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 錐川水凪の養子となり『錐川玲芽』の姓名を頂いて数年。幾つか判った事がある。

 自分に魔術の素養があり、特に保有魔力が膨大な『マガツメ』である事。

 実母や自分を保護してくれた女性が自分を人間扱いしなかったのは、それが理由である事。

 甘音さんと勇武はかつて山奥にあった小さな里で産まれたという事。

 そこの長は代々魔術士が務めており、魔核のサイズで差別するような環境ではなかった事。

 その里は彼等が幼い頃に焼けてしまい、二人にはもう帰る場所がない事。

 甘音さんは剣を極め、その最果てにあるという『剣術の頂』へと上り詰める事を目標に掲げ、毎日を剣術の鍛錬に捧げている事。

 勇武は焼けた故郷の様に『誰かの居場所』がなくなる事を止めるため、十代前半にして戦場へと身を投じている事。


 ──‬辛く険しいであろう魔道を歩む二人を見て、錐川玲芽は彼等がどんどん遠ざかっていく様な錯覚をした。

 棄てられる事に人一倍恐れを覚える自分にとって、その錯覚は時折蘇る身体の痛みなんかよりもずっと耐え難いものだった。

 彼等の背を追いかける事すらままならない自分は、いつか見向きもされない存在になってしまうのではないか。

 そんな考えが頭に浮かぶたび、懸命に振り払った。二人はそんな事をする性格をしていない。二人とも優しい人達だから。

 必死に振り払っても、不安は身体にこびりつくかの様に離れようとしない。


 ──‬優しい人も、自分を棄ててしまっただろう?

 ──‬弱いままの、無価値なままのお前に、二人は声をかけてくれるのか?


 天宮邸に来てから、強い人──‬強い魔術士達をたくさん見てきた。未知の獣と戦う魔術士達、幼いながらも大人顔負けの実力を誇る甘音さんや勇武。

 自分はどうなのだろう、と彼等の強さを鏡にして自分を見てみた。


 驚く程、自分には何もなかった。

 否、弱さだけが浮き彫りになった。

 大人を前に固まってしまう事もなくなり、少しでも寒いと過剰に震える事もなくなった。夜への恐れも克服できた。まともに動かせなかった左半身も、今ではそこまで不自由ではない。


 だが、それは人として当たり前の事。強みでも何でもなく、ただ強くなるためのスタートラインに立っただけ。

 何もない、ただの弱い人間。そう自覚した時、その弱さがとても恥ずかしいものだと感じた。

 強い人達は眩しく美しい。弱い自分は暗く醜い。黒く歪な自分の左腕を見るたびに、自分を壊したい気持ちでいっぱいになった。

 そんな弱さから脱却するために、結璃に魔術の教えを乞うた。


『ねぇ、結璃』

『どしたの? 何かおべんきょで判らないとこでもあった?』


 今でこそ結璃より身長が高くなったが、当時は自分の方が小さかった。歳よりも少し幼い話し方の自分に、結璃は目線を合わせて話してくれていた。


『ううん、魔術を教えてほしいんだ』


 まっすぐにそう切り出すと、いつも優しかった結璃の表情が途端に厳しいものに変貌した。


『玲芽はどうして魔術を覚えたいと思うの?』

『強く、なりたいから』


 冷ややかな態度になった結璃に少し物怖じしながらも、自分の考えを伝える。


『どうして強くなりたいの?』

『それは……』


 強くなりたい理由を問われるとは思っていなくて、そこで少し言葉に詰まった。素直に弱い事が嫌だった、置いていかれるのが嫌だった、と言えば現在は変わっていたかも知れない。

 だがそれはできなかった。弱さを恥じた自分は、これ以上他者に弱い部分を見せる事を嫌ってしまった。

 そして相応しい理由を用意するために手近な記憶を探り、掘り当てたのは──‬『自分を傷つけた人達』だった。


『強くなって……見返したいんだ。お、俺の身体をこんなにした人達を』


 一人称をボクから俺に変えて、精一杯の背伸びをしてそう虚勢を張る。今になって思えば微笑ましい程に見え見えの虚栄心だ。


『……私には、それが正しい事だと思えない。玲芽は本気で、見返したいって思うの?』


 見返す、という言葉に『復讐』の色を感じ取ったのか、結璃は依然として厳しい態度を崩さない。

 その返しとして選んだ自分の言葉は、まだ十代だった結璃にはとても重いものだったのかも知れない。



『結璃に、俺の気持ちが判るの?』



 咄嗟に選んだものだったが、これ以上なく狡い言葉だったと思う。

 子供が我が儘を通すための、意地の悪い言葉。弱さを疎んだにも関わらず、その弱さを利用して説得力を補強する醜悪な手管。


『…………判った。納得したわけじゃないけど、理解はできたわ。明日から玲芽に、魔術の基礎を教えたげる。でも、教えるのは基礎的な理念と防御の術だけ。どう使うかとか攻撃的な術とかは、私は一切教えない』


 結璃にとって、それは精一杯の譲歩だったのだろう。

 復讐を淡く胸に抱く者に、凶器を持たせる様な行為はできない。だが結璃にとって当時の自分は、情も愛も与えられなかった憐れな子供だったのだろう。恐らく『錐川玲芽』を否定する事が、甘さのある結璃にはできなかった。


『判った。それでいいよ』


 結璃の優しさにつけ込んで、強くなるための切欠を手に入れた気でいた自分。

 でもそれは、己を捻じ曲げる行為の始まりだったんだ。

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