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「じゃあ、明日には出来上がるからまたこの時間に来てくれる?」

「はい。判りました」


 土曜日の夕方、未梨は結璃の呼び出しに応じて天宮邸に足を運んでいた。

 元々大雑把な用事の内容を事前に聞いていたので、話はトントン拍子に進んだ。結璃の提案は未梨にとってもありがたいものであったため、実際に顔を合わせてからは殆ど雑談のような時間が続いた。


「ちょっと急な話だったかも知れないけど、快く受けてくれるみたいで嬉しいわ」


 応接室のソファにもたれながら、結璃が未梨へ笑いかける。

 裾の短いタンクトップに迷彩柄のホットパンツという露出度の高い格好といい、飾り気なく笑顔を向けてくる親しみやすさといい。結璃を見て途轍もない家柄のお嬢様だと気付く人間はあまりいないのではないか、と未梨は考える。

 それは決してネガティブな意見ではなく、そんな人間性だからこそ未梨は天宮結璃という女性に魅力を感じ、今回の話も快諾するに至った。


「私としても嬉しかったですよ。ここの人達は良い人ばっかりだし、一人で家にいるのは、ちょっと寂しくて……」


 言わなくてもいい事まで話したな、と未梨は結璃から少し目を逸らし、横髪を耳にかけ直す。


「わ、何今の台詞と仕草。色っぽい!」


 未梨の知らない一面を垣間見た結璃は、新しいオモチャを見る子供の様な瞳を向けてくる。


「えー、そんな色気なんて私にはないですよお。それなら結璃さんは年中無休で色っぽいじゃないですかあ」


 口では否定しつつも、本心は少しだけ嬉しい。そんな心情が語尾に出ている未梨。


「何よ年中無休って! 本当ミノちゃんって面白いわね〜」


 給仕役が淹れたコーヒーを口内に注ぎ、顔いっぱいに笑みを滲ませる結璃。


「じゃあ今日はこれで……あ、そうだ。すっかり忘れてたわ」


 ほぼ談笑の時間だった交渉を終わりにしようとして、結璃はハッと何かを思い出す。


「もしかして、錐川くんから何か聞いてます?」

「そうそう。玲芽から伝言預かってたの、すっかり忘れてたわ」


 結璃は申し訳なさそうな苦笑を浮かべて頬を掻く。


「話が終わったら屋上まで来るように、ってミノちゃんに伝えておいて、って言われたの」


 数日前に通話をした時に直接話したい事があると言われていた未梨は、その言伝に驚きはしなかった。

 至って冷静にコクリと一つ頷いた未梨は、応接室を出ようとしてまた結璃の方に向き直る。

 そして精悍な表情をしながら、結璃に一つ問いを投げる。


「屋上って、どう行くんですか?」

「……そうよね。行った事ないんだから判んないわよね。手前まで案内するわ」


 あまりの締まらなさにズッコケかけた結璃は、顔に指を当てつつうんうんと納得して未梨と共に応接室を後にする。


「ね、ミノちゃん」


 赤いカーペットが敷き詰められた廊下を歩きつつ、結璃が少し真剣な面持ちで呼びかけてくる。


「なんでしょうか」


 その真剣さを声色から感じ取った未梨は、思わず少し硬い応答をしてしまう。


「さっきここの人達は良い人だって言ってくれたけどね。それって……玲芽の事も入ってるの?」

「ふふ、勿論ですよ。寧ろ筆頭です。まあ……良い人というよりは、良い子って感じですけどね」


 結璃の問いに即答し、本人が聞いたらムッとしそうな補足も入れて未梨は笑いかける。


「そうね、あいつはまだまだ仔犬って感じだもんね」

「あー、それです! 身体は大きいけど、まだ仔犬です」


 結璃の例えは、未梨の玲芽に対する所感とピッタリ一致していた。

 やはり玲芽にはそういったイメージを抱きがちなのだな、と未梨はおかしくなって笑顔を溢す。釣られて結璃も笑い出す。

 エレベーターで三階まで上がり、玄関ホールの真上まで歩く。廊下の突き当たりには、少し重そうな鉄扉が取りつけられている。


「ここから屋上──‬厳密にはハーフバルコニーってとこに出られるわ。今だとちょうど良い感じの時間ね」


 案内を終えた結璃が、扉から少し遠い位置で立ち止まる。


「ミノちゃん。玲芽の事、本当にありがとう。貴女がいてくれたから、玲芽は変われたの」


 結璃が玲芽を学校に行かせた理由。それは『人間』は今まで彼に暴行を加えた人達の様な者ばかりではないと教え、可能であればそこで玲芽が変わる切欠に出逢わせるため。

 正に結璃の狙い通り、未梨は玲芽の考えを変えてしまった。


「ふへへ。構いませんよぉ、私が勝手にやった事ですから。それに──‬結璃さんのお陰で、私の探しモノも見つかりましたから」


 未梨は結璃の感謝を受け止めつつ跳ね返して、そのまま鉄扉に手をかける。

 バルコニーに出ると、結璃が「ちょうど良い時間」と言った理由が判った。

 西に向いたバルコニーは、夕陽を身体いっぱいに受けた庭園を一望できる空間になっていた。

 色とりどりの花園も、美しい大理石と透明な水の噴水も、全てが琥珀の夕陽に染め上げられている。


「ふわ、凄い……」


 そう呟きつつ、正面の手摺りに持たれる玲芽の背中に近付く未梨。


「…………よう、楠瀬」

「あ、錐川くん。こんにち──‬は」


 ──‬今が夕方で、良かった。


 振り向いた玲芽に、思わず未梨は顔を赤くしてしまう。


 その少年が浮かべていた微笑みが、その夕空も、彼が持っていた氷の花もかくやという美しさを放っていたからだ。

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