25


 針山の様に玲芽の腕や脚、脇腹にナイフが突き刺さる。その猟奇的な繰り返しの中では日常的な光景だったのだが、その先が少し違っていた。


『うぅ…………』


 視界がゆっくりと角度を変えていく。角度の変化に応じて目線の高さが上がっていき、立ち上がった事が判る。


『この……生意気に立ち上がるんじゃ──‬『うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


 殴りかかろうとする怪物に、右手を突き出しながら叫ぶ。

 空気にひびが入ったバチバチと青白い光が幼い玲芽の周囲を覆う。青いひびは血塗れの床や手足に刺さったナイフの周囲に多く見られ、ナイフを持っていた怪物も痛みが走ったのかのたうち回る。


 本能なのか理性なのかは定かではないが、玲芽が走り出す。周囲のが後退していくような光景が走っている証明だ。


 家を飛び出し、裸足で道を駆け抜ける。魔術を使っているのだろうか、子供の──‬いや人間の出せる速度を遥かに超えた速さで未知なる土地を駆けていく。

 だが玲芽は生きているのも不思議な扱いを受けてきた。碌に運動も栄養摂取もしていない棒の様な身体では、そう長くは走れない。

 どこかの川の堤防で、遂に玲芽は膝を突く。


『うぎ……ッ!』


 目を細めながら呻く。視界がぐわっと回転し、自分の脹脛の方へと動く。

 そこには突き刺さったままになっていたナイフが、膝をつけた事で刃先を押し出して貫通させていた。

 荒い息遣いが聞こえてくる。脳を焼き切る様な痛みに苛まれ、全身が激しく震えている。

 何とか立ち上がり、屈んでナイフの柄に手を伸ばす。


『う、は……あぁッ!!』


 痛みからの解放を求めて、玲芽は一息に脹脛のナイフを引き抜く。

 ぐちゅ……ぐちゅと傷ついた肉を更に破壊して刃はゆっくりと苦痛を伴いつつも玲芽の身体から脱出する。同時に傷口の両面から血液が吹き出す。

 ふらふらと視界が上下する。閃光が走る様なショックのせいか、脚が動かなくなったせいか、はたまた血が足りなくなったせいか。


『ハァ……ハァ……フゥ──‬──‬ッ!』


 意識を押し留め、今度は腕のナイフを抜く。ギリギリ貫通はしていないが、深く突き刺さったナイフを引き抜く度、意識がホワイトアウトしかけては幼い気力で何とか保っている。


『あーー……はは』


 腕に刺さった二本のナイフを抜いて、硬い地面に放り投げる。ふらふらと前後左右に倒れかけながらも、ゆっくりとした呼吸に笑みを混ぜる。


「楽になりたい一心で、刺さった物を抜き取っていたな。痛みは伴ったが、それに勝る解放感があった。それに地面に引き寄せられる様な意識の混濁は、あの苦痛と喧騒とは正反対の平穏と静寂を感じられて……心地良かった」


 出血多量か極度の疲労か定かではないが、間違いなく死へと直結する状態を──‬玲芽は心地良いと表現する。


(それくらいに、この時の錐川くんは辛い日々を送っていたんだ。何年間も、何年間も)


『く……うぅ……!』


 脇腹に刺さった最後の一本を、震える右手で引き抜く。

 肉を裂く音と血液が出口を求めて躍り出る音を聞きながら、玲芽は抜いたナイフを手にしたまま立ち尽くす。


 やがて力の入らなくなった手からナイフがすっぽ抜け、身体も正面から地面に崩れ落ちる。何度も幕を落としかけていた目蓋への抵抗を辞め、何も知らない真っ白の少年はそうとも知らず死の抱擁を受け入れる。


『ふふ……』


 痛みと身体にある異物感から解放されたのが余程嬉しいのか、微かに笑い声を上げる。

 目を瞑ったままでも意識はまだ辛うじて残っているらしく、地面や小さな身体を打つ雨の音が聞こえてくる。


『おーい……』


 雨音の他に、か細い女声が耳に入ってくる。玲芽は反応する気力もないのか、微動だにしない。


『この……マガ……よね』


 女性の言葉も途切れ途切れになり始める。


『仕方……か』


 そしてそこから数秒もしない内に、何も聞こえなくなった。




「ここで一旦区切るわね」


 結璃が台座からガラス玉を持ち上げ、記憶の再生を中断する。自動的に部屋の照明が点き、映画が終わった時の様な現実に引き戻される感覚に見舞われる。


「ふわっ……」


 未梨の身体から力が抜けて、ふらりと倒れかける。


「おい」


 それを支えたのは、隣にいた玲芽。未梨がハッと意識を確かにして真正面から見下してくる玲芽の顔を覗くと、鬱陶しそうに眉を吊り下げている。


「ご、ごめんね錐川くん……」


 自力で立て直し、未梨はもうこちらに視線すら向けていない玲芽に謝る。


「……辛いなら、もう見なくてもいい。倒れるような思いまでして他人の記憶を見る必要なんてないだろう」


 玲芽は言い難そうにしながら、相変わらず顔を向けずにそう声をかける。

 その言葉に未梨は一瞬驚くが、すぐに笑顔で「大丈夫だよ」と返す。


「錐川くんは優しいね。ありがとう、気を遣ってくれて」


 そう礼を言うと、玲芽が勢いよく振り向いて「は?」と未梨を睨んでくる。


「だって、私が倒れたのを心配して言ってくれたんでしょ?」

「心配したんじゃなくて、迷惑だったんだよ」


 未梨の言葉を変換して玲芽は返すが、リターンを受けた未梨は「さようですか」と笑みを崩さぬまま。


「気遣った事は否定しないんだね?」


 余裕の笑みにはまだ切り返す手札を残していたからだ。想定外の切り口に玲芽は返す言葉を見失う。


「ま、まあ。視覚的なショックならピークは過ぎたし……気づ……いや、言ってやる必要もなかったな」


 玲芽は出入口の方に移動しながら言い、再び壁に体重を預ける。


「ふふ、大丈夫みたいね。私置いてけぼりで泣いちゃうわ」


 言葉とは裏腹に、優しい笑みを浮かべるだけの結璃。再び台座にガラス玉を設置して、照明が落ちる。

 そしてまた、玲芽の足跡を追いかける映像が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る