさっきの執務室と、僕や父上、母上の部屋と、お風呂とか……ヒイロ様達が一番使われるのは多分一階の部屋ばかりだと思うので、一階に行きましょうか』

家の東にある階段を駆け下りてすぐ、大きな両開きの扉を開ければ、長達が会合した部屋と遜色無い広さの部屋が待っていた。クスノキは食堂だと説明する。少し細く長い机が部屋と絨毯の真ん中に陣取り、椅子が二十は並んでいた。机の上には柄の長い小さな台、その上に色取り取りの鉱石が飾られていたが、それ以外は机も椅子も、部屋も絨毯も白く、窓から差し込む陽を受けて照り返している。

『あと一時間後には夕食の時間ですね、あっ、烏天狗の方はコケを食べられるんですよね?本元の研究施設は別にあるんですけど、烏天狗の方々が来られると聞いたので、……少量ではありますが、この屋敷にも生えてるんですよ』

『苔が?この屋敷に?』

『はい』

クスノキは食堂の奥の扉を開け、厨房を覗く。それほど広くはなく、壁に沿う作業台は横に長い部屋一面にあり、片方にはシンクが並び、もう片方にはコンロが並んでいる。簡素な造りの大半は皿や容器が積み重ねられており、女性が一人、丁寧に磨いていた皿から扉へと目を移した。

『あら、クスノキ様。もうつまみ食いの時間ですか』

『ううん。今日は違うよ、コケを見に来たんだ。ヒイロ様に見せたくて』

厨房の女性はクスノキの後ろ、見慣れない少年の姿が扉の影から現れると、驚いて一歩引いてしまった。が、すぐに笑顔を作って腰に巻いたエプロンを翻し、『どうぞ』と一人と一羽に道を譲る。厨房の隅で少年達の背中を見送る途中、黒い翼を興味深そうに見ていた。

『あっ、長居してるとまた怒られますからねー!早く出て来て下さいよ』

『分かってるー』

作業台の壁には大きな包丁がいくつも掛けられており、同じ数のまな板も台に積まれている。包丁も皿も壁も、知らない白い風景にヒイロは頻りに目を回していたが、クスノキが開いた扉からひやりとした空気が漏れ出ると、そちらへ顔を向ける。

『ここは穀土庫です。僕達の食糧の穀土を置いている部屋で、ちょっと寒いんですけど……大丈夫ですか?』

翼を纏うほどでも無かったヒイロは頷く。穀土庫は厨房より広い部屋全体に背の高い棚が置いてあり、どこもかしこも真四角に切り揃えられた土が置かれていた。人の頭より二回りは大きい土の塊達は、多少色が違っていたり、粒が揃っていたり不揃いだったり、いくつかは角が切り取られた物もあった。クスノキは土の棚の一番奥にヒイロを案内する。

『……苔が、生えてる……』

『はい』

一番奥、棚一つ退けられたようなスペースがあり、そこには宇宙船を模したような細い円柱の機械が床から天井まで三つ伸び、両端に付いた箱型の機械からコードが円柱の中部へ、少年達の目線の辺りまで伸びている。そこだけは透明な硝子で出来ており、中には土が盛られた小さな山が、その表面には緑色の苔が生えていた。

『この量で一週間掛ったそうですけど……』

山は少年達の掌ほどで、苔の量となれば一山でヒイロの一食分だった。

『……いや、凄いよ』

小さく唸りを上げる硝子に触れ、ヒイロはまじまじと苔を見つめる。

(本当に、苔が出来てる……これなら、烏天狗も飢えないのか?これがヤマクイでも出来たら……出来るのか?)

ヒイロがクスノキへと顔を向けると、少年は嬉しそうにしていた。ヒイロは小さく首を傾げる。

『ヒノクニでは、他惑星の手助けをする事も大切な仕事ですから。お役に立てそうですか?』

『あ、……ああ』

ヒイロが頷けば、クスノキは一段と嬉しそうに笑う。その表情と音に偽りは無かった。が、ヒイロは、執務室で話し始めた時から、少年がやたらと声を静めている事が気掛かりだった。心の臓は昂ったまま平坦で嘘を吐いているようにも聞こえず、それなのに繕った声は、少年の父を思い出してどうにも居心地が悪い。

(早く他の惑星に行って……このまま上手くいくなら、私はいらないだろう。早く巣穴に帰りたい……)

心中ぼやいた時、厨房の方が少し騒がしく聞こえた。ヒイロが振り返ると、クスノキもどうしたのかと振り返る。と、扉が開き、一人入って来た男性が声を上げた。

『クスノキ様!またこんな所に出入りして!』

『あっ、わあ!』

クスノキは青い顔をしたと思うと、ヒイロに声も掛けず扉まで走り出した。随分慌てている様子にヒイロも後を追う。

『お召し物を汚したり風邪を引いたりした事を何度言えば済みますか!早く出て、』

『わーっ!ごめん、ごめんなさい、でも静かに……!』

『他惑星のお客様もお見えているのに落ち着きも無く!』

『烏天狗様もお!来られてるん、です……』

『何を、……』

爪の音に振り返ったクスノキはさらに青ざめ、穀土庫で初めて烏天狗と相見えた男は声を失った。腰にエプロンを巻いており、厨房作業者の一人だろう、ハッとし背筋を正すと急いで道を開ける。

『申し訳ありません!まさかおられるとは……!この部屋は冷えますので早く外に!』

『あっ、だから、静かにお願いします……!』

『先ほどから何を』

男は一瞬考え、目の前の少年烏が会合でどんな力を見せたのか、それを語っていた使用人の言葉を思い出し、慌てて口を噤み頭を下げた。ヒイロは眉根を寄せて、それから気が付く。

『別にうるさくないが』

『えっ』『え』

『遠くは聞こえるが、近くがうるさいほど聞こえるわけじゃない。別に大丈夫だ』

男とクスノキが目を丸くして呆けるもので、ヒイロが先に穀土庫を出れば、慌てて二人も部屋を出た。それからクスノキは食堂でもう一言お叱りを受けると、男は去り際、一応小声で『後で国長にお伝えしますからね』と厳しく言い付ける。小さな笑い声が厨房から、皿を磨く音と一緒にヒイロの耳に届いた。

『……あの、うるさくないんですか?』

一人と一羽になると、まだ呆けたような顔の少年はそう零す。ヒイロが頷くと、

『ええー!うるさくないんだあ~……!良かったあ~!』

「うるさっ」

肩を落とした大声にヒイロが思わず目を細めれば、クスノキはあっと口を塞ぐ。

『えっ、やっぱりうるさいです?』

『今の声はうるさかったけど、私の耳が良い事と関係ない』

『あっ、ごめんなさい!気を付けますね!』

そう頭を下げるクスノキの声は確かに先ほどより少し煩く、繕いが無い。

(……それを気にしてただけなのか?もしかして、……というより、聞こえる事を知ってて、こんな音を出せるのか……?)

ヒイロは訝し気にクスノキを見たが、彼は先ほどより楽しそうに、次の場所に案内しますね!と張り切って食堂の扉を開けた。それから、うんん、と短い唸り声を絞ったと思うと、振り返って笑う。

「あの、烏天狗の言葉も少しできますから、気になった事、ヒイロ様の言葉でも大丈夫ですよ!何でも聞いてください!」

両拳を握る少年にヒイロは口を開けた。驚いたのは、烏天狗の言葉を話す人間の異様さと、何より、どう聞いても偽りの無い声と音にだ。

あまりに聞き馴染みの無い音に、ヒイロはクスノキから目を逸らした。そんな音を前に自分がどういう顔をしていたらいいのか、分からなかったからだ。それから思わず小さく、自分が普段聞いているような小さな声を絞り出した。

「……、……家、の色……」

「え?」

「……家の色、というか、全部。……どうして白いんだ。外の土は茶色いのに……」

クスノキは瞬きを二回、それから嬉しそうに顔を綻ばせる。

「あのですね!」

「うるさっ」

「あっ、ごめんなさい!」

すぐに頭を下げるクスノキに、ヒイロはふっと笑う。少年が顔を上げる前に手で塞いだが、目を合わせた少年はまだ上機嫌そうで、嬉々とした足取りで壁を撫でながら説明を始めた。

「僕達の星の神様、スワの神様は、白い大蛇なんです!だから白の色はうつくし……、しんせい、神聖なもの、大事なもので、家も机も服も、全部白の色にしているんです!」

硬いコンクリートを撫で終わると、自身の首元を叩く。

「烏天狗の長様とマツバ様、首飾りしていました!ヒノクニでもします!でも白い鉱石は神職の方と国長だけ付けられる、貴重な鉱石なんです。ヤマクイもそうです?」

「ヤマクイは……うん。飾りを付けてる烏は多いけど、星長達の赤い鉱石、あれは星長の家の子だけが付けられる色だ」

「赤もとても綺麗です!ヒイロ様は何か付けないんです?」

「私は付けない。……さっきはうるさくないって言ったけど、耳とか首から音がするのは、遠くを聞くのに少し邪魔だから」

「遠く、聞く……」

クスノキは口籠り、意を決したようにまた拳を握った。真っすぐにヒイロを見つめる。

「あの!耳、どう聞こえているのか!聞いてもいいです?父様からは聞きましたけど、直接見てみたくて」

ヒイロはまた少し目を逸らした。言った通りクスノキは耳の話を聞いているようだが、未だ嫌な音一つせずにヒイロを見ている。しかしそれが直接神の子の力を目の当たりにすれば、どう変わるだろうか。

(嫌な顔を、するんだろ)

ヒイロは自身の心の臓を揺らした。

「……?あの、駄目でした?」

「……、いや」

数十秒だけヒイロは口を噤んだ。クスノキは不安そうにヒイロを見たが、少年烏の目がどこかを見て、またどこかを見て、上を見て考えている様に、少年もまた口を噤む。

「……。シツムシツ、に神職?が来ている。イワツチ……明後日行く惑星か、向こうの時間を話してる。雨が止む時間には霧が丁度晴れる……ワタツミ?にもクサをどうとか……あとヤマクイに来ていた五羽の内三羽、クルマに乗ってなかった人間が、今宇宙船の整備が終わったって、遠く……宇宙船が降りた所で、」

宇宙船が降りた地点を壁越しに見ていたヒイロは、自分を見るクスノキの視線に気が付き、言葉を止めた。

『す、』

「……巣?」

喉を鳴らす音が嫌に響く。

『凄いです!そんなに遠くもはっきりと聞こえるんですか?!』

少年が感嘆の大声を上げると、少年烏は驚き、廊下いっぱいに翼を広げた。その姿にさらに驚いた少年は、慌てながらごめんなさい!と叫ぶ。ヒイロは小さく何度も頷いたが、まだ少年の音を飲み込めておらず目を丸くしていた。

『ごめんなさい、つい……!ええ、でも本当に凄いですね!あの、イワツチは一日が長くて、しかも長く雨が降るから、訪問する時間を選ばなくちゃいけなくて……フタヤマに行くにも霧が……あっ、宇宙船も!宇宙船の発着場、ここから十五キロは離れているんです!家に来られた大使様以外は技術者の方と……、』

今までで一番の高揚。それは表情も口ぶりも、声色も心の臓も、一つ残らず楽しさを惜しみなく出し切っている。その姿は少なからず彼の父を彷彿とさせるが、その目は父のような嫌悪を感じさせなかった。

『凄い!全部聞こえるんですか?!』

『……全部じゃない。距離に限りはあるし、聞こえる範囲全部を聞いて理解は出来ないから、たくさん聞き逃してる。どの辺りを聞きたいか意識したり、選んで聞いたり……聞いた事がある言葉とか鉄蟻の音とか、自分の事だと、耳に入りやすくて、』

ヒイロは真っすぐな焦げ色の目から視線を逸らした。丁度家の中の人間が話していた内容を拾ったからだ。

(『イワツチの族長に、聞こえる話はどうするか』……、雨もない場所なら、これだけはっきりと聞こえるんだな)

『凄い、本当に、神様みたいだ……』

「え?」

クスノキは外に面した扉を開けた。両開きの扉が一気に開き、風が少年達を撫でる。コンクリートで均された床と惑星や星を模した像、視界を遮る塀の上、夕焼けと夜を混ぜた空が広がる。ヒイロの目が空に奪われた瞬間、クスノキはヒイロの手を取り、彼を陽の下に連れ出した。そして空の一点を指差す。

『あそこに、僕達の神様がいるんです!』

宇宙にあるはずの星達はまだ少し眠っているようで、ヒイロは目を凝らす。

「ごめんなさい、言葉、忘れてました……。……あそこ、夜になっても見えないんです、でも一つの惑星があって、そこに僕達の神様がいます。ヒノクニの人間は、皆スワの神を信じています!神様は奇跡を起こしてくれるから。……きっとそれと同じくらい、凄い力です!ヒイロ様も、本当に神様みたいだ」

「……神様……、私は、そんなんじゃない」

「?、違います?ヤマクイでは神の子は神様じゃないんですか?」

「神通力を得た烏を神の子と呼ぶだけで、奇跡を起こしたり……ヒノクニの、病を治すとか飢饉とか、そんな大それた事は出来ないし、皆信じたりとか、そんな凄い存在じゃない」

「……」

クスノキは少年烏の翼が小さく丸まっている事に気が付いた。引いたままの手を強く握ると、分かりました!とまた大きな声を一つ上げる。羽が少し膨らんだ事に笑った顔そのままに、細まっていた縦目と目を合わせた。

「神様じゃないけど、ジンツーリキ?はそれぐらい凄い力です!でも神様じゃなくて、だから……普通の、烏天狗の方として、聞きたいんですけど……」

クスノキはちらりと、家の方を見た。クスノキの声に驚いた使用人が二人ほど、二階の窓から庭を窺っている。

「……あの、さっき厨房で怒られたの、もう父様の耳に届いています……?」

「は?」

「父様の怒った声聞こえますか……?」

不安そうな少年に、嘘の音はなかった。呆気に取られたヒイロは思わず短い息を吐き、それから耳を傾ける。



『まずはイワツチの気候、気温など……惑星に関する事からお話します』

日が明け、苔と土が並ぶ朝食が終わった後。

一階の議場には国長とクスノキとミズキ、そして神職が二名並び、烏天狗三羽の前に薄い機械を置いた。平なそれは家のコンクリートとは違う、艶のある機械で、ミズキが別の板状の機械を操作すると薄青い液晶が宙に、そこには惑星の画像が映し出された。惑星の半分が雲で覆われており、もう半分は茶色と緑の地表が見える。

『今回訪問するのは、ヒノクニから太陽の向きに二千万キロほど離れた惑星、イワツチです。イワツチは大雨と日照りをくり返す惑星で、訪問の際には日照りの時間となっています。最高気温は百二十度ですが、これはヤマクイの雲の上、陽が一番当たる時間より涼しいくらいの気温になっていますので、気温は問題無いかと。……ただ、イワツチは我々が把握している惑星の中で一番気圧が高く、ヤマクイの山頂の一.二五倍あります』

『気圧が高いとどうなるのですか?』

『元々ヒノクニの倍の気圧で生きられる烏天狗であれば、そこまでにはならないかもしれませんが……人間では内臓への負担が大きくなり、体の内側が潰れます。同盟星の方を危険に晒す訳にはいきませんので、イワツチまでは大型宇宙船を、到着後は小型宇宙船で移動を行っていただきます』

大型宇宙船の画像、それから小型宇宙船の画像を映すと、烏天狗は目が回るような気持ちで次々変わりだすそれらを見つめる。ミズキも少し間を開け、それから説明を続けた。

『会合は宇宙船内部で、区画毎に気温気圧を調整して行う予定です。烏天狗の皆様は私共の区画、ヒノクニの環境で会合に参加いただく事になります』

次の話は、とミズキが目配せすると、待機していた神職の一人、白い鉱石が三つ施された首飾りを着けた背の高い女性が、腰まである長い髪を垂らして烏天狗へと頭を下げる。

『今回の惑星訪問を担当させていただく、神職のモクレンと申します。この度の訪問はイワツチの神に関する話になりますので、ここからは私から説明させていただきます』

声は柔らかく、しかしはっきりとしていた。

『今回の訪問はイワツチの神が住む惑星、フタヤマへ、族長様方をお連れする事が目的となります』

液晶に、イワツチとは別の白い惑星が映し出された。

『イワツチの信じる神、”フタヤマの神”はイワツチから約五十万キロ離れた惑星に住まい、イワツチの民を見守っておられます。惑星の名称は神の名をとってフタヤマの惑星と呼ばれています。惑星の存在自体はヒノクニでの千年以上前から確認され、神の奇跡も同様です。しかし……三百四十二年前より、大きな奇跡が確認されていないのです』

神、奇跡。馴染みの無い言葉に烏天狗達が頭を捻り始めたのに気が付いたのだろう、ミズキが一度説明を止めると、特に分からなくなっているだろうマツバとヒイロを見た星長が申し訳なさそうに聞いた。

『申し訳ない、話には聞いていましたが……他の惑星にも神がおられる、というのは本当の話なのですね』

人間達も質問を上手く呑み込めなかった。が、国長がええ、とようやく意味を掴んで話し始める。

『ヒノクニが交流している惑星は、ヤマクイを除いて四つ。四つ全ての惑星に、それぞれの信じる神がいるのです。もちろん、信仰も、奇跡の形も違います。しかし、どの民も皆神を信じているのです』

『その四つの内の一つが……フタヤマの惑星って事ですか?』

マツバが聞けば、追いついたミズキが付け加える。

『いえ、フタヤマの惑星は、イワツチの信じる神がおられる惑星です。神はその惑星に住まう事もあれば、別の惑星から見守ってくださっている事もあるのです。ヒノクニ、そしてイワツチの神は、民が住まう惑星とは別の惑星に神が住んでいます』

『なるほど。それで今回はイワツチへ、それからイワツチの神が住まう惑星に向かう、という事なのですね』

『はい。……ですが、フタヤマの惑星に足を踏み入れる事が出来るのは、イワツチの族長様と、宮司様のみです。宇宙船の操作に操縦士や私のみ同行しますが……、国長様と星長様方には、イワツチからこの祝いの儀を見届けていただきたいと』

『本来イワツチでは、神の住まう場所へ足を踏み入れる事すら悩んでおられましたから』

星長が頷くと、モクレンは次いでフタヤマの神の説明を始めた。神はフタヤマの中心とも言える植物を育み守る、虫の形をしていると。起こした奇跡を、歴史を辿りながら説明する。その後には移動用宇宙船の説明を、それらは食事と休憩を挟みながら一日中続いた。

夕食が終わる頃には烏天狗も皆疲れており、特にヒイロのいる部屋は一番最初に扉が閉まった。マツバは明日一羽になると思うとたまらなく心配になり、父の顔を見ようかと部屋を出る。すると丁度、ヒイロの部屋の前にいたクスノキと鉢合わせた。

『こん、ばんは』

『こんばんは!丁度今、星長様とマツバ様のに挨拶に行くところだったんです。今大丈夫ですか?』

マツバは頷き、一つ隣の扉を開ける。一羽と一人、予想外の訪問に星長は驚いていた。

『はじめまして。ヒイロ様の通訳に就かせていただいています、クスノキです』

『はじめまして。ヤマクイの星長、セイランと申します。こちらは息子のマツバ。挨拶が遅れて申し訳ない』

『いえ!僕の方こそ、遅くなってすいません。ヒイロ様には昨日挨拶させていただいたんですけれど、お二人に挨拶出来る場が見つからなくて……今日もとても忙しそうだったので』

『そうですね、今日は大分。……こうやって学ばさせていただけるだけでも有難い事なのですが、惑星の外がこれほどまで広いとは、思いもしませんでしたから。中々羽が回らないもので……ヒイロの通訳に就いていただけると聞いて、私も是非礼を言わねばと思っていました。……何かと、大変じゃないでしょうか』

マツバがちらと壁を見た。気が付かなかったクスノキは、大きく首を振る。

『全然!楽しいです!』

えっ、と振り向きざまに驚いたマツバを見て、クスノキもまた、えっ、と驚いた。

『……あっ、あの、ヤマクイの言葉もちゃんと喋れるようになりたくて、通訳なんですけれど……偶にヤマクイの言葉で話してもらってるんです。あの、もしかして迷惑でした……?』

『い、や……そういうのは聞いてないけど……』

『はは、ヒノクニの次期国長殿に我が惑星にそれほどまで興味を持っていただけるとは、光栄な限りですよ。クスノキ様が国長になられる頃には私ももう引退しているでしょうが、何卒よろしくお願いしたい』

『次期、と言われると、少し緊張してしまいます……、でも胸を張れるよう、一生懸命頑張るつもりです!ヤマクイでは、マツバ様が次期星長様になられるんですか?』

いや、と首を振ったマツバは、ヒノクニに到着してからは一番、楽しそうに手を振るのだ。

『星長になるのは、僕の兄さんなんです。兄さんは僕よりヒノクニの言葉を理解しているし、いつも前線で指揮を執って、遠征の話も一番に進めてるし、一番ヤマクイの事を考えていて、』

少し前のめりになり始めた少年烏を父が窘めれば、クスノキは楽しそうに笑った。

『申し訳ない』

『いえ、ふふ。それだけ凄い方といつか惑星のお話をするのかと思うと、楽しみです!あっ、指揮って言われてましたけど……、テツギを退治する時の、ですか?星長様の家系が隊の中心を担っている?、とお聞きしましたけれど』

『そう!中心というか、隊長とか、最前線で戦う事が多かったんだ。けど、兄さんは今までの家系の中でも一番全体を見渡して指揮を執るのが上手いんです!僕とか、父上も昔は前線で戦う事ばっかりで、指揮とかは全然出来なくて……』

『マツバ、私の事まで言わなくていい』

星長様もテツギの退治に参加されていたんですか、と驚かれると、照れくささを払うように星長は首を振る。

『昔の事ですよ。ヤマクイでは生きる為、刀を握り翼を舞わせますから。とはいえ、老いた今ではとても。……しかしこの子の言う通り、次期星長になるアオイは、身内が言うのも何ですが優れた子でして。クスノキ殿と二羽、きっと良い交流が出来るかと思うと、今から楽しみです』

この前も、と兄の自慢を始めようとしたマツバをまた諫めようと星長が咳を一つ漏らしたが、あまりに興味を持ったクスノキとの会話を止める事は出来ず、時折頷いたり相槌をしては、子供たちを持て余す事しか出来なかった。

壁一つ向こうでは、ヤマクイにいた時よりうるさいと、溜息が吐かれていた。

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