19


「灰色の廊下を抜けると、そこは──‬温泉旅館でした」


 開けた景色に、未梨が呆然と状況をまっすぐ言葉にする。

 本当に何の捻りもなく、温泉の様な光景がそこにはあった。

 床はコンクリートか何かの硬い物から温もりのあるウッドタイルに、壁も白い壁紙が貼られており少し眩しい。

 正面奥には青と赤の暖簾がかかった二つの扉が。そこまでの広場には古めかしい自販機やらマッサージチェアが設置されており、極めつけには卓球台まで置いてある。その露骨に『温泉旅館感』を演出しようとする努力の痕跡は、寧ろ態とらし過ぎてらしくなさすら感じる。


「何というか……凄いなあ」


 少し露骨過ぎないか、という言葉を呑み込む。


「急に感想が普通になったな……」


 勇武の指摘に、未梨はふいっと視線を逸らして言っていない感想がある事を隠す。


「ね、赤い方が女の子用だよ。知ってた?」

「し、知ってます」


 甘音は天然か態とか、ニィッと微笑んで未梨にそう教える。


「そっかー。楠瀬ちゃんは物知りだね」


 どうやら天然だったようだ。甘音はここで初めて男女の振り分けがある事を知ったのだろうか、白い陽光の如き屈託のない笑顔で未梨を褒める。


「んじゃまた後で」


 一足先に勇武が青い暖簾をくぐり、男性用の風呂場へと移動する。


「私達も行こっか」


 結璃が赤い暖簾のかかった引き戸を開き、三人は浴場へと足を踏み入れる。


「はへ、本当にお風呂屋さんだ」


 フロアタイルを踏み歩き、未梨はぶんぶんと首を回して周囲を観察する。

 衣服や荷物を置く用の棚、壁際に置かれた数台のドライヤーと、そこに貼りつけられた大きな鏡。


「ミノちゃん、早く脱ぎなよ?」


 結璃と甘音は手近な棚に服を置き、もう既に下着姿になっていた。


「ふおお……」


 未梨は二人の姿を視界の中心に収めて、そう引き気味のリアクションを取る。特に同性が好きだとかそういった嗜好はないが、それでも二人の下着姿は刺激的なものだった。


「見惚れてるとこ悪いけど、楠瀬ちゃんだって可愛いんだからさ。ほら脱げ脱げー」


 水色のキャミソールを着たまま、甘音が恐るべき瞬発力で未梨の背後へと回りシャツのボタンを外していく。


「ひゃう……!? あ、あの。先にお風呂入っててもらえませんか?」


 甘音に二つ目のボタンを外されたところで、彼女の細い手首を包み込んでそうお願いする。


「甘音、本人の意志を尊重しなさい。隠すような恥ずかしいモンつけてるとは、私も思えないけどねぇ」


 結璃がフロントホックの黒いブラジャーを外しながら甘音を制止する。その顔にニヤニヤとした笑顔を貼りつけて、未梨の方を見ながらではあるが。


「はーい。ごめんね楠瀬ちゃん。中で待ってるからね」


 甘音は一度ギュッと未梨を背後から抱き締め、パパッと下着を脱ぎ、引き戸を開けて浴室へと移動する。


「あ、ミノちゃん」

「はい……はわっ!」


 結璃は一糸纏わぬ姿で未梨の方へと歩いてくる。動く事山の如し。隠そうともしない結璃の巨大な双丘憎んで視線が吸い寄せられる。


「身体は、特に下半身は丁寧に洗うのよ?」

「あ……はい!」


 そう指摘され、未梨は背筋を伸ばす。

 後ろ手に手を振って甘音に続く結璃を見送り、未梨も服を脱ぎ始める。


(結璃さん、私が『やっちゃった』の知ってるのかな? いやでも錐川くんが私と離れて結璃さんといたのは注射の時だけだし……あの時も大して時間かからなかったし)


 シャツのボタンを外しながら、未梨は何故結璃があんな事を言ったのかを考える。単純に風呂を綺麗に保ちたいだけとも取れるが、何か腑に落ちない。


(そういえば、お風呂行こうって言われる前に、結璃さん鼻鳴らしてたな……まさか匂い!?)


 そこまで匂いはしなかったはずなのだが、結璃の嗅覚が優れているのだろうか。

 後ろ手に下着のホックを外し、桃色の横縞をしたブラジャーを身体から剥がす。


「はふぅ……」


 声を漏らしながら未梨は腹に酸素を取り込む。下着に覆われた時よりも胸が一回り厚くなり、それに応じた息苦しさから解放される。

 濡れてしまったパンツは穿いておらず、体操着のショートパンツを脱げばもう何も着ていない。荷物置き場に衣類を片付け、浴室前のバスタオルで前を隠してガラリと引き戸を開ける。


「やっぱり広いなあ……」


 未梨の予想通り、浴室は広大だった。

 手前側にある洗い場は四つ並んだ物が二列と少なめだが、その代わりサウナ室らしき部屋がある。

 天井も広く、歌でも唄えばさぞ気持ち良く響き渡るのだろう。

 歌は取り敢えず置いておき、未梨は滑らないよう作られた床を歩いて洗い場に座る。


「あ、やっと来た……ん?」


 隣で丁寧に髪を洗っていた甘音が、片目を細めて未梨を観察する。


「どうかしました?」

「あ、いや。まあ後にしよう……うん」


 どこか様子のおかしい甘音に「はい」とだけ返して、未梨はシャワーの湯をその身に浴びる。

 備えつけのシャンプーとリンスで髪を洗い、紫陽花の様な形をしたスポンジでボディーソープを泡立てる。

 髪に泡がつかないようゆっくりと首から洗い、身体を洗っていく。胸や脇等汗の汚れの溜まりやすい箇所に重点を置きつつ、丁寧に身体を泡で満たす。下半身は特に力を入れて、ピカピカに光出さん勢いで洗い倒す。

 最後にまたシャワーを浴びて泡を流す。全身から汚れが落ち、身体が一回り小さくなった様な気分になる。

 用意されたヘアクリップで髪を纏めてバスタオルで前を隠し、二人が待つ奥の湯船へと歩く。未梨の髪は長くはないが、湯船に浸けるのはマナーに反する。


「やっと来たー」

「お待たせしました」


 ちょん、と足先を湯船に浸けて温度を確かめる。熱過ぎず、かといって温いという程でもない湯加減だ。

 ゆっくりと全身を温もりで覆い、気持ち良さに表情筋を蕩かせる。

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