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「って、錐川くん!?」

 

未梨が話し終えると同時に、突然玲芽を呼びつつ驚愕を見せる。

 だが、その理由は玲芽にも判っている。

 その赤い瞳を潤ませ、頬を伝い続ける涙だろう。

 玲芽は未梨の過去を聞き、静かに涙を零していたのだ。


「うるせぇ」

「うるさくないよ! いや、うるさかったかも知れないけど、流石に許してよ!」


 強がる玲芽にそうツッコみ、未梨は立ち上がってバタバタ言わせて部屋を物色する。

 玲芽は右手で涙を拭い強がろうとするが、瞳は止め処なく濡れ続ける。


「はい、ハンカチ」


 未梨が玲芽の座る椅子の横に跪き、ハンカチを差し出す。そのハンカチを手に取り、泣き顔を覆い隠す様に涙を拭う玲芽。


「ふふ。昨日『自分の事じゃないのに泣く事ないだろう』って言ったの、錐川くんなのにね」

「悲しいものは悲しいんだよ」


 昨日の自分の言葉を力技で否定する。


「そうだよ。昨日の私もそう思ってた」


 我が子に言い聞かせる様な声色で、未梨が玲芽の暴論に賛同する。


「何がそんなに悲しかったの?」


 涙する玲芽の横に屈んだまま、未梨がそう問いかける。


「多分俺は、お前の過去に共感したんだ」


 未梨の過去を彩っていたのは親に棄てられて味わった『孤独』と、親戚や先輩達にぶつけられた『悪意』。

 その二色は、玲芽の胸に落とされた影のそれとよく似ていた。少なくとも玲芽はそう感じた。

 早々に泣き止んだ玲芽は横から見上げてくる未梨と視線を交わすが、当の彼女は「共感だなんて」と首を横に振っていた。


「私は錐川くんみたく殴られたりしたわけじゃないし、錐川くんの方がよっぽど辛い目に遭って来たと思うよ?」

「外側の傷なんて、大した事じゃないだろう」


 その言葉に未梨が刹那目を見開き、その後ふわりと幸せそうな笑顔を浮かべる。


「そうだね。きっとそうだよ」


 もう玲芽は大丈夫だと判断したらしい未梨は、元の席に戻って冷め始めた紅茶を一口飲む。

 そんな未梨をじっと見つめて、玲芽は一つ考える。


(こいつは俺と同じような経験をしてきた。ならば、俺と同じ考えを持っていてもおかしくないんじゃないか?)


「どうしたの錐川くん。長くおしゃべりしちゃったから、お茶飲まないと冷めちゃうよ?」


 けろっとした表情でそう紅茶を勧める未梨に、玲芽は問いを投げかける。


「なあ楠瀬。お前は父親とか、親戚や先輩達を恨んだりはしなかったのか?」

「うぅん……。どうだろう。親戚とか先輩達は、もう会いたくないな、とは思うけど……」


 突然問われ、未梨はもごもごとあまりはっきりとしない答を紡ぐ。その後もうんうんと唸りながら「恨む……恨むかあ……」と難しそうに眉根を寄せて思考している。


「うーん。やっぱり恨んだり仕返ししてやるー! って思った事はない、かな?」


 尚も曖昧に語尾を濁して、未梨は玲芽の問いに答える。


「そうか……」


 玲芽は自分の考えに同調できない未梨に、落胆を隠そうともしない。


「で、でも私は考える時間がなかったり、できるだけ考えないようにしてただけだし……」


 落ち込む玲芽に、励ましの様な何かの言葉をかける。


「じゃあ、さっきの人達じゃなくて父親はどうなんだ?」


 未梨は「もう会いたくない」とした人物から父親を除いていた。玲芽はその点を指摘する。


「お父さんは……そうだなあ。もし帰って来たら色々お小言ぶつけてやるー! とはと思うけど……。その後はちゃんとご飯作って、私だって色々できるようになったんだよーって、証明するかな?」


 未梨は怒ったり笑ったりと表情をくるくると変化させながら、父親に関する所感を述べる。

 その姿と言葉に、玲芽は胸をきゅうっと締めつけられる気分になる。

 未梨はある日突然孤独になってしまっても、日々を懸命に生きていた。家事も学業もこなし、悪意ある人達に利用されかけても、それでも一日一日を丁寧に過ごして明日を迎え続けてきた。


 ──‬それに対して、俺は何をやってきたんだろう。

 玲芽は甘音に保護されて天宮の家に転がり込み、錐川という姓を受けて育った。

 暮らすのに不自由のない環境で玲芽が得たのは、多少の魔術と『人間』への憎悪。


「立派だな、楠瀬は」

「ほへ?」


 突然飾り気のない褒め言葉をかけられ、未梨は感情の追いつかない神妙な面持ちで妙な二音を口から溢す。


「たった一人で精一杯生きて、辛い事があってもそうやって笑っている。それを立派だと言ったんだ」


 未梨の発した謎の二音を『褒められた意味が判らない』という意味と解釈し、玲芽は言葉の意味を教える。


「ありがとう。でも私はただできる事をやっただけだよ? 家族はいなくなっちゃったけど、完全に一人ってわけでもなかったし」

「ひとりじゃ、ない……?」

「うん。近所の人とか、あっちゃんとか。私ができない事は、そういう人達に教わったりやってもらったりしてたよ」


 そう語る未梨の表情は明るい。嘘や誤魔化しなど一つもなく、本当に自分は孤独ではなかったと考えているのだろう。

 そんな未梨の姿が妙に眩しくなり、玲芽は目を細めてしまう。


(俺は……俺は何なんだろう? 楠瀬はこんなに強く生きているのに、俺はどうしてこんなにも……)


 自虐的な思考に陥りかけたところで、玲芽は口元に何かを当てられる。

 何故か未梨が身を乗り出し、玲芽の口にパウンドケーキを当てていた。


「錐川くん、何かむつかしい事考えてない? 今は気楽に甘い物でも食べよ?」


 仕方なさそうに笑いながらパウンドケーキを当て続ける未梨に、玲芽は思考を止めて差し出された菓子を咥える。


(まぁ……考えるのは一人でもできる事か)


 くしゃりとした笑顔で「美味しいでしょ?」と問いかける未梨に、玲芽は頷きだけで答える。


「もうだいぶ冷めちゃったけど、お茶もお菓子も遠慮しなくていいからね」


 そうして二人は、午前からのティータイムを穏やかに過ごした。



 そんな穏やかな時間が終わり、玲芽が帰宅する頃合いになる。


「その、ありがとう楠瀬」

「お茶の事? あ、それともお菓子の事かな?」


 未梨が悪戯っぽく笑いながらそう訊くと、玲芽は「違う……」と嫌そうに目を細めて否定する。


「言いたくなかった事もあるはずなのに、ちゃんと隠さず昔の事を話してくれた事だよ」

「あー、それかあ。まあ錐川くんの昔の事も教えてもらったし、ちょっと……ううん、何でもない。私も打ち明けたかっただけだから」


 少し口籠ったのは敢えて気に留めず、玲芽は「そうか」と軽い返事をしてドアに手をかける。


「あの、錐川くん」


 遠慮がちにかけられた声に振り向き、玲芽は未梨に視線を向けて言葉を促す。


「また今度、ここで一緒にお茶してくれる?」


 ──一瞬、‬脳裏に誰かの姿が浮かぶ。

 浮かんで消えたその影に眉を顰めるが、今は考えても仕方がない。


「あ、ああ。気が向いたらな」


 肯定寄りの曖昧な返事をして、玲芽は未梨の家を後にする。

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