第三章 水車の町と先代女王
第12話 水車と町と商売と
轟音の中、女王はめいいっぱいに上を向きながら驚嘆の声をあげた。
「なんて大きい! これが噂にきくメルルバルの水車っ!」
「そうや! この町に来たら、見ておかんと損やでえ!」
「こうして目の前で回っているのに! 水車だと知っているのに! 現実なのかと思えるほど……大きいですねっ!」
以前メルルバルの町を訪れたことがある、とヒノカが言うので案内してもらっている。
どんなところなのか尋ねてみても『見てのお楽しみ』と、なかなか教えてくれなかったのも納得だ。
名物の巨大水車は、たとえば伯爵の城がすっぽり入ってしまうのでは、と思うほどだった。
垂直に流れる滝の力をうけ、ざあざあ、ごうごうと唸りをあげて回り続ける。自然と人工の共演は目と耳だけでなく、肌にも存在を感じさせた。
城で読んだ書物によれば、メルルバルと水車には二百年以上の歴史があるという。
その間ずっと回りつづけてきた、人々の暮らしを守る『大先輩』。一歩すすんで軽く膝をつき、あらためてその雄姿を心に刻む。
「これからも、どうか私たちを見守ってください……」
「―嬢―まっ、そろ―――き―んか?」
ルネがなにやら話しかけてきたが、日ごろから控えめな声でこの音の中では聞き取りにくい……おそらく『そろそろ行きませんか』と言っているのだろう。
もう一度、水車に軽く礼をしてその場を後にした。
水車から離れ、町の中心部までやってきた。
赤い屋根に白塗りの壁、見た目にも華やかな建物がずらり、きれいに並んでいる。これらのほとんどが商店と工房、そして宿屋らしい。
大通りを見渡せば、露天商もそこら中にいる。ある者は手をたたき、ある者は品物をかかげて売りこむ。
城下町や競馬場とは違う、太陽熱のような活気にあふれる町だ。
「……いやあすごい音でしたー。お嬢さまとヒノさん、わたしの声、聞こえますかー?」
「聞こえてますよ。うふふ」
「んー、なんだかまだ耳の中で音がしてる気がしちゃいますよ」
「ウチは一年ぶりやけど、あいかわらず腹の底まで響くなあ。ようし、気合は充分や。始めよか!」
やや人の少ない一点に目をつけ、袖に手を引っ込めゴソゴソし始めたヒノカ。これは彼女が芸を始める準備だ。
観光名所……訪れた人々が気前よくお金を使う地域。つまり旅芸人にとっては良い『稼ぎ場』である。
『ここやと思ったらすぐにやる』のがコツ、とのこと。
ヒノカは取りだした横笛に口をあてると、小気味のいい音色を鳴らしはじめた。
「さあさあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい! お代は観てのお帰りやでー!」
まずは道ゆく人々の注目を集める。喧騒に負けてはいられないと、大きくも澄んだ声を響かせた。
何人かが立ち止まったのを見計らい、笛を口にくわえたまま、両袖から扇を取りだして踊りをはじめる。
長い袖が、つむじ風にのって舞う花びらのように美しくたなびき……ヒノカの周囲に人だかりができていった。
この間、笛の音色も絶やさない。
口だけで器用に、簡素で覚えやすい旋律をくりかえし続ける。
踊りに一区切りがついた瞬間、扇をパチンと閉じる……すると先端から大量の紙吹雪が吹きあがった。
「おお!」
人々が見とれて感嘆の声をあげる。
視線がヒノカのほうへ戻るのを見計らい、再び扇を勢いよく開く。するとどうだろう、先ほどは真っ白だった扇が、鮮やかな朱色に変わっていた。
再開した踊りは、うってかわって直線的な振り付けと、情熱的な音調で魅了する。
ところどころで印象的な『見栄』をきって静止……しつつ扇を開閉、そのたびに青・黄・緑・紫――と色が変わって民衆の目を飽きさせない。
旅芸人ヒノカの舞台は盛況のなかで幕を閉じた。
惜しみない拍手とおひねりが送られ、子供たちが目を輝かせて彼女との握手を求めた。
女王はあいさつして回る友人に気づかれないよう、そっと銀貨が入った袋を地面に置いた。
賞賛するひとりとして、少しでも気持ちを表現したかったからだ。
「いやあ、すばらしい! すばらしかったよキミ!」
身なりの良い痩せ身の青年が手をたたきながら声をかけてきた。
「さぞ懐も重たくなっただろうねえ」
「……どうも、おおきに」
「……ではそこにいるお連れの美しいお嬢さん! お近づきのしるしにこれを受けとってくれたまえ」
青年はくるりと女王のほうを向くと、小さなブローチを手渡してきた。
「まあ、これをいただけるのですか?」
「なかなかいい品だろう? あそこにあるボクの店、陶磁器を取りあつかってるんだけど……もっと美しくて価値のある品がたくさんあるよ! さあこっちにおいで。まずは中に入って話を――」
早口でまくしたてながら背中に手を添え、わずかに押してくる。一見親しげなものの、客を引き入れるにはやや強引な印象を受けた。
誘導しようとする方角には、ひときわ目立つ新築とおぼしき大きな建物があった。
「せっかくのお誘いですが、持ち歩くには少々かさんでしまいますし……」
「小さくてかわいらしいのも揃えているよ。その手の中のブローチが何よりの証拠、さあ行こう」
「いえ、その……困りましたね」
「待った!」
ヒノカが割って入ってきてくれた。彼女の後ろにひかえていよう。ここは任せたほうがよさそうだ。
「あんちゃん、ちょっとしつこいんとちゃう?」
「まさか! まっとうなお誘いだよ? お疲れだろうけどキミもおいで。その美しさをいっそう引きたてるものを見つくろってあげよう」
「お断りや」
両手を突きだして拒否を示した。青年は一瞬、眉をひそめたが、すぐに笑顔を取り繕ってヒノカの腕をつかんだ。
「そう言わずに中へ、さあさあ、中へ!」
腕をひっぱった拍子に、彼女の袖からガチャリと小瓶がいくつかこぼれ落ちた。
「おっと……あっ!?」
小瓶からこぼれたのは鮮やかな色の液体だった。
蓋が取れてしまったらしく、青年の服にも飛び散って、極彩色のしぶき模様を作っていた。
「ああああああああ!! ぼ、ボクの服が!」
「おっとっと、芸人の袖にはいろいろなモンが入ってるさかい、気ぃつけや」
ヒノカは悪びれることなく小瓶を拾っていく。
「コイツはウチ特性の染料や。早く洗わんと一生かかっても色がとれへんで」
「冗談じゃないよ! ちくしょう、おぼえてろよ!」
染まってしまった部分をかばってガニ股になりながらも、青年はバタバタと足を動かして走り去っていった。
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