20


「どう? 天宮家自慢の大浴場は」


 甘音を挟んで左にいる結璃がひょこっと顔を出す。


「広いお風呂最高ですぅ。脚伸ばして入れるってだけでもう気持ち良いですよぉ」


 未梨は肩まで浸かり、その気持ち良さにいつもより語尾を伸ばしながら答える。


「判る、判るよ楠瀬ちゃん。私もここに来てここが二番目に気に入ったなー。一番はまた後で行くけどね」


 甘音が微笑みながら同意する。湯船に髪が入らないよう、ヘアクリップで黒髪を纏めている。上げた髪と少し上気して赤くなった頬は、ただでさえ可愛らしい甘音の顔を少し色気付かせる。


「ところで、楠瀬ちゃん?」

「あ、はい。さっき何か言いたそうにしてた事ですか?」


 甘音の呼びかけにそう答えると、形の良い唇を窄めて「うん、そうなんだけど……」と口籠る。


「楠瀬ちゃんって、いつも本当のサイズより小さなブラつけてるの? 服着てた時より、お胸が一回り大きくなっているような気が……」

「あっ」


 油断していた。普段誰かと一緒に入浴するなどという事をしないせいか、風呂で身体を隠すという概念を失していた。


「は、はい。そうなんです。実は」


 観念して未梨は、甘音の指摘に肯定する。恥ずかしそうに顎まで湯船に浸けて、身体を隠す。透明なお湯なのでタオルではあるが丸見えである。


「まあ、何を見せて何を隠すかは個人の自由だとは思うけど、私は勿体ないと思うなー! それにサイズの合わない下着をつけるの良くないって聞くし」


 甘音の弁に、未梨は首を傾げて「勿体ない?」と呟く。


「そうだよ。だってさ、楠瀬ちゃんは顔も可愛くて、髪も綺麗に整えてて、その上性格も優しいときた! こんなに魅力的なところ、隠すのは勿体ない! と、私は思ったの」

「魅力的なところ……」


 甘音は同性の未梨から見ても、眩しいくらいに可愛らしく、性格も明るくて人を惹きつけるものがある。


(そうだ……きっと私のここは、魅力的に見られる。見られるから──‬私は嫌になっちゃったんだ)


『楠瀬さんの写真見せたらさー、エロいの撮ったらオジサンがお金くれるって言ってくれたんだよねー』

『ヤバいよねー中学生のエロ写真欲しがるおっさんとか! まあ写真の代わりに楠瀬がお金出してくれるんなら、撮らなくていいけどなー!』


 未梨は表情を暗くして、タオルを持つ手の力を強める。


「あぅ、ごめん楠瀬ちゃん!」


 その翳った表情を見て、甘音が未梨を抱き締める。そして未梨の頭を胸に寄せて「元気出して」と優しく囁く。

「まあ、アレよ。甘音だって凄い、羨ましい! って思っただけだし、隠す事を咎めてるわけじゃないのよ。ね?」


 成り行きを見守っていた結璃が、二人の背中に手を当てて宥める。


「そうよ。楠瀬ちゃんのふんわりした優しさも、大きなお胸も、私にはないの。だからすっっっっごく羨ましいんだよ」


 顔を上げた未梨に、甘音は自分の身体を抱きながら正直なコンプレックスを吐き出す。


(私からは完璧に見える立華先輩も、誰かを羨ましいって思う心があって。そんな弱さみたいなところを、私に見せてくれてる……)


「……私、立華先輩と、勿論天宮さんとも知り合えて、本当に良かったです。正直でいられる友達って、私あんまりいませんから」

「良かったー。私のせいで楠瀬ちゃんを落ち込ませたら、どうしようかと思った」


 甘音はホッと胸を撫で下ろし、元気になった未梨の頬をむにっと軽くつねる。


「たひぶぁなすぇんぷぁい、あにふるんぶぇふかぁ」

「あはは、ぷにぷに〜」


 一通り未梨の頬を弄び、甘音はパッと指を離す。


「でも、私が羨ましいなら、天宮さんはどうなんです?」

「私?」

「あー、結璃は何かもう、羨まし慣れしちゃった」


 未梨が訊くと、甘音は肩を竦めてにへらっと苦笑する。

 慣れていると言われた結璃は、一枚では苦しいのか胸と腰に一枚ずつタオルを巻いている。その凄まじいプロポーションには同性でも脅威に感じてしまう。


「まあ、同じ人類とは思えない体型ですもんねー」

「そうそう、何かもう芸術作品みたいよね」


 二人の何とも言えない評価に、結璃は「いや同じ人間だから……」と頬を掻く。


「あ、ミノちゃん。私は天宮さんじゃなくて結璃で良いわよ。敬語好きじゃないから、できればタメ口で話して欲しいんだけど」

「えぇ!? 名前はともかく、敬語は保たせてくださいよ! 畏れ多くてタメ口なんて利けません!」


 結璃が未梨に敬語を取り辞めるよう打診するが、未梨は腰を引いて全力で拒否する。


「まあ、そこまで言うなら敬語はそのままで良いわ。ただ友人として、下の名前で呼んでね。ミノちゃん?」

「はい、判りました結璃さん!」


 未梨は笑顔で結璃の願いに応え、彼女を名前で呼ぶ。それを見ていた甘音は「むむむ……」と二人を見つめる。


「どうしたんですか?」

「いや、私も楠瀬ちゃんの事名前で呼ぶべきかなーって。でも『立華先輩』って響きは捨て難いものがあってだね……」


 と、呼び方に対して真剣に考察していた甘音。そんな彼女に未梨は「どっちでも嬉しいですよ、立華先輩」と語尾を上げる。


「うん、じゃあ取り敢えず楠瀬ちゃんで通そうかな。それと質問ついでもう一つ。今度はちょっと真剣なやつ」


 と、甘音が唐突に表情をニュートラル──‬正確にはやや懐疑的に寄せる。


「は、はい。何でしょうか」

「どうして楠瀬ちゃんは、玲芽くんの事気にかけるの? 貴女は心の優しい子だって判ったけど、玲芽くんはその、マガツメでしょ? きっと付き合い難いじゃない?」

「ま、まあそうですね。錐川くんは無愛想だし、周りの人達も錐川くんを目に入れないようにしてるっていうか、私の友達は毛嫌いしてますし……」


 未梨は甘音の質問に、あわあわと自分の意見ではなく事実を並べる。

 そして心の中で違うな、と呟いて自分の考えを掻き集める。


「ええと、でも私はそういうの関係ないっていうか、気にした事ないっていうか……」


 ──‬ううん、これも違う。違わないけど、私が本当に錐川くんに話しかける本能の理由はこれじゃない。

 懸命に考えて、未梨は玲芽の姿を思い浮かべる。そして彼の赤い瞳を思い出して、ようやく納得のいく答に辿り着く。


「それにですね、私は錐川くんが優しい人だって知ってるんです」


 未梨は彼を気にかける切欠になった出来事を思い返して、自然に口角を上げながら答える。


「──‬ほう、ほうほう」


 甘音は一瞬目を見開き、彼女の微笑みに応じる様にして彼女も微笑う。


「今日錐川くんが私を『護る』って言ってくれて、実際にそうしてくれたのもそうなんですけど。実はその前にも錐川くんが助けてくれたんです。その時から、私は錐川くんは優しい人なんだなーって思うようになったんです」


 その時の事を思うと、未梨は少し照れ臭くなる。赤くなっている自分に気付き、えへへと笑って頬を掻く。


「へえ。どんな事があったの? 気になる!」

「えへへ、ひ・み・つ・です。私だけの秘密」


 そう言って満面の笑みで答え、人差し指を口元に持っていって煙に巻く未梨。


「おお、何だかミノちゃん色っぽい」

「秘密は女の子を綺麗にするって本当なんだね……」


 歳上二人に褒められ、途端にむず痒い嬉しさが湧き上がった未梨は「うへへ、そうですかぁ?」といやらしい笑顔で訊いてみる。


「その笑い方は何とも言えないけど……」

「楠瀬ちゃん、何でエロいおじさんみたいな顔してるの……」

「ぼへっ」


 褒められた時の笑顔は不評だったらしく、一八〇度変わった評価に未梨は豪速球を顔面にぶつけられた様な気分になる。


「うふふ、玲芽に学校行かせた狙いはマガツメとか気にしない子に会えたら良いなーと思ってなんだけど。ミノちゃんと玲芽が出会えたのは、玲芽にとって本当に幸せな事だと思うわ」


 未梨の隣までふわあっと半ば泳ぐ様に移動して、彼女の頭を撫でる。


「なるほど、そういう狙いが……。でも、皆さんで何かこう、上手い事できなかったんですか?」

「うーん。私達は魔術士だし、マガツメじゃないからね。何を言っても『無関係な者の言葉』として処理されちゃうと思うのよね。だから、ミノちゃんみたいな魔術士じゃない子に玲芽を知って欲しかったの」


 玲芽の過去を未梨は知らないが、きっとマガツメ故に彼の言う『人間』から酷い仕打ちを受けた事は想像できる。

 だからこそその『人間』に該当する未梨に、結璃は期待しているのだろう。


「何か勝手に重荷を背負わせているようで、申し訳ないけどね」

「任せてください! 錐川くんの良さをもっと他の人に伝えられるように、私頑張ります!」


 握った両手を挙げて、頑張りますのポーズで未梨はそう宣言する。


「……じゃあ、最後にもう一ついいかな?」


 甘音は先程の表情よりも更に真剣な顔で、未梨の一部分を凝視する。


「え、はい。答えられる事なら答えますよ!」


 甘音の真面目な顔に怯まず、未梨はキリッと眉を吊り上げて構える。


「………………スリーサイズは、おいくつ?」

「それは、答えられませーーんっ!!」


 甘音の質問に、未梨は今日一番の大声を浴室に高く響かせた。

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