第22話 つかの間の幸せ

 人のいないところで食べようと誘い、少し歩いて空き地にたどりついた。

 二人きりに……なんて気持ちはあった。でもそれ以上にやるべきことがある。近くに他人がいるとちょっと困る。


「このあたりで食べましょうか」

「はい。それでは……いただきます。はむっ」

「!」


 エルミーナさんのイモを食べる姿に思わず見入ってしまった。

 頬を膨らませずに、少しずつ口にいれてよく噛む。音は……ぜんぜんしない。静かで優しい、そんな食事だと思った。

 口って、あんなふうに動かせるものなのか……


 不意に、あたたかいものがじわりと指に触れた。


「あちちっ」


 塩味のたれが指にたれてきたんだ……舐めとってからふと思った。

 今のを彼女が見ていたらどう思うだろう。と、これまで行儀作法を学んでこなかったことを悔いた。




 考えて気がついた。今、僕は彼女のことを『良家で生まれ育った人』だと思っている。いっぽう、ユンデ卿からは『父の仇の娘』としか聞いていない。


 相手を知るための一歩……会話の糸口。

 なんのために会いたいと願ったのか。もっと知りたいと思ったからだ。

 気合を入れるようにイモをほおぼって飲みこむ。


 さあ話しかけろ、トーマス!


「エルミーナさんはどこの出身ですか? 僕はずっとこのあたりでして」


 僕のことは聞いてないと思うぞ、トーマス!


「私は……ハイナリア城下町です、おほほほ」

「女王陛下のおひざもとですか!」

「ええ、私も生まれた地域からなかなか離れられず……この旅が初めての遠出なんです」

「そうなんですか……ひとり旅でないとはいえ、いろいろな苦労があるのでは。今まででいちばん困ったことってなんですか?」


 一瞬、エルミーナさんの目がするどく光った気がした。


 やってしまった!

 話をはずませるなら楽しいことを聞いたほうが! ああっ僕のバカっ!


「……ひとつは、お金です。もし自分だけで旅立っていたら、すぐに窮してしまったでしょう」

「今、お金の工面はどんなふうに?」

「芸に秀でた連れがおりまして、頼らせてもらっています。私がもっとも尊敬する……自慢の仲間なんですよ」


 そう語る表情がとてもまぶしくて、楽しそうで……なぜだか負けたくない気持ちがわいてしまった。


「芸だったら、僕もちょっとできるかな! なんて……」

「まあ……そうなのですか?」

「そうなんですよ!」

「ぜひ見せていただけますか?」

「え?」





 背筋につめたい汗がながれる。思わず勢いで言ったものの、人からお金をとれる芸なんてできない。

 僕の取りえといえば、父さんゆずりの体力だけだ。

 けれども期待に満ちた目をむけられると……なんでもいいからやるしかない!


 胸をこぶしで軽くたたき、覚悟を決めて宣言した。


「ダグラスの息子、トーマス! 口笛をふきます!」




『フ~……』




 鳴らない。甘いしびれが口の中であやしくうごめく……!

 エルミーナさんの視線が僕ひとりに注がれている……そう認識している限り、くちびると舌をうまく動かせない!


 も、もう一度だ。と、目を閉じたとき。


「くすっ……ふふ」


 心臓がドカンとゆれる。拍子に目をあけると……口もとを指で隠しつつ笑う少女がいた。


「すみません、なんだかおかしくて……ふふふ」

「いえこちらこそ失敗してしまって! 見ててくださいね、今度こそ鳴らしますから!」


 また笑ってくれた。もしかしてすごくいい感じなのでは?

 しびれがそのまま力になり、感覚がとぎすまされてゆく。


『ピィー……ピピーピッピー』


 広くて建物がないせいか、口笛の音がよくとおる。今までで一番うまく吹けた気がした。

 次に鳴ったのはエルミーナさんの拍手だった。


「すごいですね!」

「それほどでも……えへへ」

「練習をしたら私にもできるでしょうか?」

「もちろんですよ。エルミーナさんならできます。ちょっとコツがあって――」


 自分でもおどろくほど自然に、口笛の吹きかたを教える流れになった。

 しばしの練習、そして――




『ピィー……』


「わ! 鳴りましたよ、さすがのみこみが早い!」

「トーマスさんがていねいに教えてくださったからですっ!」


 二人で喜びあうのは、なんて素敵な時間なんだろう。

 自分の技術が彼女へと伝わる……そう言うにはささやかな出来事だけど、目頭と胸が熱くなった。


 もし明日もこんなひとときを過ごせたら――




 明日。





『いつになったらやるべきことをやるのだ?』


 ふと頭の中によぎった使命感が、あたたかさを急速に奪っていく。思考がふたたび迷いはじめた。

 もっと相手を知るべき? ただ近づきたかっただけじゃないのか?


『今が好機』

『やりたくない』





 動けない。何もできない。だから、すがるような気持ちで問いかけた。


「エルミーナさん……ひとつ大事なことを聞かせてください」

「……はい」


 やるかやらないか……どちらでもいい。背中を押してほしい!


「どうしても成しとげなければならないことがあって……でも自分はそれをやりたくない……あなたなら、どうしますか?」


「自分のやりたいように、成すべきことをなします」

「……っ! 即答ですか」


「まさに今、そうしていますから」


 彼女はいたずらっぽくほほえんだ。


「トーマスさん……あなたが成しとげたいことはなんですか?」

「僕は……」


 立派になって……父さんの汚名を晴らす。それが僕の――




「もしどうしても……どうしても。望まぬ方法でしか使命を果たせなくなったなら……私は心を殺し、使命を選ぶでしょう」




 エルミーナさん。あなたは――


「あなたはすごい人だ……」


 成すべきこと。

 やりたいこと。

 やりたくないこと。


 ああ……なんだ。ぜんぶ満たせるじゃないか。

 彼女の言葉によって胸にともった炎のようなものを、きっと覚悟と呼ぶのだろう。

 足りないものが埋まった。




「エルミーナさん。何も言わずに、すぐ町を出発してください」




 ユンデ卿の依頼を断る。推薦の話はなくなる。だから、他の方法で名を成す。


「あなたと話せて本当によかった……どうかお元気で!」


 返事を聞くまえに走り出す。




 振りきるように角を曲がり、ひたすら駆ける。

 道ゆく人々に何度もぶつかりそうになっても力の限り走った。




 ちらりと空を見上げると、夕焼けで赤く染まりはじめていた。

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