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「相変わらず少食だね?」

「……お前が食べ過ぎなんだろ?」


 二人は互いの前に並べられた食べ物の量を見て、互いに食事量に関する言い合いを始める。

 玲芽の前には、最早安定感すらあるおにぎりが二つと、白菜と玉ねぎの味噌汁。対する未梨の前には、焼き魚と肉じゃがにほうれん草のおひたし。そして少し多めの白米。


「朝はしっかり食べないと元気出ないんだもん!」


 未梨が玲芽の放った『食べ過ぎ』という言葉に食ってかかる。玲芽の食の細さも中々だが、未梨の量の多さも中々だ。


「んー……まあ、確かに食べ過ぎとは言い難い……あ、いや何でもない」


 昨日洗い終えた制服を身に纏う未梨の身体を注視しようとして、中断する。流石に昨日の今日でハラスメントめいた発言をするわけにはいかない。


「んんん? 錐川くんまた体型の話しようとしましたか?」

「いや……何と言うか。食った分の消費はできてるな、と思っただけだ」


 玲芽は先程の発言について詰問しようとする未梨を煙に巻こうとして、結果的に正直な感想を述べる。言い終えた後でこれ誤魔化せてなくないか? と思いはしたが、結果的に未梨の包囲からは逃れられたので良しとする。


「ふへへ、そうでしょうそうでしょう。日常生活には大量のエネルギー消費が付き纏うからね」


 何となく頭の良さそうな言い回しを辿々しい口調で台無しにして、未梨がフンと鼻を鳴らしつつ言う。


「錐川くんは時期的にもお仕事的にも、身体作らなきゃいけないんだから。もっと食べなきゃダメだよ?」

「いいよ、あんまり腹減らないし」


 玲芽は肉じゃがを寄越してこようとする未梨を手で制し、自分が頼んだ物だけを食べ進めた。



 朝食を食べ終え、二人は未梨の家へと向かう。

 天宮邸から程近いところにある堤防を昇り、橋を渡って隣町の綾崎北町に入る。綾先南と変わらず都会のベッドタウンとなっているこの町は、土曜日であってもあまり賑わってはいない。


(楠瀬の家こっちなんだな。北町ならうちの高校よりもあっちの私立校の方が近いと思うんだがな)


 取り立てて優れた部分のない綾先南高校に通う理由といえば、家から近いから程度のものしか玲芽には思いつかない。だがそれなら、私立校から程近い場所に家のある未梨が綾先南を選ぶ理由にはならない。


(……落ちた可能性もある。訊かないでおこう)


「錐川くん、私の家ここだよ」


 玲芽が働き始めた頭を動かして思考していると、未梨に呼び止められる。


「……ほう」


 足を止めて、未梨の指す家を見てみる。

 周辺の家よりも少し広い敷地を持つ、二階建ての一軒家だ。青い外壁が都会的でポップなイメージを持つが、妙に閉鎖的な印象を受ける高い柵を設けている。

 少し見て帰ろうとした玲芽だったが、とある一点が気になった。

 二階らしき高さにある窓の雨戸が、閉まっていた。ここ数日は小雨すら降っていないはずだったのだが。


「ねぇ、錐川くん……」

「ん、ああ。どうした」


 家の方を見ていた玲芽に声をかけた未梨だったが、彼女も彼女で様子がおかしい。呼びかけたのは未梨の方なのに、何故か言い難そうに目線を斜め下に送り、両手の五本の指を合わせたり離したりしている。


「何もないなら、俺はこれでかえ──‬「ま、待って!」


 沈黙に気不味さを感じた玲芽が帰ろうとするが、それだけはダメだと言わんばかりに未梨が強い語気で止める。

 そうして玲芽を押し留めた未梨は、ふぅふぅと深呼吸をして強い目線を玲芽に向ける。が、すぐにその目は左右に泳ぐ。


「あの、ですねぇ……。わたわた、私のお家に、寄っていきません……こと……?」

「えぇ……?」


 玲芽は困惑して、そんな声を漏らす。

 未梨が家に誘ったという事に対してもだが、何より意味不明な言葉遣いに玲芽は困惑した。


「ほ、ほら。色々諸々のお礼とかも兼ねて、美味しいお茶淹れるよ。甘いお茶菓子もありますよぉ〜。どうですか。一杯、やってきません?」


 ロールプレイ対象の変動が激し過ぎる未梨に困惑して言葉を失っている玲芽だったが、ここは丁重にお断りしようと丁のいい断り文句を考え始める。


「いやその、あまりそういうのはだな……」

「ダメ……かな?」


 未梨が少し潤んだ瞳で見上げてくる。

 ──‬そういう弱った感じの表情には、弱い。


「判った。判ったよ」


 溜息混じりに降参する玲芽。すると未梨は嘘みたいにぱあっと表情を明るくして、玲芽の背後に回り家の中へと押し込もうと背中を押す。


「結璃さんの言った通りだね。錐川くん、女の子に騙されやすいんじゃない?」

「騙そうとするのはお前と結璃くらいだよっ!」


 結璃の入れ知恵らしく、表情を作っていた未梨。


「失礼だなあ。来てくれなかったらちょっとくらい泣いたかも知れないんだよ? これは本当に」

「そうかよ」


 一々疑うのも馬鹿らしくなった玲芽は、観念して未梨の招待を甘んじて受け入れた。

 明るい未梨の態度に対して、楠瀬家の中は暗い。

 玄関には靴が一つだけ。今しがた未梨が脱いだ物だ。他は全部靴箱に収納しているのだろうか。

 後を追って、玲芽も靴を脱いで一階の廊下をまっすぐ進む。リビングらしきその部屋は、左右で違う用途に分けられていた。

 キッチンに近い左側は食事用に背の高い椅子とテーブルが、テレビの置かれた右側は背の低いテーブルと座布団が三つ。


「どうしよ、好きな方に座って」


 未梨がキッチンから声をかけてくる。外でお茶を出すなどと言っていたあたり、そういった物を用意してくれるのだろう。

 玲芽はキッチンに近い方の席を選択する。近い方に座った方が運ぶ手間も少ないだろうとも考えたが、他人の家に招かれるなどという経験に乏しい玲芽は家主が目に入った方が落ち着いた。

 と考えつつも、する事のない玲芽は家具やテーブルの上に目を配る。

 食器棚には妙に多数の皿やスプーンがしまわれている。大きな皿やボウルもあり、家族で住んでいた形跡が見える。テーブルの一角には寝かされた写真立てが数個、ちょうど玲芽が座した隣席の前にある。これではその席を使う者が不便だろう。


(三人家族なら矛盾もない、が)


 そういえば、と玲芽は未梨がリビングに入った時に電灯を点けていた事を思い出す。

 土曜日に両親のどちらもが出かけている、という状況は些か違和感がある。共働きで土曜日も忙しい家庭だとか、未だに夫婦仲が良く二人で出かける事も少なくないだとか、考えられる可能性がないわけではない。

 ないのだが、寝かされた写真立てと玲芽自身の直感が一つの真実を指し示す。

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