44
*
(そろそろ、かな……)
天宮邸のハーフバルコニーで、玲芽は早鐘を打つ心臓の辺りに手を添えて呼吸を整えていた。
夕方という時間は非常に短い。もうすぐ一番綺麗な時間帯になるのだが、それまでに彼女は来てくれるだろうか。来たとして、自分は上手く言葉を紡げるだろうかという不安が玲芽を襲う。
(落ち着け……落ち着けー。言葉は事前に考えた。場所も良い、そろそろ来れば時間的にもベスト。相手はあの楠瀬だ。緊張する理由なんてない。ないんだ。ないない)
心の中で早口になるという誰にも見せられない面白テクニックを披露しつつ、玲芽は自分の心拍数と脳を平常にしようと試る。
(そうだ、落ち着く時には一番得意な魔術を使う。いつもやってる事だ)
そう思いつき玲芽は右手の魔力に意識を向け、創造の魔術を発動する。
創ったのは、一番初めに覚えた紫苑の花。この花を創り見つめていると、玲芽は不思議と冷静になれる。
(よし、落ち着いてきた。あと十秒もあればいつもど──!)
そこで背後の扉が開く音がする。ビクッと肩を跳ねさせつつも、一旦身体の向きを変えないまま待機する。
「ふわ、凄い……」
後ろから聞こえてくる未梨の声に、玲芽は一度夕陽色の庭園をその目に焼きつける。
(いつもの光景、いつもの場所。好きな時間帯。よし)
精一杯心を落ち着けた玲芽は、満を持して未梨の方に顔を向ける。
「…………よう、楠瀬」
そこでニコリと、飽くまで自然に微笑う。
──上手く笑えた、かな?
そのタイミングで未梨へ笑いかけるのはシミュレーション通りの行動ではあったが、笑みは彼女の姿を見ると同時に自然と湧き上がった。
「あ、錐川くんこんにち──は」
不自然に言葉を詰まらせて、未梨が一瞬動きを止める。
「……どうした?」
「え、いやううん何でもないようん。ないよないない」
超がつく程の早口で未梨は何でもない事をアピールする。心なしか頬が赤い気がするが、琥珀色が全てを包み込むこの空間では、玲芽の目を持ってしてもしっかりとは判らない。
「まあいい。ここまで来いよ」
言って、玲芽は一度庭園の方に身体を向ける。
「綺麗だね〜」
「そうだろう。俺も昔からこの場所を気に入っていた」
言って玲芽は手に持った氷花を散らせ、夕空に解き放つ。透明な花弁は夕陽を反射させながら散り行き、いつの間にか見えなくなってしまう。
「お昼に見ても綺麗なんだろうなって思うけど、夕陽の色もこう……映えるね」
「ああ、お前と同じ色だ」
「…………き、錐川くん──!?」
玲芽の返答に一歩遅れて、未梨は声を裏返しつつこちらに目を向けてくる。
「え、なんだ?」
「こ、こここの綺麗な色を、私と同じ色と、仰いましたか!!?」
「あ、いや……」
直球で訊かれて、玲芽は未梨の様子がおかしくなった理由を察する。
玲芽は琥珀の空間を綺麗だと言った未梨に同意して、その色を未梨と同じ色だと言った。事実未梨の髪と目はあの太陽と似た色をしているので、玲芽の発言に何らおかしいところはない。
ないのだが、その一連の発言を繋げる事により、玲芽が未梨を綺麗だと評したという意味にも取れてしまう。
「これは違……いや。違わないか」
「えっ?」
玲芽はふいっと未梨から目を逸らし「お前の髪や目も、同じくらい綺麗だと思うよ」と少し小さめの声で言う。
「……ふへへ、ありがと」
恥ずかしがりながらも素直に気持ちを吐露してくれた玲芽に、未梨も素直な気持ちで礼を言う。
(何だか変な雰囲気になってしまった……)
玲芽が自分の発言により空気が変わってしまった事にどうしたものかと悩んでいると、未梨の方から話題を振ってくる。
「それで、話したい事ってなあに?」
そう訊かれ、玲芽は手摺りから手を離し未梨の方に身体を向ける。
「ああ、うん……何となく判ってたとは思うんだが」
何度もシミュレーションはしたが、現実は中々そうはいかない。現実の自分は緊張も言葉に詰まりもするし、そもそも玲芽はコミュニケーションに慣れていない。
それでも未梨が急かすでもなく退屈そうにするわけでもなく、ただこちらに純粋な目を向けてくるので玲芽はいつも通りに近付くまで少し間を開ける。
そして鼓動がいつもより少し早い程度に落ち着いたところで、思い切って口を開く。
「俺、辞めるよ。人間を憎んでいるだとか、人間と魔術を使える者は違うとか、そういうの」
──言った。随分と格好のつかない言葉選びではあったが。
「うん。知ってたよ」
言葉とは裏腹に、未梨は慈しむ様に微笑んでいる。
「そんな感情、最初は持っていなかったんだ」
「え? 私にあんなに怒鳴ったのに?」
急に後頭部をブン殴られるかの様に真実をぶつけられ、玲芽は一瞬フラつきそうな衝撃を受ける。
「うぐぐ……その件は本当にすみませんでした」
「あ、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだよ!」
玲芽があまりにもショックな表情をしていたのか、未梨は傷つける意図はなかったと慌てて釈明する。
「いや、いいんだ。楠瀬がそんな奴じゃないのは知っているし、あれは俺が悪いし」
何とか泡を吹いて倒れずに済んだ玲芽は「話を戻そう」と仕切り直す。
「ここに来た頃にはもう、憎いとか恨めしいとかいう感情はなくて、ただ少しの悲しみが残っていただけだったんだ。自由に動かない身体や怖いモノがたくさんある自分が嫌で、必死に克服できるよう自分なりの努力を積んできた」
自分の過去を思い出して、玲芽は当時の感情を理解した。それを懸命に言語化し、目の前の未梨へと伝える。
「でも、甘音さんも勇武も、俺よりずっと先の努力をしていた。小学生の年なのに大人よりも魔術を使いこなして、戦闘だって少しだけどこなしていた。それで俺は、自分が置いていかれるんじゃないかって思い込みをするようになったんだ」
「あぁ……そっか。そうだったんだね」
未梨の納得する様な言葉に玲芽は首を傾げるが、当の彼女が「気にしないで」と両手を振るので、その通りにして言葉を続ける。
「それで、自分も強くなるための理由を欲したんだ。魔術を使うためには、確固たる意志や感情が必要だってここでは教えられていたから。そのために俺は自分の過去を振り返り、俺を傷つけた人達──そして『人間』を憎んでいるって事にしたんだ」
──棄てられる。
その想像をしただけで、当時の玲芽は呼吸を乱し手足を震わせていた。それこそ立てなくなる程に。
恐ろしくも経験のあるその出来事を再現すまいと、玲芽は『最低限問題なく生きるための努力』から『棄てられないための努力』に焦点を当てた。
「吐いた嘘に必死に縋りついていたら、いつの間にか本当の自分を忘れてその嘘を本当だと思い込んでしまっていたんだ、俺は……」
思い出す度に、自分を愚かだと思わずにはいられない。
玲芽は自分を責めたくなるが、今はその時ではないとグッと顔を上げて本当に未梨へ言いたかった事を言うために、再び口を開く。
「ちょっと話は変わるけど。俺な、甘音さんに拾われる前に、近所の小学生に石を投げられたんだよ。町を守るためだとか何だとかで」
「え、しれっと言うけどまだそんな、ええと……引き出しあるの?」
悲しい過去話に対して『引き出し』という表現をするのは玲芽も未梨本人も違和感があっただろうが、そこをツッコむとまた話が脱線しそうだったので玲芽は「まあ、そうだな」と肯定する。
「だけどその直後の俺はその事を恨んだりしなかった。怖くはあったが……。その理由はな、お前が、いや────キミがいたからだ」
玲芽は二人称を変えて、未梨に向けてそう告げる。
「やっぱり……あの時の男の子は、錐川くんだったんだね」
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