第21話 これは恋だと青年は悟った

 目が合った!? 気づかれた!?


「ハッ……ア……ぅ……」


 立ちあがろうとしても脚は震え、手は土をかくばかり。

 息ができない! 胸が苦しい!


 あ、そうだ……逃げ――逃げないと。


 


「――おい。――おい」




 誰?


「いつまでのたうち回っている、青年?」

「え……あ、ル・ハイドさん?」


 声をかけられて、じょじょに意識が、体が、『自分』に戻っていく。

 手足と感覚がつながって、なんとか膝で立つことができた。


 彼が立っている場所は、さっきと同じ。崖から離れたところにいる。たぶん……そこからまったく動いていない。

 だから、彼女と目が合ってしまったことは知らないはずだ。


 あ……『彼女』だなんて。心の中とはいえ気安いような、恥ずかしいような……心臓がきゅっとなった。




「えっと、そのぅ……」


 そうだ、『あの人』なら! まだ名前も知らないのだし、失礼にならないはずだ。

 名前か……なんて名前なんだろう?


「射線にジャマが入ってしまって……ここはいったん仕切りなおすべき、と」


 離れていても僕には見えた。星のまたたきのような瞳が。あんな目は生まれて初めて見た。

 どんな家族と、どんなところで育ったのかな?


「とすると、どうする。やつらは町に――」

「町……」


 町へは何をしに行くのだろう? それとも、どこかへ行く途中? 一泊はしていくんだろうな。


「――弓の腕がどれほどかは知らぬが、大衆環境で――」

「知る……」


 もっと相手のことを知るべきだ。知らないまま射るなんて礼を失するというもの。これは動物を相手にした『狩り』とは違うのだから。

 

「――よって、接近して仕留めるほうがよかろう」

「接近……」


 もしあの人に近づいて、あの目をもう一度むけられたら……僕はどうなってしまうのだろう。




 疑う余地はなかった。

 経験したことはない。だけど、本能で理解した。




 これは――恋だ。


 僕は、あの人を好きになってしまったんだ。




「そうだ、追いかけよう!」

「――ふむ。その執念……おもしろい。やつが町から出るまでに終わらせろ。さもなくば失敗とみなす」

「……はい!」


 残された時間は少ない。急ごう!






「とはいっても……ハァ……」


 町に追いかけてきたはいいものの、どこにいるかがわからない。

 目をこらし、行き交う人たちを見渡してみても――


「あっ、あれはもしかして――!」


 と、反応しかけては違った……そんなことをくりかえすばかり。でもあきらめるもんか。

 気合をいれなおしたそのとき。


『グゥ~~』


「あ……」


 僕のおなかが大きく鳴る。そういえば起きてから何も食べてない。自覚するとますます空腹感が強くなってきた。


「うぅ……さすがに何か食べないとだめか」


 あの人の前でこんな醜態をさらしたら、恥ずかしいこと極まりない。

 日はまだまだ高い。大通りの屋台が営業しているはずだ、そこへ行こう。







「さあさあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい! お代は観てのお帰りやでー!」


 屋台からただよう香ばしいにおい……とは少しずれたところに人だかりができていた。背伸びしてのぞいてみると、女性の旅芸人のようだ。

 両手に扇子をもって舞う姿は、芸術にうとい僕からしてもみごとなもので、しばし空腹も忘れて見入ってしまった。


「はいはい~おひねり~おひねり~」


 メイド服を着た女の人が、観客から小銭を回収してまわっている。どうやら同行者のようだ。


 そしてこっちに来た。にこやかな表情で、小銭をいれるお皿を持っている。

 懐によゆうがあれば銅貨の一つあげたいくらい……なのだけど、今はちょっと厳しい。


 すみません、といった顔をすると向こうもわかってくれたみたいで、隣の人へとうつっていった。




 あぶなかった。

 ふたりともすごくきれいで、魅力的な人だった。いつもの僕だったら気持ちで負けて、食事代をけずってでも払ってしまったと思う。


 そうならなかったのは、きっと――


 あの人に劣っていると言いたいわけではないんです。ただ、ちょっと巡り合わせがわるいだけなんです。

 もうしわけありません!


 おひねりをもらって回っている二人に、心のなかで謝りながら頭を下げた。

 どこかで見た覚えがある人だし、また見る機会もあるはず。

 次はちゃんと用意しますから!




『グゥ~~~~』


 僕はさっきから何を考えているんだ? お腹を満たさなくては、頭も回らなくなってくる。

 屋台……屋台に行かなきゃ。

 近くでクスクスと笑い声が聞こえたような気がした。






 ああ、食欲をそそるにおいの源! イモの塩だれ焼き!

 日ごろの稼ぎからするとちょっとぜいたく。だけど大事な用をこなす前となれば、食べる理由には十分だ。


 昨日もらった賃金があるし――




 あれ?


「ああああああっ!?」




 財布がない!?


 必死にこれまでの行動を思い起こす……


 頭をかかえた。

 朝あわてて出ていったから、持っていくのを忘れたんだ!


 もどって取ってくる?

 でも、時間が……いや、でも……

 全身がどんどんと沈んでいくような感覚……




 そのとき。




「おひとついただけますか?」

「はいよ、まいどあり!」


「はい、どうぞ。お食べになってください」

「え?」

「差し出がましいとは思いますが、お困りのようでしたので」


「いいのです……か?」




 言われるがまま、ほかほかのイモ焼きを手渡される。

 同時にやってきた衝撃は、雷でもかなわないだろう。


 窮地を救ってくれたのは『あの人』だったからだ!


 両手は頭にあったわけで、イモを渡すにはまず腕をとってって、手って!?

 触れた?

 あの人のほうから?


 おそるおそる顔をあげると、僕の心を射抜いた、あの瞳が……僕を見ていた。慈しむような優しい光とともに。


 もはやイモより自分の体のほうが熱い。

 恥ずかしいところを見せた感情よりも、会えた喜びのほうが勝った。




「ははははじめまして! 僕、トーマスといいます!」

「まあ。ご丁寧にありがとうございます、私はエルミーナと申します」


「あ……こちらこそ、これ……ありがとうございます。エ、エ、エ、エ、エ――」


 がんばれ! がんばれ! トーマス!


「エルミーナ……さん……」

「どういたしまして。ふふっ」


 あ……笑っ――


「これ! すごくおいしいので……自分だけ食べるのもなんだか申しわけないような!」


 とにかく、とにかく一緒にいられるようにしなきゃ!


「はんぶんこして、どこかで食べませんかっ!?」

「まあ、はんぶんこ! 素敵なご提案ですね」





 わが人生に悔いなし……心から、そう思った。

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