第23話 暗殺依頼、お断りします
「ハァ……ハァ……ッ!」
ユンデ卿の屋敷……二階建てほどの高さの壁には、うむを言わさぬ威圧感があった。うわさでは庭がとくにすごいらしい……
「い、入り口は……どこ、だろう……ハァ」
近くまできたのは初めてだ。道にそって走ってきたものの、パッと見ただけではどこから入ればいいのかわからない。
さすが『町いちばんの広さ』と言われるだけあるな、と思った。
だけど……こんなに壁が高いのはなぜだろう?
誰かが入ってこないようにって理屈はわかるけど、まるで砦みたいに――
いや、今はどこから入るのかが一番大事だ。
「あっちを……曲がった……ところかな……」
壁にそって歩くにつれて、息も整っていく。
いまや太陽は壁に隠れて見えないほど沈み、反対の方角から星が見えはじめていた。
「星か……」
エルミーナさんは町を出てくれただろうか?
あの人の瞳が、美しく強くかがやきつづけますように……
迷いはない。
やさしい風、草のさざめき……すべてが背中を押してくれているようにさえ思える。
「あっ」
角を曲がり、門とともに黒ずくめの人物が立っているのが見えた。
「ル・ハイドさん……?」
偶然だろうか。そうつぶやくのと同時にこっちと目が合った。表情から読みとれるものはなにもない。
初めて会ったときから怖かった。今はもっと怖いけど、恐怖を乗り越える力がある。
堂々と『悪い報告』をしよう。
「来たか、青年……」
「……報告があります。ユンデ卿に会わせてください」
彼はなにも言わずに敷地の中へと案内してくれた。
「広いな……」
正面奥に見える屋敷は特別おおきいものではなかった。壁に囲まれた土地の多くは、雑草だらけの無骨な地面と倉庫のような建物で占められている。
花や木がたくさん、規則正しく……なんて想像とはずいぶん違った。
特に目を引いたのは、吹きさらしになっている倉庫だった。
置かれているのは大砲、投石器、それに匹敵するほど大型の……石弓?
「なんだか武器庫みたいだ」
「……あながち間違いではないな」
「え?」
どういう意味だろうと尋ねても返答はなかった。
ル・ハイドさんが歩くさきは屋敷ではなく、ひとつ手前の保管庫だった。
「ユンデ卿……青年が来た」
「おお、待っていたぞ」
収集品をながめていたらしきユンデ卿は、『良い報告』を期待してか声がはずむ。
「聞かせてもらおうか。どのように仕留めた? 剣か、弓か?」
いよいよ報告のときがきた。心臓が大きく脈打つ。
「ユンデ卿……」
「はやく、はやく申せ!」
「申しわけありません。暗殺依頼は……なかったことにしていただきたく存じます」
「……なんだと?」
「尊敬される人間になり、父の汚名をすすぎたい気持ちは変わりません。ですが……いえ、だからこそ……彼女を手にかけるわけにはいきません」
「トーマスくん……ダグラスの仇討ちと出世が同時にかなうのだぞ? これ以上の機会があると思うのか?」
「……『仇』はもういません」
「仇の子は仇でない、と」
「その通りです」
「ふん……きれいごとを」
ユンデ卿は大きくため息をついた。
「出世のほうもフイにするか」
「はい。いつか自分の力で……あなたの力を借りずにやりとげてみせます」
「これほど頼んでもやらぬのだな?」
「いかに卿の頼みといえど……聞けません!」
できるかぎりの誠意をしめすため、地面に両手をついて頭を下げた。これくらいで許してもらえるとは思わないけど――
「やれやれ。君の父には借りがあるゆえ、便宜を図ろうかと思ったが……仕方ない。ル・ハイド、そやつを殺せ」
え?
「断る」
「……貴様もワシに逆らう気か」
「俺の狙いはアンナ・ルル・ド・エルミタージュの命ただひとつ。無関係の指示にしたがうつもりはない」
「つまらぬ理屈を……それでダグラスに義理をたてたつもりか」
「好きにとれ」
「ま、待ってください!」
僕を殺すと言った?
それにアンナ・ルル・ド・エルミタージュって、まさか――
ぜんぶ聞き違いだったら。はかない希望にすがって尋ねた。
「僕が手にかけようとしたのは……女王様だったんですか!? 女王様を消せとおっしゃっていたのですか!?」
「そうだ」
ル・ハイドさんが淡々と即答した。
頭の中がぐるぐるする――
「なんで……なんで……!」
「トーマスくん」
背を向けて言ったユンデ卿の声は、棚に両手をついてうなだれた。
「二十年前、われわれは一度しくじっていてね……そのとき、名誉とひきかえに救ってくれたのが君の父親なんだよ」
「……だったら僕の『仇』はあなたじゃないですか!?」
「ハハハハ! なにを言う。あやつの失墜は法の裁きによるもの。その根源たる当時の女王こそが真の『仇』……違うかな?」
「違う! 絶対に違う!」
許せない!!
この自分勝手な老人を組み伏せようと飛びかかった……そのとき。
卿が振りむきざまに、いつの間にか手にした石弓を――
「ぐぁ……っ!」
肩が糸でピンと引っ張られたような感覚とともに、僕の体はあおむけに倒された……背中が地面を認識した直後、火のついたような痛みが襲った。
「あ……く……っ……うぅ! ううぅぅ!!」
「誰かを消せという依頼……『断れば消される』とは思わなかったのかね?」
「そ……そんなっ!」
「残念だよ。君をこの手で殺さねばならんとは」
「ル・ハイド……さん……」
助けを求めても、返事はない。
「ハァッ……ハァッ……!」
体をいくらよじっても、痛みがどこかへ飛んでいってくれないどころかどんどん強くなる!
全身が熱い! どうしようもなく痛い、熱い、痛い!
「石弓とはすばらしい武器だな。剣や弓とちがって力をこめずに済む……いくらか気が楽というものだ」
こんな恐ろしい人たちだったなんて!
「む……弦を引くにはかなり力がいるな……」
エルミーナさん!
「……うむ。よし、できたぞ……待たせたな。お別れのときだ、トーマスくん」
どうか無事で――
『落ちよ、星剣!』
轟音、そしてなにかが砕ける音。体中が突風にさらされるような感覚。
命が散るってこういうものなのかな――
と、思ったものの……痛みが消えない。つまり、まだ生きている?
うっすらを目をあけても、土煙でなにも見えない。
灰色の世界のなかでル・ハイドさんの声がひびいた。
「来たな……アンナ・ルル・ド・エルミタージュ……!!」
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