17
なったのだが、採血は驚く程スムーズに終わった。あまりのスムーズさに驚いた。
「あら終わったのね。どう、ビックリした?」
結璃が空いたスツールを未梨の近くに置きつつ、そう笑いながら訊いてくる。
「ビックリしました。全然痛くないんですもん。注射の後に血も出ないし」
針を刺した瞬間は何か当たったという感覚があったものの、それだけだった。何の痛みも感じないまま「もう結構ですよ」と看護士に声をかけられた時は「え、ちゃんと採れました?」と訊いてしまった程だ。
未梨が座ると、結璃が「そうでしょ?」とニカッと笑う。
「うちご自慢の魔術と科学を融合した技術なのよ」
「まじゅちゅしゅごい……!」
ド派手に噛みながら、未梨は天宮家秘蔵の技術に震撼する。
「ちょっと楠瀬ちゃん笑かさないで! 今玲芽くんに消毒液塗ってるんだから」
甘音が伸ばした手を笑いを堪えたせいで震わせ、その手に持ったピンセットと脱脂綿も一緒になって揺れる。玲芽は至って平気そうな表情で「沁みるんで早くしてもらっていいですか」と甘音を急かす。
「わ、わあ〜」
まったく気づかなかったが、今玲芽は上半身に着ているインナーを捲り上げてその治療を受けている。
未梨は男性の裸体に耐性がなく、反射的に顔を横に逸らす。
「あ、そうだ……採血の方が早く済むんだから、ここでやっちゃマズかったわね……」
「あ、え、ええと……まあ男性はあんまり恥ずかしいがらないらしいですし。だ、大丈夫ですよ私は」
あんまり大丈夫ではなさそうに未梨は頭を抱える結璃を励ますが、当の結璃は「いや、ちょっと事情が違っててね」と気不味そうに視線を天井の方にやる。
「結璃、そっちも大丈夫だ。多分そいつにはもう、痕を見られている」
そこで玲芽がポツリと呟く様に結璃へと告げる。
「痕って……その、髪で隠してた、あの……?」
「やはり見ていたんだな。道理で気を失って目覚めた時は視界が広くて、眠って起きた後はいつも通りに戻っていたわけだ」
はは、と抑揚も感情も乗っていない笑い声を上げて、玲芽は未梨が『もう見ていた』と推察した理由を述べる。
「えいっ」
「うへっ!?」
甘音がピンセットで摘んだ脱脂綿を取り替え、消毒液とは別の何かを玲芽の背中に塗り込む。それが冷たかったからか、玲芽が素っ頓狂な声を上げる。
「甘音さん……傷止め塗る時は言ってくださいよ。それ塗る時変な感触するから嫌なんですけど」
「いやあ。何かシリアスな雰囲気に傾きそうだから、玲芽くんで和ませようと」
甘音が肩越しの玲芽を見て舌を出す。彼女の言う通り医務室内の空気は冷たくなり始めていたので、甘音的には空気を読んだ結果の行動なのだろう。
(これは……チャンスかも知れない)
未梨はすっと移動して玲芽の前に屈み、彼の顔を──その白い髪に隠れた顔を射抜く様に強い眼差しで見上げる。
「ねえ錐川くん。錐川くんは、私達『人間』が嫌いなんだよね?」
問いかける。敢えて玲芽が使っていた表現を用いて、今一度未梨は彼の本音を聞き出そうとする。
「ああ……そう、だ。俺はお前達が憎い」
玲芽は微かに逡巡した後、赤い瞳でまっすぐ未梨の方を見つめて肯定する。
未梨は玲芽の言葉を聞いて一度頷き、今度はまだ知らない事を訊く。
「その考えは、錐川くんにある傷痕と関係ある?」
「そうだ。ある」
二人は毅然とした態度を崩さぬまま、互いの言葉に傾聴している。周りに聞いている者がいる事も関係ないといった様子で、互いに負けるかと目を離そうとしない。
「なら、私は錐川くんがそう考えるようになった理由を知りたい。薄々は思っていたけど、確信したの。そんな考えを持つなんて、何か深い理由があるに違いないって。私は錐川くんの事、知りたい」
「…………」
張り詰めた空気の中、暫く半ば睨み合う様にして見つめる二人。
折れたのは、玲芽の方だった。
「結璃、後でこいつに見せてやってくれ。いや……俺も今一度見よう」
「ん。判ったわ。今日はお休みにする?」
玲芽は上げていた黒いインナーの裾を下げて立ち上がる。
「休むつもりではいるが、飯はこっちで食う」
「了解。着替えは持っていくように指示しとくから。シャワー浴びてくるんでしょ?」
すっとドアの方まで移動する玲芽。結璃はすべてお見通しといった様子だ。
「ああ。少し頭を冷やしてくる」
それだけ言って、玲芽は医務室を後にする。
室内の人間は特に何も言わず、数秒の沈黙が四人を覆う。
再び冷たくなった空気を打ち壊したのは、甘音だった。
「……シャワーなのに頭を冷やすとはいったい……?」
「……冷水でも浴びるんでしょ」
渾身のボケをかます甘音に、それに乗っかるべくしれっと言ってみせる勇武。
「ふふ。いやあ、甘音のシリアスブレイカーっぷりはほんと助かるわね」
使わなかった傷止めを直す甘音の頭を、わしゃわしゃと撫でる結璃。確かにあの場面で雰囲気を明るくする言葉を選べるのも、それを発せる胆力も見方を変えれば稀有な才能だ。
「俺の! 俺の便乗にも何か賞賛を!」
「勇武くんは私のパンツ見たくせに、玲芽くんの増援に行くのが遅かったのでダメです」
勇武も勇武で雰囲気を和ませる一助となる発言をしたのだが、甘音が賞賛の代わりに両手でバッテンを作ってプレゼントする。
「ぬぐぐ……数も多かったし窓とかあったから加減が難しかったんすよ……。あ! ていうか甘音さんも甘音さんで大男逃してたじゃないですか! 俺のミスはノーカンですよノーカン!!」
「……はい。すみません。可愛い後輩のピンチなのに慢心して敵にしてやられた情けない先輩は私です……」
勇武と甘音は半笑いで互いのミスをぶつけ合うが、甘音的には大地に足止めされた事が相当重い失態だったらしく、スツールの上で小さく体育座りして落ち込む。
「まあまあ。後処理は後詰めの魔術士でやったし、みんな生きてるんだから。気にしちゃダメよ。ね?」
結璃が甘音の両肩に手を置いて、懸命に励ます。
「そう、だね。みんな生きてる。みんな嬉しい。おーるおっけー」
甘音は丸めていた身体を戻し、目を瞑って長く息を吐いて今日の失態を体内で消化する。
「反省も後悔も、次に活かす。そうやって強くなる。そうやって明日も生き延びる」
甘音は胸に手を当ててそう呟き、目を開いて真剣な眼差しを見せる。
「わ、立華先輩カッコいい……」
普段学校で見かけた時の甘音は、明るく可愛らしく振る舞う、途轍もない美貌の女生徒という印象だった。だが今の彼女には、その美貌に凛とした雰囲気を纏う──さながら一振りの刀の様な印象が見受けられた。
「ほんと!? 私カッコいい!?」
「ほんとです。スーパークール美少女です」
突然テンションがフルになった甘音に、未梨がビシッとサムズアップを添えて褒め称える。
「わーい! 楠瀬ちゃんもスーパーキュートだよお」
知性を感じられない褒め合いをして、互いに強く抱き合う。
「初対面で仲が良いのはよろしい事だけど、今は……」
結璃が鼻を鳴らし、何かの匂いを嗅いで「なるほど」と一言呟いた。
「よし、お風呂行こう。大丈夫だとは思うけど、検査結果待たなきゃいけないからミノちゃんには泊まってもらいたいんだけど大丈夫?」
「あ、はい。私はその辺りふれきしぶるに対応できるので」
結璃の言葉に、未梨はぱしっと敬礼して答える。
「じゃ、俺もひとっ風呂行きますかね。玲芽はシャワーの時は訓練所の方だよな?」
「そうね。邪魔したくないなら、風呂場に行く事をお勧めするわ。あ、ミノちゃん荷物はここに置いてって」
床に置いたリュックサックをを拾い上げようとして、結璃にそれを止められる。そうしなければいけない理由は判らなかったが、取り敢えず従っておく事にする。
「よし、じゃあ三人で裸の付き合いといきましょー」
そうして女性三人と男性一人は、天宮邸の風呂場へと向かった。
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