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「そう言うなよ」


 玲芽は微動だにせず、ただ伸びてきた水の手を注視する。

 その瞬間、水の手は前進を辞めその身を氷に変えてしまう。


「な──‬!?」


 その凍結は使い手の男が行ったものではなく、玲芽が視線に魔力を注いでいた。同じ水氷使いであれば、敵の作った水を凍らせる事は決して高度な技術ではない。が、それを視線のみで行うのは、ある程度の手練れでなければできない。

 玲芽は己の魔力に包まれた氷の腕をもう一度注視し、最も簡単に砕く。格の違いを見せつけられた様な気分になったのか、水使いの男は歯を食い縛って玲芽の方を睨みつける。


(上手くいって良かった……。義母さんと修練を積んだ成果が出たな)


 玲芽は周囲に悟られぬよう心の内だけで安心する。笑えるようにはなったが、玲芽の表情に乏しいという点は未だ残っている。それが良い方に働いた。

 実際には敵の男と玲芽の間に格の差などはなく、寧ろ敵の方が玲芽よりも上である可能性が高い。玲芽が水の腕を凍結させる事に成功したのは、同じ水氷使いとの戦闘訓練の賜物に他ならない。


「良治、ここは聞きましょう? あの坊やはね、こういうので墓穴を掘るタイプだから。大地も聞きなさい」

「ああ、そうしよう」

「チッ──‬」


 志乃が男二人を説得し、一旦戦闘から会話に状況が変わる。


(前に会話で墓穴を掘ったのは事実。気をつけないと)


「話が早くて助かる。訊きたい事というのは、お前達の依頼主についてだ」

「依頼主ぃ? んなもん喋れるわけねーだろ!?」


 水使い、良治が玲芽の言葉に食ってかかる。先程水の腕を凍らされて熱くなってしまっているのか、他の二人と違いいつ仕掛けてくるか判らない状態だ。


「お前達の狙いは俺の魔核と同時に、俺の生命でもある。後者の依頼主についてを訊きたいんだ。何しろ俺は出不精でな、外にあまり交流を持たない。自然とそいつに心当たりが生まれてくるわけだが……」


 良治の噛みつきを無視して、会話を続ける。


「そんなの、貴方のお仲間が自分の手を汚さず貴方を殺したいと思っているだけかも知れないわよ? マガツメなんて存在、魔術士から見ても危険だもの」

「揺さぶりなのか知らないが、俺はお前達の言葉よりも俺の経験を信じる。俺の仲間に、俺を売るような『人間』はいない」


 長い時間を共にした魔術士達を敢えて『人間』と言い表し、玲芽は志乃の挑発を凛とした表情で否定する。


「生意気……ッ」


 玲芽に動揺が見られない事に苛立ってか、志乃が舌打ちを交えてそう吐き捨てる。

 が、すぐに歯噛みしていた口元は三日月状に釣り上がり「くふふ……」と特徴的な笑い声を上げる。


「…………」


 その聞き覚えのある笑い声に黙しつつ、玲芽は警戒を解かず後方にも気を配る。


「いいわ。教えてあげる。貴方が当たりをつけた依頼主は…………」


 言って、志乃は暗幕の様にその顔を隠していた前髪を掻き分け、素顔を玲芽に見せる。


「なっ──‬──‬!」


 玲芽は目を見開き、その素顔に釘付けになってしまう。


「こんな顔じゃなかったかしら?」


 何故ならその容貌が、彼がかつて“お姉ちゃん”と慕っていた女性と瓜二つであったのだから。


「ふふ、まさか私とその依頼主が同一人物だとは思っていなかったみたいね。くふふ……。貴方を棄てた後の人生は散々だったわ。あの男に弱みを握られた私は昼も夜も関係なく、この身体を弄ばれて……。そうなった私が生きていくには、この道しかなかった。皮肉なものよね、自分を台無しにしてまで嫌った魔術というものに縋りつくしかないだなんて」


 自嘲気味に志乃──‬玲芽の記憶に拠れば飯田と呼ばれていたその女性──‬は笑い、玲芽と視線を交差させる。


「そんな……!」


 玲芽は動揺からか後方に創造した氷壁の守りを解除してしまう。


「魔核狩りとしてこのチームで動き始めて少しした頃、偶然この辺りを歩くお前を見て身体の震えが止まらなかったわ。万が一生きていたとしても、外に出られるような精神は持ち合わせていないと安心していたの。だけどお前は私の前に現れた。きっといつか私に凶刃を振り下ろしに来ると思うと、排除せずにはいられなかったのよ! だから──‬大地! 今よ!!」


 飯田が弱気に震わせていた声を一変、荒々しく叫んで玲芽を挟む位置にいる大地へと攻撃の指示を飛ばす。

 後方から魔力の起こりを感じ取る。隠す気のないその魔力量から放たれる魔術は、咄嗟の防御では到底防ぐ事など叶わない。


「しまっ──‬いや、もういいか」


 玲芽は至って冷静に再び氷の壁を創り出し、飛来する無数の岩の礫や刃を防ぎきる。


「氷楔ッ!!」


 更にお返しと言わんばかりに二〇本の氷楔を創造し、広範囲に放出する。

 散弾の如く面攻撃を仕掛けた氷の楔だったが、少し遠い間合いを前後十本ずつでは細かな範囲をカバーしきれない。飯田は雷速の移動で回避し、良治は上方へ跳び、大地は岩の壁で真正面から打ち落とす。


(やはり魔術のレベルと動きでは俺が劣るか……だが!)


「見かけによらず役者じゃねえか! けどよ……数的にも個人の戦力的にも、俺達の有利には違いねぇんだよ!!」


 良治が空中に氷の床を創って足場にし、そこから跳んで玲芽に奇襲を仕掛ける。その右腕には再び水を纏っており、槍を思わせる先端が玲芽の眉間に迫る。


(力でも技でも負けていても、精神と策と──‬何より仲間の心強さでは、絶対に負けない!)


 水の槍が自分と数十センチの距離になっても、玲芽は防御を展開しようとしない。ただ赤と黒の双眸でその男を見つめるだけ。


「させないよっと」


 不意に横から黒の一本線が現れ、水の槍を縦断して斬り落とす。

 拍子の抜ける様な自然体の声色で良治の攻撃から玲芽を守ったのは、立華甘音。戦闘用の衣装に身を包んだ彼女は、そのまま玲芽と良治の間に割って入り、振り下ろした愛刀をそのまま斬り上げようと柄に両手を添える。


「クッッッッソが!!!」


 良治は薄い氷で甘音との間に仕切りを入れ、それを蹴って後方に跳ぶ。


「おーおー。クソ雑魚下衆野郎にしては良い動きをするねー」


 あからさまに嘗めた態度で良治を挑発し、正面に月峰を構え直す。軽い口調に対してその身体には一分の油断も纏っていない。


「なるほど。動揺は演技、更に増援まで織り込み済みというわけか」


 後方より感心するような男の声。大地の呼びかけに玲芽はチラリとそちらを見て「そういう事だ」と態とらしく口角を上げる。


 この局面までは、玲芽の想定通りだった。

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