39


「で、特に何もせず帰ってきたの?」


 時刻はまだ午前九時を過ぎたところ。小崎に追いやられれようにして学校を去った玲芽は、退屈凌ぎにMAOの訓練場で戦闘訓練に励んでいた。

 訓練場は学校の体育館とよく似ている。流石にバスケットのゴールやら丸い天井をしていたりするわけではないが、ツヤのある床の板張りや上方にあるギャラリーがそれを連想させられる。こちらを先に見ていた玲芽は体育館が訓練場に似ている、という思考であるが。

 通常の体育館と違う点は、壁に弓道で用いる様な的があったり人型のシルエットが描かれているところだろう。放出の術式をより正確に操るために設置された物だ。

 そんな彼の様子を床に座って見守っていたのは、彼の義母である水凪。

 彼女もMAOにて働く魔術士の一人だ。九時から待機に入った水凪が訓練場に向かう玲芽を見かけたため、学校を早退した不良息子について来た。


「学校で問題でも起こせって言うのかよ」

「そういうわけじゃないけれど、身の潔白を証明する努力くらいはしても良かったんじゃない?」


 そう指摘する水凪は、薄く口紅を塗った形の良い口元を上げて微笑んでいる。

 玲芽は頭の中で甘音の動きを再生して、その真似をしつつ氷の剣を振るう。キュッ、キュッ、とその足捌きに応じて床が小気味の良い高音を鳴らす。


「俺の言葉を聞き入れそうな奴じゃなかったし、そいつ楠瀬──‬前の事件で俺と一緒にいた奴と友達なんだ。だから何というか、二人が俺の事でギスギスしてほしくなかったんだ」


 言い終えて玲芽は周囲に五本の氷楔を漂わせてバックステップし、剣を振り上げると同時に放出する。

 氷の楔達は幻惑する様に交差しながら飛び、壁に取り付けられた的の中心に五本全て命中する。

 犇めく様にして的に突き刺さる氷楔を消失させ、玲芽はふと水凪の顔を見る。


「何でそんな嬉しそうなんだ」


 水凪はその儚げな顔をくしゃっとさせて笑っている。その笑顔の意味するところが判らない玲芽は、眉根をひそめて訊く。


「子供って、知らない内に大きくなってるのねー、って思っただけ……よ!」


 息子の問いに答えながら立ち上がり、ふわりと高く跳び上がって玲芽の前に立つ。その手にはいつの間にか、氷で創造された槍が携えられている。


「偶には私が稽古つけてあげるわ」


 膝丈の黒いスカートから覗く脚を広げ、槍をクルクルと回しつつ水凪は臨戦態勢を整える。


「おお……」


 同じ属性の使い手と訓練ができるのは、玲芽としても非常にありがたい事だ。気合を入れるために氷の剣を創り直し、玲芽も臨戦態勢に入る。

 そして稽古をつけてもらう側らしく、先手の一歩をいち早く踏み出した。


「育ち過ぎて腰抜かさないようにしてくれよ……!」




「へこむ……」


 結果を一言で表すなら、手玉に取られた。

 玲芽以上に筋肉量もなく、創造した槍も細い物であったのに水凪の一撃は重かった。

 ただでさえ攻撃の威力で負けている上に水凪の創造魔術は水も巧みに交えられており、リーチは伸びるわ打点をずらして来るわで対応しきれなかった。


「これが熟練って事よ」


 ほぼ初心者の玲芽を圧倒した水凪は、フフンと鼻を鳴らして腕を組んでいる。


(手を抜かないでいてくれるのはありがたいんだが、俺相手に勝ってそんな自慢げでいられるの凄いな……)


「俺の魔術、やっぱダメなんだな……」


 経過した時間は一時間足らずだが、既に疲労を感じ始めている玲芽は床に座り込みつつ落ち込んでいる。


「んー、術の出来自体は割といい線いってるわね。創造の質だけなら私とそう変わらないと思う」

「え、なら何であんなに俺の剣や盾がぼこぼこ壊されたんだ?」

「私よく槍を回してるでしょ? アレを条件にして重たい水を穂先に纏わせているのよ」

「あー、条件強化……」


 水凪の使った条件強化とは、決まった行動を取る事により、魔術を使う際の消費魔力や精神の負担を軽減させる──‬若しくは消費する魔力に対して強力な魔術を使用するための技能だ。

 これは古典的条件付けを自分に対して行なっているようなもので、自分の頭や本能に『一定の行動』と『特定の魔術』を結びつける事により修得できる。


 例えば水凪は『槍を手首を使って回す』という行動を取る事により、殆ど無意識に『質量の高い水を槍の穂先に纏わせる』という術を行使している。玲芽も『フィンガースナップ』を条件として咄嗟に『氷の壁を創造する』ようにしている。

 魔術も精神は密接に関係している。そのため自分の心理を操る事が、魔術をより巧みに使う事に繋がっているのだ。


「これは一朝一夕でできるような技術じゃないから置いておくとして。そう変わらないって言ったのは、多少の差はあるって事なの」

「ほう……その差って?」

「玲芽の意志とかそういうのが、創造物にまで行き渡っていないの」


 水凪の指摘に、玲芽は「意志……」と呟きながら顎に手を添える。

 玲芽の創造魔術は、決して粗悪なものではない。術を行使するために費やす魔力、物体を創り出すためのイメージ。その双方共に申し分ない。

 その二つを伴い、安定した精神を以って玲芽は魔術を振るえるようにはなった。

 が、水凪の言う通り、玲芽には魔術を使うための意志が圧倒的に足りていない。


「何のために魔術を使い、その魔術を何に使うか。そういった意志が必要なの」

「何のために……。魔獣や敵対する魔術士に勝つために、とか?」

「間違っていないけど……なら、玲芽はどうして戦いの場に出るの? 危険な事しなくたって、生きていけるのに?」


 そう訊かれ、答を持ち合わせていない玲芽は押し黙ってしまう。


『もしかして錐川くんって、戦いに向かない性格なのかな?』


 今朝聞いた、未梨からの言葉を思い出す。

 今の玲芽には、特別勝ちたい相手や戦う理由がない。それ故に自身の戦いを好まない性格が前面に浮き出てしまい、扱う魔術に意志を乗せられていないのではないか。


「義母さんは何で戦うんだ? 義母さんだって、戦う他に働く術はあるだろう?」

「私一人ならそうよ。だけど……私には家族がいるもの。ここはお給料も高いから家族を不自由なく生活させるにはちょうど良いし、私が死んだら困る人がいるって実感があると、ぐっと魔術の重みも増すの」


 言って、水凪が玲芽の肩を叩く。

 家族──‬つまりは玲芽の事だ。水凪は玲芽の事を想い、それを槍に乗せて戦っている。


「家族の……誰かのために戦う」

「あとは……参考になるかは判らないけど。ちょっと前に、魔術犯罪者を相手にした規模の大きい戦闘があったの。その時大きな怪我をした魔術士がいたのね。積極的に前へ出て、仲間を護る壁になる役割の」


 身を護る術を重点的に鍛えている玲芽は、その話に自分を重ねる。

 激しい戦闘になれば、負傷や──‬最悪死亡の可能性が高くなる。順当に育てば、自分だってその役割を担う事になるだろう。


「その魔術士が復帰した時に訊いてみたの。重傷を負ったのに戦場に立つのは、怖くないのか──‬って。そしたらね、その人は『怖い。だけどそれ以上に仲間の前に立ち、護る役割を任されるのは誇らしい』って答えたの」


 玲芽はその言葉に、フッと頭に光が射した様な感覚に目を見開く。


「そこを……任される、誇り」


 胸に当てた手を、強く握る。

 そしてイメージする。甘音や勇武と共に戦場に立ち、敵の攻撃から仲間を護る自分を。


(そうなれたなら、どんなに誇らしいだろう)


「ふふ、参考になったみたいね。それじゃあもう一つ、これが一番自信のある助言なのだけど」

「おう、何?」


 自信のある助言と聞き、玲芽は気を取り直して水凪の言葉に耳を傾ける。


「創造の術式って、自分の好きな物とかを意匠に組み込むと良いらしいのよ」

「ほう……ほう?」


 感心しながら聞く玲芽だったが、何となく雲行きが怪しくなってきた事に気付く。


「だから玲芽は、そうね……。犬の肉球つきの足を模した棍棒とか、どう?」


 ──‬うわ、やっぱり。


「なあ義母さん?」

「何?」


 ニッコリニコニコと屈託のない笑みで息子を見つめる母親に、玲芽は目を細めて抗議の視線を送る。


「そんな可愛い武器を振り回す息子、どう思う?」

「…………私はアリだと思うけど?」

「そこはナシって言ってほしかったなー……」


 大きな溜息を吐き、頭を抱える玲芽。


(最後のはアレだったけど、良いアドバイス貰えたな)


 とはいえ、顔も名前も知らぬ魔術士の放った言葉は、玲芽の心に沁み渡る様に響いた。


「やる気のある顔ね。もう少し撃ち合う?」


 息子の表情の機微を見逃さず、水凪は再び少し距離を取って槍を構える。


「じゃあ、お願いしようか、な──‬!」


 素速く氷の剣を創造した玲芽は、再び若輩らしく自分から斬りかかった。

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