29




 映像が終わったからか、玲芽の視界を映し出していた壁にモノクロームの砂嵐が走る。


「私が抜き出した記憶はここまでよ」


 結璃がガラス玉を台座から取り上げて、半ば放心状態の未梨に向けて終わりを告げる。


「その後は、酷い状態で棄てられた玲芽を甘音がこの家まで連れて来て保護したってわけ。その間の記憶は残ってなかったけど、まあ何もなかったんでしょうね」


 結璃がそう推論を述べると、突然未梨がその場に崩れ落ちる。


「ひっ……ひっ……」


 速いテンポで空気を吸う音が、高い声を交えて聞こえる。彼女は恐らく、泣いている。

 自分よりも未梨の近くにいる結璃が、彼女に寄り添おうとしているのが見えた。


 ──‬それでも玲芽は、泣いている未梨への接近を止められなかった。

 勝手に足が向く。腕も魔核も自分の制御下にないかのように動き出し、私有圏に収めていたハンカチを未梨に差し出す。


「……自分の事じゃないのに、泣き崩れる程泣かなくてもいいだろ」


 ようやく意識が追いついた玲芽は、屈んで未梨に寄り添いそう声をかける。


(またこれか……)


 昼間も起こった意識と身体を乖離に玲芽が頭を悩ませていると、未梨がふわふわとした怪しい口調で「きりかわくん……?」と自分の名を呼んでくる。涙に濡れた顔を、隠そうともしていない。


「なんだよ……?」


 肩と肩が触れ合いそうな距離で見つめ合うのは、少し気恥ずかしいものがある。玲芽はその恥ずかしさを振り払うために、いつもより気持ちぶっきらぼう度を上げてそう訊き返す。


「錐川くん……ッ!」

「のわっ!?」

「ふわっ!?」


 差し出していたハンカチに目もくれず、未梨は玲芽の背中に腕を回して抱きついてくる。それを見ていた結璃までもが、素っ頓狂な声を上げて驚いていた。


 玲芽は「おい……」とふえんふえんと再び泣き出した未梨を引き剥がそうとしたが、震える細い身体を見るとどうしてもできなかった。


「邪魔者は消えるから、落ち着いたらミノちゃん客間に連れてってね〜」


 ニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべて、結璃がそそくさと部屋から立ち去る。


(あ、おい……クソッ)


 悪態は心の中だけにして、玲芽は立ち去る結璃と絶賛号泣中の未梨を交互に見る。処理の追いついていない頭ではどうする事もできず、ただ結璃を見送るだけ。


「錐川くぅん……」

「あー、はいはい。ちゃんといるぞ」


 弱々しい声色で呼ばれた玲芽は、自分の胸で泣き続ける未梨の背中と頭に手を回して抱き締める。


(何してんだろうな、俺)


 錐川玲芽は『人間』を憎悪している。

 少なくとも、彼自身はそう考えそのために魔術の修練に励んでいる。いつか自分を苦しめ、他のマガツメ達を苦しめているであろう人間達を裁くために。


 だが今現在。玲芽は何の力も持たない人間の少女を前にして、力を行使しようとはしていない。その気も起こらない。


 自分が判らない。抱き締めている少女の事もまた、判らない。

 楠瀬未梨はマガツメの玲芽を恐れず避けず、寧ろ友人だと思っている節すらある。

 そして『疎ましく思うべき存在』である玲芽の過去に悲しみ、涙している。


(でも、そうか。俺が『バケモノ』だと知らなければ、こうして同族として扱ってくれた人もいたんだっけ……)


 もう何も映していない白い壁を見て、玲芽は追憶する。

 頭を撫でてくれた細い手。

 抱き締めてくれる度に触れた頬。

 自分だけのために物語を紡いでくれた声。


 ──‬全て明確に、覚えている。


(戻ってこないものは、戻ってこない)


 失ってしまったものに視界を遮られるのを嫌った玲芽は、追憶を辞めて現在に意識を戻す。


(でも……ここにも、あるんだ)


 自分の身体を支えにする腕。

 微かに触れる丸い頬。

 小さく震える身体。

 涙声で自分を呼ぶ声。


 ──‬今も、ここに、在る。


 それに気付いて、少し未梨を抱き締める力を強くしてしまう。


「ひゃうっ」


 息苦しくなってしまったのか、未梨が傍で呻く。


「ああ、悪い。苦しかったか?」

「ひゃあああああああ!!?」


 玲芽が囁いて未梨に謝ると、突然彼女は玲芽からバッと離れる。そして警戒する様に屈みつつ両腕を突き出している。


「行動が突発的過ぎるだろ……」


 玲芽が未梨の、崩れ落ちてからの抱き締めて更に退避──‬という一連の突発的な行動に纏めてツッコむ。


「だって! みみもと! みーみーもーと!!」

「『だって』とその次の言葉に関連性を見出せないんだが……?」


 頭を回して未梨の珍言の意味するところを考察する。


(あー……そういやこいつは聴覚が鋭いんだったか。その分耳が弱かったりとかするんだろうか……)


 そう考えて未梨を見てみると、警戒姿勢は解除されて左耳を塞いで「あー」だの「うー」だの赤面しつつ呻いている。


「悪かったよ。次からは大声で叫んでやるから」

「錐川くんは鼓膜を突き破る気でいやがりますか?」


 しれっと言ってやると、未梨はニコニコとやたら力の入った笑顔でそう返してくる。


「へへ。私もごめんね、突然離れたりして。寂しかった?」

「えっ、はっ、いやいや。そんな事思うわけないだろ」


 冗談めかして言う未梨に、慌てて否定する。

 離れる未梨に一抹の寂しさすら覚えなかったと言えば、嘘になる。未梨を抱き締めている時の温かな感触を、もう少し味わっていたかったという思いが玲芽には少しあった。


「えっ、あ、うん。そうだよね。うんうん」


 意外にも図星を突いてしまった事に驚いた未梨は、自分から揶揄ったのにも関わらずその攻め手を引っ込めてしまう。

 暫くの間、二人に気不味い沈黙が流れる。異性とのコミュニケーションに疎い未梨とそもそもコミュニケーション能力に乏しい玲芽では、この雰囲気を咄嗟に変えられる術を持たない。


(クッソ。返答に詰まった上に黙ったままだと図星だってバレる。なんか言え……)


 とっくにバレてはいるが、それに気付かない玲芽はワンテンポ遅れた状況の打開を計る。


「あー……。落ち着いたなら、客間に案内するが」


 落ち着き払った口調で、玲芽は未梨にそう提案する。


「あ、ああうん。じゃあよろしくお願い、しようかな」


 未梨の賛同を得て、二人は真っ白な部屋から出る。

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