21


「はー、お腹空いたー。楠瀬ちゃんもお腹空かない?」


 ドライヤーで髪を乾かしながら、甘音はのぺっと目を細めて空腹を叫ぶ。


「はい。お腹ぺこぺこです。まだ六時半なんですけどね」


 二人より先に乾かし終えた未梨は、お腹を押さえながら同じく目を細めて答える。

 いつも午後七時半に夕食を摂る未梨にとって、まだいつもの食事の時間までは一時間ある。


「今日は色々あったからね。カロリーも随分消費したのよきっと」


 結璃が口を挟む。確かにそうだ。今日は未知の体験だらけだったので、未梨が思っている以上に消耗したのかも知れない。


「そう言えばさ。さっき楠瀬ちゃんしれっと言ってたけど、玲芽くんが楠瀬ちゃんに『護る』って言ったの?」

「確かに、ミノちゃんの事でいっぱいだったからスルーしてたけど、中々一大事ね」


 甘音の指摘に、結璃がハッとする。


「きっと錐川くんは、危険な状態だと自分の考えとかよりも、他人の事を優先してしまうんだと思いますよ。私はあんまり意外じゃなかったなあ」


 未梨はテーブルに肘をついて、ニコニコと笑いながら玲芽を解釈する。


「確かに玲芽はそういうとこあるわよね。優しいというか、甘いというか」

「流石楠瀬ちゃん。よく見てるね」


 左サイドから同意、右サイドから賞賛を受け、未梨はえへへと照れ笑いをする。


「私は錐川くんと少ししか過ごしてないから、その分優しい一面が目立ってるんだと思います。というか今日はビックリしましたよ。立華先輩達の前だと、何だか顔つきが違うんですよね」

「眉間の皺が若干薄くなるのよね、甘音といると。相当な懐きっぷりよ、あれは」

「そ、そう……? あはは、何だか照れるなあ……」


 甘音は機嫌が良さそうに照れ笑いをする。


「よし、終わり」


 結璃が髪を乾かし終え、髪を先程よりも低く結ぶ。

 甘音も終わったらしく、立ち上がってぐぐっと伸びをする。


「ところで、どうして立華先輩だけ服装が違うんですか?」


 浴場から移動しつつ、未梨が気になった事を訊く。

 未梨と結璃は同じ服装だ。黒い半袖のシャツに青いジャージのズボン。同色のアウターもあったが、まだ風呂の熱が残っているので二人ともまだ着ていない。

 因みに未梨は胸を小さく見せるためにキツめのスポーツブラを借りた。

 甘音は黒いノースリーブのタートルネックに、これまたノースリーブの白いジャケット。下は赤いプリーツスカートに、半ばトレードマークの黒いニーハイソックスという格好だ。腕には肘まで覆う長手袋をつけている。


「あー、私はこれからまだ待機任務があるから、寝間着はまだ着ないの」

「たいきにんむ?」


 未梨は甘音の回答の中から気になった部分を復唱する。


「うん。まあそれは座ってから説明するとして。取り敢えず今はご飯だよご飯。ばーんごはーんだぞー!」


 言って、甘音は狭い廊下を無駄に高いスキップで移動する。短いスカートがヒラヒラと空中で踊り、それを眺めていた未梨はハラハラとする。


「た、立華先輩。その、スカートが……」


 そう指摘すると、甘音が着地したところで立ち止まり「あー、大丈夫だよ」と自ら後ろ手にスカートを捲る。


「私スパッツ穿いてるから、へーきへーき」


 甘音の言う通り、スカートの中には黒いスパッツを穿いていた。飽くまでスパッツは『スカートが捲り上がってしまった時の保険』なので自ら見せるのはどうなのかと考える未梨。それに中に穿いている下着の形が少し透けている。

 まあ本人が良いなら良いか、と未梨は「そうなんですねぇ」と流す。

 十字路を左に曲がる。エレベーターから歩けばまっすぐに行ったところの道だ。

 だがそこは突き当たりだ。浴場への入口へ近付くと自動ドアが開いたのだが、そんな様子もなく左右の壁と同色の壁が待っているだけだ。

 甘音が右側の壁に「立華甘音でーす。出勤しまーす」と呼びかける。


『認証。待機場にお入りください』


 どこからかそんな音声が聞こえてくる。すると突き当たりの壁がスルッと下へと落ちていき、その先から光が射し込んでくる。

 逸早く中へと駆け込む甘音に、その光景に立ち尽くす未梨の前に出る結璃。


「ここは魔獣や魔術犯罪者を追跡するために、魔術士達が待機するための場所」


 リボン付きのヘアゴムで留めた髪を揺らし、逆光を浴びる強気な笑顔を未梨の方に向ける。


「ようこそ。私達は魔術犯罪殲滅組織。通称MAOよ」

「えむえーおー……」


 そして結璃は「おいで」と一言残して中へと入っていく。その言葉に導かれる様にして未梨は待機場に入る。

 中は、広いファミリーレストランやフードコートの様な雰囲気だった。明るい色のウッドタイルを一面に貼った床に、全部で一〇〇人分程度はありそうなテーブルと椅子のセット。四人席、二人席を主としてもっと多人数用の席もある。


「あ、玲芽くん達いたー」


 甘音が玲芽と勇武の座っている場所を見つけ、そこへ早歩きで向かう。


「お、やっと来たんすか。女子のお風呂は時間かかりますねー」


 勇武が軽口を叩きながら手を振ってくる。白いプリントTシャツにベージュのカーゴパンツという服装で、甘音と同様待機任務に就いている事が窺える。


「うるさいなー。女子じゃなくても複数人でいると積もる話があるでしょー」

「だって玲芽が腹減ったって」

「言ってないが」


 小漫才を耳にしつつ、六人掛けの座席にジャージを置く未梨。玲芽も彼女と同様の格好をしているが、もう身体は冷めたのか、アウターもバッチリ着ている。


「ミノちゃん、向こうのカウンターで食べたい物選ぶのよ。天宮家自慢の料理、楽しんでね」


 結璃の先導の下、未梨は左端にあるカウンターへと移動する。


「うわ、なんだかよく判らないけど、凄い!」


 タッチパネルに表示されたメニューに驚愕する。肉、魚、野菜等大雑把なカテゴリをタッチすると、身近な家庭料理から聞いた事もないいかにも高級食材的な名前のついた料理まで様々な料理名がずらりと並ぶ。

 その料理をタッチすると、並べて置かれたモニターにサンプル画像が写る。


「あはは、ちょっとくらい時間がかかってもいいから、食べたい物選んでね」

「はーい……」


(折角だから食べた事ない料理食べてみたいけど、あんまり高い物とか選んだら何か怖いし、胃がビックリして入らないかも……)


 そんな事を考えながらうんうんとメニューに目を凝らしていると、隣のカウンターで玲芽が手早く注文を済ませる。


「き、錐川くん早いね」


 そう声をかけるが、玲芽はちらりと未梨の方を見る程度で応じたりはせず席に帰ろうとする。

 そんな玲芽の後頭部に結璃が軽くチョップを入れ、未梨に苦笑を向けて「ごめんね、無愛想な奴で」と謝る。


「いえいえ。いつもあんな感じですから。粘り強く話しかければ応えてくれるんですよ?」


 未梨は謝罪する結璃に優しく微笑みかけ、慣れた事だと余裕を見せる。


「ミノちゃん、見かけによらず図太いというか、肝が据わってるというか……」

「そうですかね?」

「そうよ。あ、ごめん止めちゃったわね。選んで選んで。私のオススメは──‬」


 言って、結璃が身体を寄せて未梨と同じメニューを見る。一緒に食べる物を選び、何とか膨大な種類のメニューから料理を絞り込む。


「ふふ、結局口出しちゃった。好きな物選んでねって言ったのに」

「いえいえ。一緒に選んでて、何だかお姉ちゃんができた気分になりましたよ」


 結璃と談笑しながら席に戻ろうとしている中。立ち止まっていた玲芽が、赤い視線をこちらに向けていたのが少し気になった。

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