5話:ルシャールの哲学

「……あーあつまんないの」

誰も口を開かずアランの絶叫だけが響く路地裏の前に、リナーシャの能天気な台詞が響く。その場の全ての目線がリナーシャと、その隣にいるオスタルに向けられる。オスタルは呆れ顔でリナーシャを見ており、一方リナーシャはどこ吹く風と言わんばかりその場を去ろうとしていた。

「おいお前、怪我人が出てるんだぞ!つまんないってなんだ!」

露天商の一人が激怒し、その場を去ろうとするリナーシャの肩を掴む。と同時に自分の首に違和感を覚えた。その違和感の正体はすぐに分かった。リナーシャの左手にはいつの間にか巨大なサイスが握られており、そのサイスの刃先が露天商の首の後ろに当てられていた。もしリナーシャが少しでもサイスを引けば、露天商の首は落ちるだろう。

「気安く触らないでくれるかなぁ……おっさん」

そしてリナーシャは露天商の方を振り向いた。その目には先ほどのラプーム同様、いやそれ以上の殺意のこもったサファイア色の狂気があった。

「私はルシャールの乙女の一人リナーシャ。神官でありながら神を否定する者、だよ」

神官でありながら神を否定する者。それは神職に就くものとしてあってはならない存在。しかしリナーシャは神がいなくても、人間は強く繫栄していくことが出来ると信じている。人間を信奉する者だ。だからこそアランが悪であるラプームを倒し損ねたこと。負けた挙句、ギャーギャー痛みに悶絶していることが許せない。

アキレス腱を切られた?もう一本の足は何のためにある?とっととその足と腕を使って、路地裏に飛び込み、あのゴミを追ってぶちのめしてこいと言いたい。そんな心情をそっとしまい込み漏れたのが、あの「……あーあつまんないの」という言葉であった。

それを察していたオスタルはため息を一つつき、リナーシャの許に歩み寄った。

「皆さんルシャールの乙女の一人オスタルです。どうか私に免じて彼女の失言は流してくれませんか?それにアランさん……彼を医者に連れて行かないと失血死しちゃいますよ」

前半は明るく、後半は少し早口で訴えかける。

するとああそうだなと野次馬の若者の一人だ言い、アランの許に駆け寄る。それから3人ほどアランの許に駆け寄り、担ぐ形でアランを医者に連れて行く。それと同時に露天商たちも散り散りになり、自身の店に戻っていく。

オスタルはごめんなさいと何度も頭を下げ、露天商たちを見送った。一方、リナーシャはバツが悪そうにオスタルを見ているのであった。

「なんかごめん」

野次馬と露天商が去った路地裏の前でリナーシャが呟く。オスタルは気にした風もなく、いいのいいのと軽く返した。だって私は……

「ルシャールの乙女の一人オスタル。静謐を照らす者だから」

静謐。それは静かで安らかなこと、そして世の中が穏やかに治まることを意味する。オスタルにとってそれは1人の犠牲によって残りの999人が幸せになる世界。傷つくのは全て他人。犠牲無くして静謐はない。

だからラプームの件はブロンドの女性が、リナーシャの件はオスタルが犠牲になることで安寧が齎される。それがルシャールの乙女の一人オスタルの哲学であった。

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